- 馬場さんと猪木さんはどっちが強いの?
596 :お前名無しだろ[sage]:2011/04/09(土) 00:15:38.59 ID:rsCgX9nP0 - 馬場は1961年から1963年までアメリカを武者修行したけど
猪木は1964年からアメリカに渡った ここで二人の価値観が、生い立ちや少年時代、入門直前のいきさつ などと同じぐらい乖離したものになったと思う 日本にプロレスを定着させた力道山はサンフランシスコ・マット界を中心に コネクションを構築したけど(1953年〜1954年) シスコ・マットは馬場がアメリカに渡った頃にはもう衰退していてほとんど話題にもなっていない 馬場はNY、シカゴ、デトロイト、トロント、ロスを主な戦場にしていたが 力道山初渡米時代には活況だった地区で、馬場の頃には落ち目だった地区はすでにたくさんあった テレビの黎明期は三大ネットワーク(これすら有名無実なんだけど)が好んでオンエアしたという プロレスというコンテンツは60年代初頭から急速にローカル化、マイナー化していく 馬場には商品価値があったから盛況な地区に招かれ、自分でその盛況な地区を 自らの「王道」の原点にしたんだと思う しかし憧れてアメリカに渡った猪木には米マット界のマイナー化と寒さが待っていた 馬場ほどひと目での商品価値のない猪木(つづけて見て貰えれば価値も理解されようが)には 馬場ほど活況な地区ばかりで試合するという幸運はなかったはずだ 「これじゃプロレスだめじゃんか」っていう猪木の思いは馬場には伝わらない それほど崇高な理想が猪木にあったとは思えないが NWAやそれらの王者と相対した形でしか王道を表現しない馬場に 憤りというか、もっと危機感をもってくれという気持ちはあったはずだ 高給にあぐらかいてる日プロ時代の馬場に、「業界衰退」の未来を見たかも知れない しかし馬場は「俺はおまえと違ってアメリカで超一流だったんだよ」というアイデンティティがある 新弟子時代の待遇の違いも大きいが、初のアメリカで見た世界の違いというのも 二人のプロレス価値観の乖離には大きく影響を与えたと思う
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- プロレススーパースター列伝ふうに語ろうぜ!
147 :お前名無しだろ[sage]:2011/04/09(土) 00:27:26.21 ID:rsCgX9nP0 - >>145兼>>146
「グフフフッ…おまえさんがお元気でけっこうだったぜ なぜならこの前、中途半端になったアックスボンバーを 今度こそ改めてプレゼントできるからな!」 ドドドド バウン バアン べカ! でたあッ、ふたたびアックスボンバー!! >>145「ホゲェ〜〜〜〜〜ッ!!」 「野郎ッ、今度こそ覆面をヒン剥いてやる!」 >>1「や、やめてくれッ、懐かし漫画板とはちがい、ここは(以下ry
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608 :お前名無しだろ[sage]:2011/04/09(土) 01:38:14.53 ID:rsCgX9nP0 - 俺は83年頃、日テレがダイジェストで流した日プロ時代の
馬場のインター戦ハイライトを見て(鶴田のインター奪取あおりVだったと思う) 「馬場の全盛時代って凄かったんだ!!」って思った でもそれはあくまで編集されたハイライトでしかなかった いまYOUTUBEなんかで見れるあの時代の馬場のファイトは ところどころ豪快ではあるけど、フィジカルまかせの単調さが気になるんだよ それに今見るととても間延びしている(サンマルチノ戦、リソワスキー戦など) シングルマッチの静かな攻防での張り詰めたような空気感を出すのは 確かに猪木のほうがうまいことはうまい(馬場にその能力が皆無ということはないと思う) それは強い、弱いということじゃなくて そういう客の目に立った演出が出来てるかどうかという話でしかないけどね 確かに馬場vsレイス戦なんかは静かな中にも確かに「攻防」を感じられるよ でも猪木から見たら「もう根底からダメなもの」にしか見えないのかもな
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609 :お前名無しだろ[sage]:2011/04/09(土) 01:38:40.36 ID:rsCgX9nP0 - 今思ったんだけども、力道山時代ってWリーグ戦以外は巡業に大したメンバー揃えてないでしょ
