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お前名無しだろ
プロレススーパースター列伝では何編が好き?
70年代のアントニオ猪木 21
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】 [転載禁止]©2ch.net
★☆【坂口征二】を熱く語ろう! 19 [転載禁止]©2ch.net
狂犬 マッドドッグ・バション [転載禁止]©2ch.net
【プロレスファンの】国際プロレスpart5【桃源郷】 [転載禁止]©2ch.net
昭和の全日本プロレスらしい外人レスラーを挙げろ [転載禁止]©2ch.net
A猪木の試合で一番好きな試合

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プロレススーパースター列伝では何編が好き?
310 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 00:09:16.31 ID:w+GwLOxA0
>>309
ブッチャーがビビるっていうシーンがないだけで(本編ではブッチャーがホーガン
戦の前に「これだぜ!これ!」と人差し指を立てる)、一本指のシーンのことを
>>308は記憶が曖昧のまま脚色して語ってるだけだろw
70年代のアントニオ猪木 21
491 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 01:49:12.96 ID:w+GwLOxA0
81年が「70年代最後の猪木」ってイメージだよな。
俺がプロレス本を収集して興味を持ち始めたのが「タイガーマスク二世」の放送
スタート時期だから。
皮肉にも、タイガーデビューと同年に、猪木の好敵手のシン・ハンセンがいなく
なってしまった。
特にシンは「タイガーは俺だ」とタイガーマスクに喰ってかかっていたから、
シンとタイガーの絡みも見られたかもしれなかっただけに惜しい。
あの引き抜き合戦は完全に新日にとって失敗だったし、猪木の衰えを皮肉にも
呼び込んでしまったからな。
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】 [転載禁止]©2ch.net
355 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 02:09:57.22 ID:w+GwLOxA0
馬場の若い頃の画像は「馬場と猪木」で初めて知ったな。
ガリガリでアバラが浮いた馬場しか知らなかったから、猪木が馬場に
「こんな奴がエースで納得いかねぇ!」となるのもわかると思い続けて
たが、この64年の馬場の画像を見て納得いった。
あれなら猪木も逆立ちしたってかなわない。
あの巨体もさることながら、躍動感や表情の豊かさが静止画から滲み
出てる。
そして鍛え抜かれた見栄えのいい巨体。
まさにプロレスラーになるために生まれてきたような素材だという雰囲気が
ひしひしと伝わってくる。
先にジョナサンが馬場より身体能力が遥かに上だと言ったのは俺だが、
何を勘違いしたのか臭ぇ息吐いて突っかかってきた人がいたが、馬場の
全盛時の素晴らしさはリアルタイムで知らない俺でも十分わかってる。
64年の馬場はテーズ戦、ブラッシー戦、サンマルチノ戦が著名レスラーとの
戦いの画像が記載されてるが、ブラッシー戦なんかは特に馬場の凄まじさ
を語るに申し分ない静止画になっている。
ああいう、全盛の馬場の素晴らしい姿を、知らない世代(俺達前後)
に知ってもらうことがまず第一なんかじゃないかと。
日プロエース時代以降、マージャンばっかりでトレーニングを疎かに
して結果、あの体型が万年化とか、そういうことは誰でも知ってるし。
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736 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 02:16:38.96 ID:w+GwLOxA0
俺は猪木のかっこよさに惚れて餓鬼の頃からプロレス熱狂したが、猪木を自分の
身体を楯にして守る頼もしいゴツイ坂口も好きだった。
なのに確かに>>733のように、ここの人は坂口は賞賛するが、猪木は「アゴ」と
侮辱して目の仇にしてる。
猪木も坂口も好きな人も書き込みたいだろうに、「坂口は素晴らしいが猪木は
ゴミ」というこのスレの主(SHUさん?)の意向に逆らったら駄目みたいな
