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【松井優征】逃げ上手の若君 part16

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【松井優征】逃げ上手の若君 part16
424 :名無しさんの次レスにご期待下さい[sage]:2021/10/28(木) 02:35:12.89 ID:k4Z1d1u1
>>419
民主主義なんてそもそもシステムに根本的な欠陥があるんだから
どこの国でもうまく行かんわな

ついでに言えばかつて中世の時代までヨーロッパでは
王侯貴族−農奴による強固な封建制度が成り立っていた。
商人らは各地の王侯同士を戦わせる事で国力を疲弊させ
多額の出費に苦しむ彼らに多くの金を貸し付けて私服を肥やしていた。

更には「十字軍遠征」というイベントを作り出して更なる出費を唆し、
ヴェネツィアの黒い貴族たち(金融寡頭勢力)たちは
それに用いる多額の資金を貸し付けて、王侯貴族はむろん
絶対的宗教指導者である教皇すらをも奴隷にした。

しかしそれだけでは飽き足らず、悪魔から託宣を受けた彼らは自らが支配者になるため
今度は各地の井戸にアフリカ船から持ち込んだネズミの死骸をユダヤ人を使ってブチ込んで
イタリアを起点に、フランス、ゲルマンと感染地域を広め
ヨーロッパ全土に人工的に黒死病を大流行させた。
すさまじい病禍が人々を襲った。

結果3分の1もの人間が死亡し、神が何も救いの手を差し伸べない事に
人々は絶望して教会の求心力は低下し、農奴は農地を放棄して逃散し
領主は領民と税収を失って力を失った。

ユダヤ人らは無関係の人間までペストを流行させたというデマを着せられて弾圧されたが
元々人々から隔離された壁に囲まれた被差別区域に住み、清潔な生活を送っていたため
その他の民族に比べて比較的死者が少なかった。
【松井優征】逃げ上手の若君 part16
425 :名無しさんの次レスにご期待下さい[sage]:2021/10/28(木) 02:36:20.65 ID:k4Z1d1u1
永遠に続くと思われた恐ろしい病禍だったが、
不思議なことに2年経過すると、ウソのように姿を消した。
何ひとつ特効薬があったわけでも、有効な感染予防対策を打ったわけでもないのにだ。

多くの人々が災いに巻き込まれた一方で、商人たちはウハウハだった。
それまでは基本的に下層の人々は物々交換しており
貨幣というものはごくごく一部の地域でしか使用できない限られた取引手段だったが
人々がそれまでの住まいを離れて別の領地や国で暮らす事が多くなった事によって
物々交換から貨幣の使用へと商業手段がシフトし、通貨が広域で流通するようなり
商人たちの手取りも多くなったからだ。
新しいシステムが作り出され、中世の時代が終わって近世へと移行した。

続いて大航海時代が到来し、承認たちは世界中にその手を延ばしていった。
17世紀にロンドンのゴールドスミスが金匠手形を発行して紙幣の元になり
銀行を母体としてユダヤ人らはその勢力を強めていった。
その間何度もペストを人工的に流行させ、そのたびに貨幣制度への移行は進んでいった。

矢島鈞次氏の『十字軍と黒死病』は、
黒死病がいかに中世の強固で絶対的だった封建的荘園経済を破壊し、
『資本主義経済』へと移行する契機となったかを論証した労作だ。

黒死病を境に領主と小作人の関係や個人的権利義務の観念が希薄になって、
「契約的な取引関係」が生じてくる。
ここから農民の労働が商品化される流れが誕生し、
やがてその捉え方がマルクスの「対象化された労働」の概念に発展していく。