それが彼の死後、豊登エース時代から外人の顔を揃えるようになっていく で、馬場がインター獲ったあと初のWリーグ戦(S41)は、これまたメンバーいまいちで 客の入りが全国どこでも悪かったんだよね で、またまた超豪華外人を揃えるのに日プロ首脳はふんどしを絞めてかかるんだけども アメリカで「超一流」と言われてもドマイナーな当時の全米プロレス界に 「依存」してかかっても、そんなの付け焼き刃じゃないかっ!って猪木は考えたかもね だって力道山は外人に依存して集客してたわけじゃなく(そんな時期もあるけど) ワンマンで誰とやっても「力道山ワールド」を演出できてたんだから 猪木はそれができて「はじめて真のスーパースターである」と考えて 自分もその世界を構築していったんだと思う アメリカ依存型の馬場式、渋谷〜代官山時代の日プロ方式には必ず頭打ちが来るとね 事実、どんだけ豪華メンバーそろえても全日本は新日本に水をあけられていったからね
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612 :お前名無しだろ[sage]:2011/04/09(土) 01:54:04.42 ID:rsCgX9nP0 - >>611
そうなんだよ 言われているほど全日旗揚げ後の馬場のファイトはかなりきめ細かいよね (とくにオープン選手権から以降のレイス戦は俺的にはハズレないよ) でも、伝説化している日プロ時代のほうが これまた言われてるほどには、どうも「イマイチ」なんだよ キニスキー戦なんかの延々としたドツキ合いは確かにスペクタルではあるけどね 確かに相手のキャラにもよるけど、それまさにアメリカ依存式じゃないかって思うんだよ ニックの「ジルバで来ればジルバで、ワルツでくればワルツで」は名人芸なんだけど あの人は超ヒールというか、モースト・ヘイテッド・チャンピオンだからねw 鶴田はまさに馬場の悪いコピーだね とくに30歳こしてからそれが強くなってる
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616 :お前名無しだろ[sage]:2011/04/09(土) 02:08:06.95 ID:rsCgX9nP0 - >>613
そのスナイダーとモラレスがお客に伝わらなかったんだよ 翌S42年はデストロイヤーという看板が上記の二人よりは機能した (あくまで上記の二人よりはだけども) エリックやリソワスキー呼んでるときも東プロ、国プロに 明らかに意識してぶつけてきてるしね >>614読んでて思ったんだけど、日プロ時代の猪木の ドン・レオ・ジョナサン戦やゴリラ・モンスーン戦、エリック戦なんかが見てみたいよ 古き佳きデカくて凄い奴と、若い頃の猪木はどう演じようとしたのかね
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619 :お前名無しだろ[sage]:2011/04/09(土) 02:38:28.54 ID:rsCgX9nP0 - でも馬場って、全日本の世界最強タッグの最終戦で
公式戦セミに回ったほうが引き分けでポイント伸びず脱落して 公式戦メインのほうが辛うじてポイント加算して優勝決定というのを 性懲りもなく延々とやってたねw (95年頃の三沢小橋時代に最終戦は公式戦なしで上位2チームによる決定戦方式導入までは) それのアレンジでセミが勝利でポイント加算も、メインで勝ったチームが逃げ切り優勝とか 一点差で勝たなきゃ優勝できないチームと、引き分けでも優勝のチームの どちらも顔が立つようにしてのいろんなパターンがあった 一番多いのはセミが両リン、メインで勝負がきまって優勝決定のパターン (80年、81年、83年、84年、85年) あれって猪木と優勝を分け合ったS44とS46のWリーグ戦最終戦で出てきたパターンだよね 馬場にはあれがひとつの様式美だったのかな?
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621 :お前名無しだろ[sage]:2011/04/09(土) 03:00:25.34 ID:rsCgX9nP0 - 空中胴締め落としが勢いあまってトップロープでノドを痛打とか
(鶴田の大試合敗北はほとんどこれ絡みww)、 ニークラッシャーと見せかけてのバックドロップでフォール負けとか トップロープからのダイビング・ボディ・アタックを 食ったほうがくるりと体を一回転させてフォール勝ちとか あっ…鶴田絡みばっかww
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