- 【日本プロレス界の】ジャンボ鶴田56【エース】
134 :お前名無しだろ[]:2013/12/18(水) 01:03:09.88 ID:OoE6JmBo0 - 新日系前座に蹂躙される全日系エース
永源>>>鶴田(一喝されて何もできず家に帰って号泣。ソースは夫人の著書) 斉藤>>>三沢(ごく普通のバックドロップで即死。学生プロレス以下の受け身技術) 野地>>>杉浦(ノア最強の男が素人空手家に秒殺KO負け) 矢野>>>丸藤(エースがお笑い前座レスラーにクチャクチャにされる) 全日系って弱いですねw
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- 【日本プロレス界の】ジャンボ鶴田56【エース】
137 :お前名無しだろ[]:2013/12/18(水) 01:20:06.33 ID:OoE6JmBo0 - ジャンボ鶴田 捏造・経歴詐称の歴史
一回戦は、ポーランドの選手だった。さすがに共産圏の選手だ、強い。 二回戦は、レバノンの選手。動きがすばしっこくて、つかまえることができない・・・・。 あっという間に試合が終わった。 成績は七位だった。 『リングより愛をこめて』ジャンボ鶴田 1981年講談社 p39 ※自伝で全敗の最下位を7位と捏造 ・ミュンヘン五輪7位→捏造。五輪では2戦2敗 2警告失格負け=審判に注意されても前に出ないビビリ負け ・大学一年(1969年)でバスケ全日本入り→虚言。1969年のバスケ全日本メンバーに鶴田の名前はない。 ・バスケチームが弱くて五輪に出られないのでレスリングに転向した→捏造。バスケ全日本チームは 1969年のアジア選手権で2位。1971年のアジア地区予選で優勝しミュンヘン五輪に出場している。 ・ジャンボ鶴田公式に発表されている鶴田論文のなかでアマレス時代のライバルだった磯貝選手の戦績を 実際には一勝しているにも関わらず全敗と捏造。二戦二敗で失格の自分は「二回戦敗退」とだけ強調し、 さりげなく全敗をぼかす。 ・修士論文で、東スポ桜井康雄氏の記事を盗用。 ・プロレス引退会見でポートランド州立大学教授就任と発表→詐称。自費による単なる留学。 ・中学から6年バスケを続けて全日本入りできず。柔道は選手層が厚いので層の薄いアマレスへ転向 ・アマレスの社会人選手権3位入賞は3位決定戦の相手が棄権したタナボタ。 ・71年度全日本選手権グレコ優勝は出場者が鶴田一人。なんと一試合もせずに日本一! ・71年度全日本選手権フリー優勝は出場者3人。なぜかレスリング経験のない柔道部員が2名と鶴田だけ。 ・国体優勝は出場者が4名。学校の先生が2名と自営業者が1名と鶴田。 ・174pの矢田選手にフォール負け ・181pの磯貝選手に一度も勝てず ・世界選手権は4戦4敗。国際試合では全敗!
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- 【日本プロレス界の】ジャンボ鶴田56【エース】
138 :お前名無しだろ[]:2013/12/18(水) 01:20:37.80 ID:OoE6JmBo0 - 鶴田さんて臓器売買したの?