結局、黒死病は流血の革命を経ることなくして
農奴を解放する重大な役割を演じたことになる。

農奴たちは多少の自由と引き換えに封建領主の下僕を脱し、
今度は金融資本家たちの下僕へと移行する事になった。

ここから近代資本主義的農業経営が始まる。
黒死病がヨーロッパ近代化の扉を強引にこじ開けたのである。
【松井優征】逃げ上手の若君 part16
426 :名無しさんの次レスにご期待下さい[sage]:2021/10/28(木) 02:47:48.68 ID:k4Z1d1u1
もし黒死病がこれほど大規模に広まり
欧州全土を舐め尽くす事がなかったのなら
封建支配制度はあと何百年も続き、
近世が訪れるのは非常に遅くなっていた事だろう。

そしてヨーロッパの大航海時代の幕開けによって
異文化に刺激され、その技術や思想を取り込んだ事に始まる
欧州以外の地域の近代化も、同様に何百年も遅れていただろうと考えられる。

日本にしても貨幣制度が顕著に広がったのは
ヨーロッパ船が到来して以降で、中世の時代など
貨幣は都などでは通用するものの、地方の田舎では
到底使う事もできないような代物だった。

貨幣経済を確立させたのは結局のところ
ユダヤを中心にしたヨーロッパの黒い貴族たちの功績だ。
ついでに言えば古代日本で貨幣経済を担っていたのもユダヤ人だ。

更に時代が下ると商人たちは用済みになった王侯システムそのものを
革命を起こさせて崩壊させる方向に移行し、
民主主義体制へと移行させていく。
更には教会の権威そのものを喪失させるため、啓蒙主義者らによって徹底的に教会を叩かせ、
代替信仰としてルシファー信仰に端を発する科学教を広範囲に広めていった。
それによって近代の扉が開く。

「自由」「平等」「博愛」を合言葉に革命が齎されたが、
「博愛」という耳に心地よいキリスト教的思想の皮をかぶって人々を騙す一方で
「平等」とは自然の仕組みに反する妄想に過ぎず
「自由」や「独立」とはサタンの思想そのものだ。
(キリスト教の言う「自由」とは信仰に限定したものにすぎず、こんにち言われる自由とは異なる)
啓蒙主義の本質は悪魔教と言っていい。
【松井優征】逃げ上手の若君 part16
428 :名無しさんの次レスにご期待下さい[sage]:2021/10/28(木) 03:02:27.37 ID:k4Z1d1u1
そのようにした齎された民主主義社会だが、その本質は人類の家畜化支配であり
偽の平等と偽の民意政治によって社会の真の支配構造や、
真の支配者の存在から人々の目を反らすためのシステムであって
本当に民意によって国が経営されているわけではない。

現代はかつてないほど商人(巨大資本)の影響力が増大した時代で、
銀行や資本家に操られる政治家や役人が国を統治し、
同じく支配下にあるメディアが人々を躍らせて操るシステムだが
資本家の頂点であるロックフェラー、ロスチャイルドら大財閥の総帥や
各国の王族たちですら真の支配者ではなく、
真の支配者は更にその上にいるのだが、それについては長くなるので省く。

もっといえば太古から現代まで裏の支配者は変わってはいない。
人類の歴史は偶然の連続を装って全て彼らの筋書き通りに移行してきたにすぎない。
今後もそれは変わらない。


ついでに古代日本の貨幣経済とユダヤ人について述べると
日本で最古の通貨である和同開珎を作ったのは羊太夫というユダヤ人だ。

古代の栃木や群馬の辺りでは大陸から渡来した秦氏たちが多く居住し
羊を放牧して生活していた。
奈良の「正倉院」の掛布屏風袋の銘紋に、「上野国多胡郡山部郷戸主秦人」とあり、
上野国の多胡郡に住んでいた秦氏から献上された品である事が明記されている。

日本の古代法典『延喜式』(967年)には下野国(栃木県)で作られた毛織物の記述があり、
大陸で羊毛を紡ぐのに使う『紡錘車』も遺跡から多く発見されている。
東京・上野の国立博物館にも奈良時代(8世紀)に下野国で作られた
羊毛の氈(カーペット)がいくつか保存・展示されている。
当時飼育されていた羊はイスラエル原産の「アワシ」と呼ばれる羊で
中国華北では「寒羊」と呼ばれていた種である事もわかっている。