空気は確かに違和感を感じるな。
ホモとかは気にしないですが、坂口選手の素晴らしさを語りたいなら、
そのためにある選手を貶める風潮はやめた方がいいとは思いますが。
70年代のアントニオ猪木 21
493 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 02:35:11.60 ID:w+GwLOxA0
そうそう。
そう考えるとかなりのそれまでの当たり前の部分が81年に切り替わってる。
アナウンサーでいうと、舟橋が退却したのが78年夏だが、その後三浦アナが
リリーフし、古舘がメインに定着したのが79年頃。
81年はそう、「戦いのワンダーランド」節が本格的にスタートした頃だな。
それまでの古舘実況って結構、先輩アナからのバトンタッチの違和感をなくす
為でもあり、自らも新人ということからそれほど後々ほどの暴走的な過激スタイル
じゃなく、オーソドックスの地味な実況スタイルだった。
それと倍賞からケロへのバトンタッチも、地味ながら結構大きかったよな。
倍賞っていえば、シンに襲われるのが定番だったし、なにより倍賞美津子の
弟だったから。あの独特の盛り上がるコールはケロはケロで初期までは素晴らしいが、
総合的にはリングアナという地味な職を倍賞美津子の弟ながらもでしゃばる
ことなく淡々とこなした倍賞鉄夫の方に評価したいよな。
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】 [転載禁止]©2ch.net
368 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 14:12:46.60 ID:w+GwLOxA0
ただつべで70年代の馬場の試合を時系列で追ってみてると、71年のブッチャー戦、
これは弟も絶句するほど馬場の動きはまだまだ素晴らしい。
しかし75年のレイス戦、「もう老人っぽいな」と。
78年の糖尿で一気に衰えは来たが、既に全日初期で衰えは顕著になってきてた。
当時の雑誌の投稿でも「馬場の動きのトロさは目に余る」なんてのも73年
辺りからチラホラ出てきてる。
やっぱり一連の日プロ離脱騒動、全日創設における苦労・ストレスから
衰えがきたんじゃないかと推測するな。
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】 [転載禁止]©2ch.net
369 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 14:19:03.81 ID:w+GwLOxA0
>>357
ジョナサンvsドリーはつべに上がってたよな。
あの全盛期のドリーが持て余してほとんど何もさせてもらえなかった。
ジョナサンは時に43歳、とっくに全盛期は過ぎていたが、ナチュナルな強さは
まだまだ群を抜いていた。
ブッチャー戦は明らかに「ブック通りピンを取らせてやるが、内容は俺が
好き勝手やらせてもらう」みたいなのが表面に出てた。ブッチャーを場外乱闘
ですら子ども扱いし、ボディスラムで軽々と叩きつけ、アトミックドロップを
見舞うというブッチャーの面子丸潰れの内容。
最後のサンセットフリップを自爆してあげてのエルボー一発で試合終了。
しかし調子に乗るブッチャーを制裁するかのごとく、試合後はピンを取られた
はずのジョナサンが躍動してパンチを雨あられのようにブッチャーに見舞い、
怯えたブッチャーはケツを向けて控え室に一目散に逃げて行った。
集客力ではブッチャー>>>ジョナサンだから、馬場がこういうブックを命ずる
のも仕方なかっただろうが、ジョナサンにしてみれば「こんな弱い黒豚に俺が
寝ろというのか」と大いに不満だったのは手に取るようにわかる。
狂犬 マッドドッグ・バション [転載禁止]©2ch.net
75 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 15:07:59.77 ID:w+GwLOxA0
>>61
バションvsエリック、バションvsブラッシー
見てみたいな。
バションvsバーナード バションvsマーフィ バションvsブッチャー
バションvsコックス バションvsシーク バションvsブル・カリー
こういったクレージーファイター同士の異色カードも魅力的だな。
70年代のアントニオ猪木 21
496 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 16:20:24.65 ID:w+GwLOxA0
