- 【民主党】 ビラ配布 「誤解しないでください。子ども手当は存続します」
43 :名前をあたえないでください[]:2011/08/18(木) 04:26:26.93 ID:KJDRvTwa - 民主党大敗北
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- 【社会】霊感商法「神世界」トップらに逮捕状 被害者は全国に数千人、総額250億円
24 :名前をあたえないでください[]:2011/08/18(木) 04:27:00.04 ID:KJDRvTwa - >>11
俗衆増上慢乙
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- 【国際】ゴルバチョフ氏、プーチン氏の返り咲きに懸念「最高指導者は交代しなければならない。権力を去らねばならない時がある」/ロシア
16 :名前をあたえないでください[]:2011/08/18(木) 04:32:28.04 ID:KJDRvTwa - SGI会長
歴史を創るのは民衆 人間主義しか道はない ゴルバチョフ総裁 貧困を見捨てぬ世界へ再構築 ライサ夫人 私は希望を手放さない! あきらめない人が最後の勝者 池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は9日午後1時半前から、 明治大学等の招聘で来日中の元ソ連大統領であるゴルバチョフ氏(ノーベル平和賞受賞者)と渋谷区の東京国際友好会館で再会し、 約1時間にわたり親しく語り合った。両者の語らいは、2年6カ月ぶり10度目。氏は現在、 「社会・経済・政治研究国際財団(ゴルバチョフ財団)」総裁として世界を奔走。平和・核軍縮等に尽力する。 席上、逝去から10年を迎えたライサ夫人の思い出をめぐり、語らいが広かった。さらに「ベルリンの壁」崩壊20年にあたり、 今後の情勢を展望。世界を襲った経済危機の原因に迫るなど、話題は縦横に。約1時間にわたった会見は、 人類が歩むべき21世紀の道を照らして──。会見には、総裁の令孫のアナスタシアさん、 同財団のパラシチェンコ国際交流・広報部長、ポリャコフ補佐官、学会の原田会長、江藤・池田(尊)副会長が同席した。 池田SGI会長 ようこそ、お越しくださいました! お会いできてうれしいです! ゴルバチョフ総裁 私も本当にうれしいです! ──出会いの瞬間、トレードマークの“ゴルビー・スマイル”を満面に浮かべた総裁。 さらに総裁は、一段と笑顔をほころばせながら、「孫娘のアナスタシアです」と同行の令孫を紹介した。 「お会いできて、うれしいです! 以前にもお会いしました。お久しぶりです!」──あいさつする令孫のアナスタシアさん。 そのはつらつとした声が、出会いの劇に、みずみずしい彩りを添える。 「ようこそ! ようこそ! お元気でうれしい、うれしい」と会長も何度も喜びを。
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- 【国際】ゴルバチョフ氏、プーチン氏の返り咲きに懸念「最高指導者は交代しなければならない。権力を去らねばならない時がある」/ロシア
17 :名前をあたえないでください[]:2011/08/18(木) 04:33:19.41 ID:KJDRvTwa - 追悼文集の最初に真心の一文が
2年6ヵ月ぶり、10度目の出会い。 この日も麗しい家族の語らいが花開いた。 多忙な総裁を気遣いながら、「きょうは、わが家に帰ってきたと思って、ゆっくりしてください」と語る会長。 さらに会長は、総裁の胸に手をあて、逝去から今年で10年を迎えたライサ夫人を偲びながら、こう語った。 「私の妻も、きょうは朝から、奥様(ライサ夫人)との思い出を懐かしそうに話しておりました。 本当に奥様のことが大好きでした。心から尊敬していました。 きょうは、本来ならば妻も出席したかったのです。 しかし、総裁とお会いすれば(ライサ夫人のことを思い出して)涙が出てしまうからと、参加を控えさせていただいたことを、ご了解ください」と。 その瞬間、込み上げる思いを抑え切れない様子で、目頭を熱くした総裁。周囲にも深い感動が広がった。 席上、総裁は大切に持っていた1冊の本を取り出した。それは、ライサ夫人の逝去10年に寄せて発刊された「追悼文集」であった。 総裁は、澄んだ眼で、まっすぐに会長を見つめながら語った。 「この追悼文集は、娘のイリーナが、親しい友人だちと一緒につくったものです。この本には多くの人の文章が載っていますが、 一番最初に収められているのが、池田会長の文章なのです」 そして総裁は、その場で、本の扉のページに、次のように感謝の言葉を綴った。 「親愛なる池田大作会長、香峯子夫人」 「温かい友情と、深い追悼文を寄せてくださったこと、すべてに感謝します」 その文集を手渡すと、会長は「光栄です。うれしいです。素晴らしい“宝”です」と深い感謝を。 追悼文集を開くと、最初のページを飾っているのが、総裁夫妻と会長夫妻の写真──。 1997年に関西創価学園を訪れ、学園生に笑顔で手を振る場面である。 その写真とともに、SGI会長の一文(『人生は素晴らしい』〈中央公論新社刊〉に収録されたライサ夫人の人物エッセー)が掲載されている。 追悼文集には、ほかにも、フランスのミッテラン元大統領夫人、イギリスのサッチャー元首相、 統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領など、総裁夫妻と深い親交のあった著名な人物の寄稿が収められている。
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- 【国際】ゴルバチョフ氏、プーチン氏の返り咲きに懸念「最高指導者は交代しなければならない。権力を去らねばならない時がある」/ロシア
18 :名前をあたえないでください[]:2011/08/18(木) 04:34:01.95 ID:KJDRvTwa - 一家の勝利は夫人の勝利!