・肝臓移植のドナー待ち期間は平均2年以上、長い人は10年以上 ・もちろん鶴田はそれを知っている ・ドイツでもアメリカでも移植手術は受けられず ・「うちにはお金があるんだから早めることもできるよね」とフィリピンへ渡った(息子が明言) ・フィリピンに入って1週間でドナーが現われ臓器移植 ・ドナーは頭を撃ち抜かれた少年 ・当時の肝臓移植は、ドナーが死亡後、摘出、移植までを6時間以内に完了しなければならなかった ・ということは、少年の死亡→検視→適合検査→鶴田に適合とわかる→鶴田のいる病院へ搬送→ 摘出→移植までを6時間以内に行ったのだろうか? ・そもそもフィリピンで事件に巻き込まれて殺害される少年がドナー登録していたのだろうか? ・肝臓移植手術は日本では500万程度。 物価が日本を遥かに下回るフィリピンで3000万円の手術費(現地換算では2億4千万) ・臓器移植でも難しい部類の肝移植ではドナーとレシピエントの適合は厳しく調査されるはずなのに、 「血管の太さが合わず」失血死というおそまつ ・何より鶴田は経歴詐称、論文の盗用を平気で繰り返し、ライバルの戦績を改ざんした人間のクズで、 ・肝炎が発覚してからも「相手に感染してもいいや」とばかりに流血戦を繰り広げた利己的な人間である 臓器売買確定ですねえ(・∀・)ニヤニヤ
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- 【日本プロレス界の】ジャンボ鶴田56【エース】
140 :お前名無しだろ[]:2013/12/18(水) 01:26:21.48 ID:OoE6JmBo0 - 以上と以下の意味も知らず、引用のルールが2年間理解できず、携帯の改行もできず、
新聞を読まないので山中教授と森口の区別もつかず、 ピンポンの非常勤講師が客員教授より格上と思っている鶴ヲタも汚点
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167 :お前名無しだろ[]:2013/12/18(水) 22:53:33.90 ID:OoE6JmBo0 - 藤波:NWA王者で客員教授で、息子は父の意志を継いでプロレスラーデビュー
鶴田:NWA王者に一度もなれず、客員教授を詐称、息子は無職 (おまけに息子も鶴田の経歴を「元教授」と詐称) 違いすぎwww
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168 :お前名無しだろ[]:2013/12/18(水) 22:54:26.86 ID:OoE6JmBo0 - ジャンボ鶴田 捏造・経歴詐称の歴史
一回戦は、ポーランドの選手だった。さすがに共産圏の選手だ、強い。 二回戦は、レバノンの選手。動きがすばしっこくて、つかまえることができない・・・・。 あっという間に試合が終わった。 成績は七位だった。 『リングより愛をこめて』ジャンボ鶴田 1981年講談社 p39 ※自伝で全敗の最下位を7位と捏造 ・ミュンヘン五輪7位→捏造。五輪では2戦2敗 2警告失格負け=審判に注意されても前に出ないビビリ負け ・大学一年(1969年)でバスケ全日本入り→虚言。1969年のバスケ全日本メンバーに鶴田の名前はない。 ・バスケチームが弱くて五輪に出られないのでレスリングに転向した→捏造。バスケ全日本チームは 1969年のアジア選手権で2位。1971年のアジア地区予選で優勝しミュンヘン五輪に出場している。 ・ジャンボ鶴田公式に発表されている鶴田論文のなかでアマレス時代のライバルだった磯貝選手の戦績を 実際には一勝しているにも関わらず全敗と捏造。二戦二敗で失格の自分は「二回戦敗退」とだけ強調し、 さりげなく全敗をぼかす。 ・修士論文で、東スポ桜井康雄氏の記事を盗用。 ・プロレス引退会見でポートランド州立大学教授就任と発表→詐称。自費による単なる留学。 ・中学から6年バスケを続けて全日本入りできず。柔道は選手層が厚いので層の薄いアマレスへ転向 ・アマレスの社会人選手権3位入賞は3位決定戦の相手が棄権したタナボタ。 ・71年度全日本選手権グレコ優勝は出場者が鶴田一人。なんと一試合もせずに日本一! ・71年度全日本選手権フリー優勝は出場者3人。なぜかレスリング経験のない柔道部員が2名と鶴田だけ。 ・国体優勝は出場者が4名。学校の先生が2名と自営業者が1名と鶴田。 ・174pの矢田選手にフォール負け ・181pの磯貝選手に一度も勝てず ・世界選手権は4戦4敗。国際試合では全敗!
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