あの4分割のOP画面って、プロデューサーだった栗山が考案したらしいが、
新日初期の頃のOP見ると猪木と坂口が合流したばかりの黄金タッグの試合場面が
OPバックだったんだな。
4分割は異種格闘技場面も入ってるから77年頃からだろうと推測する。
あれはまさに猪木の名勝負・名場面がメインだから、あのOP画面が猪木絶頂期の象徴だよな。
象徴だったよな。
【プロレスファンの】国際プロレスpart5【桃源郷】 [転載禁止]©2ch.net
910 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 16:47:18.89 ID:w+GwLOxA0
>>908
78年頃のゴングでジョーの奥さんと子供が紹介されてたが結構美人だった。
幸せな家庭を築いてるんだな、と思ってたが95年ぐらいに製作された「プロレス
スーパースター列伝(漫画ではなくCS放送)」でジョーが「本当のジプシー」と
して車中泊生活のホームレスになっていたのを知って絶句したよ。
一応日本で成功したし、UHFのマイナーであれゴールデンタイムで全国放送
されてる団体のエースだった男がこんな落ちぶれて・・・。
やっぱりプロレスで成功した男は夢をファンに与えてしかりだよな。
ジョーは収入が苦しかったんだな。で、奥さんと娘はいなくなって。。。
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】 [転載禁止]©2ch.net
373 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 16:51:02.20 ID:w+GwLOxA0
70年というと馬場は32歳。
大相撲やボクシングみたいなガチ格闘技だともう引退か、という歳だが、
レスラーとしてはまだまだこれからという年齢だよな。
馬場は常々「レスラーとして最も脂が乗り切ってるのは36歳」と言ってたが、
その36歳の時馬場はNWAを獲ったが身体的には完全に下り坂だったわけだな。
70年代のアントニオ猪木 21
501 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 18:14:17.28 ID:w+GwLOxA0
>>498
場外フェンスも無かった70年代は場外乱闘になると必ずといっていいほど鉄柱攻撃、
椅子攻撃になり、結果流血するというシーンが多かった。
後のタイガーブーム以降は女子供も普通にプロレス見るようになり、やがて
今のようなマニアの世界になるのだが、70年代以前はプロレス=野蛮、残酷という
イメージでオッサンばかりが見ていた。
だからどこの家でも「親父がプロレス好きでさぁ、いつも母ちゃんが嫌がってて」
なんていうのが共通だった。
猪木は馬場より若者受けしたが、それでも藤波が台頭するまでは新日の客層も
中年オヤジばかりだった。
★☆【坂口征二】を熱く語ろう! 19 [転載禁止]©2ch.net
741 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 18:25:20.82 ID:w+GwLOxA0
坂口ってアンドレとかブッチャーとか、大型のパワーファイターとやらせると
活き活きとした豪快なスケールのファイトを気持ちいいぐらいやって、スカッと
するんだけど、試合運びが稚拙だから長時間間が持たない。
彼は柔道家なんだから、寝技で巧く時間を調整するなどすればいいのに、柔道を
プロレスに生かすセンスが足りなかったな。
結果、短時間でフォールされ、観客も「あ〜あ・・・」という溜息になる。
例えばスリーパーホールドなんて、猪木の「魔性のスリーパー」どこじゃなく
本家本元の柔道王のスリーパーを必殺技としてもっともっと使えばよかった。
ジャンピングスリーパーとか、スケールの大きさからいって坂口にぴったり。
、大外刈なんてのも大型の坂口が使えば必殺技にもなり得たし、見栄えも
よかっただろう。
投げ技が苦手な彼だが、裏投げとか練習すれば出来ただろ。
こういう柔道の魅力をプロレスにさっぱり反映させなかったところが痛かった。
昭和の全日本プロレスらしい外人レスラーを挙げろ [転載禁止]©2ch.net
157 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 18:39:30.17 ID:w+GwLOxA0
マードックはトルネードだったっけ?