会長 ライサ夫人は、世界中の女性に愛された方でした。 総裁 その通りです。私よりも、彼女のほうが、愛されていたと思います(笑い)。 会長 本当に、聡明で、美しい女性でした。博学で、謙虚な指導者でした。優しく、そして強い母でした。 ライサ夫人は、綴っておられました。 「私がいつも願うことは、主人が知り合った若い頃のままでいてほしいということです。 勇敢で、たくましく、かつ心優しく。そして、好きな歌をまた歌えるように、好きな詩を朗読できるように、今までのように屈託なく笑えるように、願っています」と。 このライサ夫人の願い通り、総裁は、元気で、お嬢さん、お孫さんと行動を続けておられます。 ご一家の勝利は、ライサ夫人の勝利です! 総裁 ありがとうございます。ご紹介してくださった言葉はごライサが生前の手記の中に書いた言葉です。 私たちの人生には、劇的なことがありました。ロシアにも、たくさんの辛いことがありました。 そのすべてを彼女は、わが事のように一緒に苦しみ、乗り越えてきたと思います。 ──ライサ夫人には『私は希望をもつ』と題する著作がある。 総裁は、さらに夫人が生前、新たに本を書きたいと願い、たくさんの資料を収集し、すでに各章の名前まで決めていたことを紹介。 ライサ夫人が一枚の紙に赤い字で「何のために心が動いたか」との言葉を残していたことに触れ、 これを本のタイトルにしたかったのではないかと思うと語った。そして、彼女の代わりに、私か長生きをして、後世に本を書き残したいと述べた。 かつて錦秋の関西創価学園を訪れたライサ夫人は、学園生にこう呼びかけた。 「人生には、さまざまな痛手を受けることがあります」 「しかし『達成できる何か』はあります! 何か『実現できる夢』は必ずあるのです! だから、最後に勝利する人とは、たとえ転んでも、立ち上がり、再び前に進む人です」 この夫人の言葉は、創価の友への希望のメッセージとなって、今も光り輝いている。
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- 【政治】 菅が総辞職する本当の理由
92 :名前をあたえないでください[]:2011/08/18(木) 19:17:41.56 ID:KJDRvTwa - 真言亡国、亡国総理、菅直人
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- 【政権公約見直し】 田中康夫氏が批判 「民主党に票を投じた人への背信行為だ」 「スターリンや毛沢東ですら驚くのではないか」
66 :名前をあたえないでください[]:2011/08/18(木) 19:23:35.80 ID:KJDRvTwa - 田中康夫の発言
@「脱ダム宣言」は「脱ムダ宣言」=(公共事業のムダを省く) 現実 ■県内景気に大変な悪影響334件もの倒産(建設業)、リストラが激増 ■浅川のダム建設を直前にとりやめ、治水策代替案は一切出さず
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- 【政権公約見直し】 田中康夫氏が批判 「民主党に票を投じた人への背信行為だ」 「スターリンや毛沢東ですら驚くのではないか」
67 :名前をあたえないでください[]:2011/08/18(木) 19:24:19.27 ID:KJDRvTwa - 田中康夫の発言
A「長野県知事時代、全国で唯一6年間連続で借金を減らしました」 現実 ■単なる言葉のまやかしで、実情は積立金509億円を切り崩しただけ
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- 【政権公約見直し】 田中康夫氏が批判 「民主党に票を投じた人への背信行為だ」 「スターリンや毛沢東ですら驚くのではないか」
68 :名前をあたえないでください[]:2011/08/18(木) 19:24:53.60 ID:KJDRvTwa - 田中康夫発言
B「自民党は各種支援団体の派遣社員、新党日本を除く、他の野党も各種組合の派遣社員。新党日本はしがらみもなれあいもありません」 現実 ■自ら批判している民主党に全面的に応援してもらうのはどこの誰か。自力で勝てない新党日本・田中康夫は所詮、民主党の派遣社員でしかない
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- 【政権公約見直し】 田中康夫氏が批判 「民主党に票を投じた人への背信行為だ」 「スターリンや毛沢東ですら驚くのではないか」
69 :名前をあたえないでください[]:2011/08/18(木) 19:25:32.34 ID:KJDRvTwa - 田中康夫の発言
C「阪神淡路大震災でボランティア活動したことが政治家を志す原点」 現実 ■しかし知事時代に長野県全域で起きた、死傷者50名以上を出した1・27豪雪災害の時、 すぐに駆けつけず、東京で選挙応援に明け暮れていた。 ■知事時代、豪雪によって陸の孤島になってしまった地域があるとの報告を受けた日、 長野には戻らず、東京で温泉と岩盤浴を楽しんでいた(自著より)
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