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900 :雪と氷の名無しさん[sage]:2014/01/09(木) 07:02:10.32 ID:26JbonMd - 旦那は常呂じゃないべ
そういや結婚したあと少し苫小牧らへんに住んでなかったっけ?
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- 中部電力カーリング部 Part3
885 :雪と氷の名無しさん[sage]:2014/01/09(木) 08:01:43.24 ID:26JbonMd - 給料もらって趣味のカーリングをずっとしてられれば彼女たちは満足なわけだから
環境がそれを続けられるかどうかの問題だけで 今の体制じゃ今以上の成長は望めないというのは頭の良い選手ならわかるはずだが あえてトライしようとする気概のある選手はいないんじゃないかなこのチームには
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901 :雪と氷の名無しさん[sage]:2014/01/09(木) 09:53:57.13 ID:26JbonMd - <根性並じゃない>
カーリング小笠原、船山両選手「育ての親」池知さん喜び 「あの子たちは常呂で一番練習していた。ソチ五輪出場は当然だと思うよ」 三度目の五輪出場を決めたカーリング女子日本代表の小笠原歩、船山弓枝両選手に二十数年前、手ほどきした池知美知子さん(79)=北見市常呂町=は笑顔でたたえる。 子育てしながら、再び大舞台に臨む2人の五輪選手としての才能は中学時代、芽生え始めていた。 <中学の部活後、練習3時間> 2人は同級生の関和=旧姓加藤=章子さんに誘われ、中学1年で競技を始めた。 ジャージ姿で旧常呂町カーリングホールに現れた2人の姿を池知さんは今も覚えている。 「歩は体が硬くて。立った状態から床にに手がつかなかったのよ」 2代目の常呂カーリング協会長を務めた夫・正勝さん=故人=と1980年から競技を始めた池知さん。初心者の2人にはストーンを投げるデリバリーを徹底して練習させた。 安定したフォームを目指し、来る日も来る日もリンク上の線を滑らせた。 「中学の部活後に魔位置に3時間も練習させたから、鬼コーチと思われたかもね。ただ、いわなくてもやってたね。ホールのどこかにからなずいるんだから」と、当時の奮闘ぶりを振り返る。
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902 :雪と氷の名無しさん[sage]:2014/01/09(木) 09:54:35.92 ID:26JbonMd - 練習量に比例して実力を伸ばした。「いつも二人は団子みたいに一緒にいた。弓枝から文句や愚痴はきいたことがない。ひと足先に小学年3年から始め、うまかった章子に負けたくなかったのかな」
池知さんは、中学卒業後の指導を別のコーチにバトンタッチした。 努力を重ねた2人は「シムソンズ」で02年のソルトレークシティー五輪に出場。さらにトリノ五輪を目指して青森へ渡る。 池知さんが青森で会った2人は、そでの擦り切れたトレーナーを着ていた。 「働きながら練習し、暮らしは大変だったはず。経済的にも厳しい中で続けた根性は並じゃない」と、精神面の強さにも目を見張る。 五輪世界最終予選の出場をかけた昨年9月の日本代表決定戦では、道銀が代表を決めた日に小笠原選手が電話で「おばさん、勝ったよー」と弾んだ声で伝えてきた。 そして迎えた世界最終予選で悲願の五輪切符をつかんだ。 「トリノ五輪後に競技を離れて復帰3季目でここまで…。相当練習したんだろうね。すごいとしか言えないよ」。この教え子を誇りに思っている。 池知さんは2月にソチ五輪が開幕する前に2人に電話しようと心に決めている。 20年以上も成長を見続けてきた「育ての親」として「頑張んなさいよ」と声をかけるつもりだ。 (北海道新聞)
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