コックス、マードックと素顔でエース張れる一流どころに無理くりマスクはめさせて
デストロイヤーの覆面10番勝負の数合わせってのもなんだかなw
ただコックスのザ・スピリットの黒覆面はコックスの残忍・陰湿キャラに合ってた。
つべでも上がってたが、轡田戦。覆面に凶器を入れてヘッドバッドは古典的な
覆面レスラーの反則技だが、これを執拗に徹底的にやって場内を静まり返すのは
コックスならではの残酷さだな。
70年代のアントニオ猪木 21
503 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 19:09:16.46 ID:w+GwLOxA0
だから80年代以降はオッサンファンが減ったからだろ。
70年代以前、つまり力道山から藤波ブーム前まではオッサン率がダントツ
だった。
必然的に会社帰りのスーツ姿のオッサンばかり目につくわなw
A猪木の試合で一番好きな試合
986 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 19:27:52.65 ID:w+GwLOxA0
猪木vsハンセンって結局、80年に集約されてたんだよな。
猪木vsシンばかりで飽きていた頃、ハンセンが台頭して新鮮だったが飽きられる
のも早かったかもしれない。
だから81年に移籍したのは丁度潮時だったかも。82年は猪木も病に倒れて
衰えたから名勝負は厳しかったろう。
かえすがえす、何度も語られるが猪木とシン、8年も「マンネリ」と言われながらも
ちゃんと集客してたのは凄い。
70年代のアントニオ猪木 21
506 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 19:49:02.15 ID:w+GwLOxA0
オッサンばかりの時代のプロレスって、入場曲もなし、イノキコールもなし。
大相撲みたいに個々で声援や野次を飛ばしながら、あとは黙々と試合を見てた。
昭和後期以降の華々しい、ミュージシャンのライブみたいな雰囲気とはまるで
違う別世界。
特にシンやバーナードみたいな狂乱ファイターが出てくる試合は流血の陰惨さと
会場の暗さがマッチして70年代ならではの独特の重苦しい雰囲気が漂って
いた。
会場が静かなので、猪木が「次はデスマッチで決着つけますッ!」なんて
マイクで叫ぶ声が不気味に木霊してた。
実況も舟橋と三浦というオーソドックスで地味なスタイルだったので沈黙も
多く、タイガーマスク以降の過激で明るくスポーティーな雰囲気とは正反対。
ただ、変に健康的で明るく過激にするより、地味で暗いが落ち着いて見られる
70年代の方が俺の性には合っていた。別に●●軍団とか、無理矢理作らなくても
そこそこの外人が来れば1しりーず十分持ってたし。
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】 [転載禁止]©2ch.net
389 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 22:29:27.41 ID:w+GwLOxA0
>>386
大木は長髪姿は見たことねぇけど69年ごろまでは禿げてなくて普通のスポーツ
刈りだった。甘いマスクでなかなかいい男だったな。
バーナードはデビュー当時はまだ髪があったが禿げかかっていた。
しかしあれで髪があれば普通の真面目なオッサンに見えた。
オックス・ベーカーもしかり。
馬場が短髪だったのは俺と同じく天パだったから。
天パだと伸ばすと管理が大変だから、短髪にしてる人が多い。
猪木も天パだったが、彼は長髪で髪が逆立ってる姿がかっこいいイメージ
として焼きついてるから、それがトレードマークになってたよな、70年代。
揉み上げもカッコよかった。
A猪木の試合で一番好きな試合
995 :お前名無しだろ[]:2015/07/12(日) 22:44:00.49 ID:w+GwLOxA0
藤原はブレイクした時期が遅すぎたよな。
既に日本人対決路線真っ盛りだったし、新日はタイトルはヘビー級は藤波のWWF
インターのみ。
北米タッグがあった時代だったら、健吾みたいにS・小林などと組んで挑戦、と
いう道が用意されてたかもしれないし、強豪外人と数多く対戦する機会にも
恵まれただろう。
あの木村健吾ですら、79年に凱旋帰国して北米タッグ挑戦、そしてNWAインター
ジュニアを巻いたというのに。
最も健吾は海外でもNWAライトヘビーも奪取してたり藤原とは比較にならない
実績を残してる。
藤原は確か、海外武者修行に出された時、一試合もせずゴッチの家に入り浸って
トレーニングしてたんだっけ?
それは自他共に評価されるべきところと勘違いしてるかもしれんが、プロとして
恥ずかしすぎる行動だよなw
マツダみたいにゴッチにマンツーマンで鍛えられ、それを糧にNWAジュニアを
獲ったとか、そういう実績を残すためのトレーニングなのに、藤原の場合
道場での極めっこの為のトレーニングだからw


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