現在の群馬県多野群吉井町の辺りは昔 『多胡群』という地名だった。
『多胡』とは、中国の遥か西方から渡来してきた住民が多数住んでいた事に由来する名だ。
奈良時代、聖武天皇の頃にこの多胡群を統治していた伝説的な豪族が羊太夫だ。
【松井優征】逃げ上手の若君 part16
429 :名無しさんの次レスにご期待下さい[sage]:2021/10/28(木) 03:03:58.36 ID:k4Z1d1u1
彼は武蔵国秩父郡で和銅(ニギアカガネ)を発見し、朝廷に献上した功績で、
多胡郡の郡司を任せられ、この発見により年号が「慶雲」から「和銅」(西暦708年)に改められた。
更に彼は日本で最初の流通貨幣と言われる「和同開珎」を作り出した。

羊太夫は造幣局長官として関東と畿内を行き来する多忙な生活を送っていたが、
その際に立ち寄っていた屋敷が、今では羊太夫を祀る『羊神社』(名古屋市北区辻町)として残っている。

羊太夫の墓からは十字架と「JNRI」と書かれた銅板が発見されている。
これについては江戸時代の大名であり学者だった松浦)静山 (1760〜1841) の著書
『甲子夜話(かっしやわ)』に以下のように記されている。

『上州(群馬県)多胡郡の碑にある「羊」とは、遣唐の人だろう。 
 後に、彼の墓から十字架が発見された。
 そこでこれを不思議に思った上州の代官が
 長崎屋の旅舎でオランダ商人のイサク・ティツィングに見せた』

『先年、上野国の多胡羊太夫の碑のかたわらから石槨を掘り出したが、
 その中から古銅券が出た。
 その表題の字が“JNRI”となっている。
 この蛮文(外国の文字)について、ある人がその後蛮書『コルネーキ』を調べた。
 すると、イエス・キリスト処刑の図の十字架の上に、
 この4字が書かれているのがわかった』(現代語訳)

 JNRIとはラテン語の「Jesus Nazarenus, Rex Iudaeorum」(ユダヤ人の王ナザレのイエス)
 の頭文字を並べたものだ。
 Jesusという字の代わりに、Iesus(イエスズ)という名が用いられた、
「INRI」と書かれた四文字もヨーロッパではよく用いられていた。

 INRIのNは「ナザレ」の頭文字「ナ」なので、これを略して
 古代日本では秦氏たちがイエスの事をINRI(イナリ)と呼んでいた。
 イエスはパンを増やし人々に与えて餓えを満たした食物の神でもあるからだ。
【松井優征】逃げ上手の若君 part16
430 :名無しさんの次レスにご期待下さい[sage]:2021/10/28(木) 03:18:26.30 ID:k4Z1d1u1
京都では8月16日、お盆の送り火として、
大文字山に巨大な「大」の字を火で浮かび上がらせる事は有名である。
これは一般には室町時代〜江戸時代初期に始まった風習であると伝えられる。

しかし高野山真言宗の阿刀弘文僧正によれば、
これは9世紀に弘法大師空海が始めたものであるという。
景教研究家のエリザベス・ゴードンは、「空海は大陸で学んだ
景教(キリスト教ネストリウス派)の習慣を仏教に取り込み、
これが送り火の元となった」としているが、阿刀僧正もこの説を支持している。

しかし更に元を辿ればこの風習は西暦721年、亡くなった羊太夫を弔うため
群馬県多胡の地で行われたものだ。
多胡では8月16日に城山という山の斜面に文字の形に火を焚く。
その形は「大」だったり「天」だったり、
また雨の少ない年は雨乞いの意味を兼ねて「雨」だったりする。
今は麓で盆踊りが行われ、仏教式に108燈が用いられるが、昔は12束の藁だったという。
イスラエル12支族か12使徒を意味していたのだろう。

9世紀に空海が多胡の地を訪れた事が記録に残されている。
元々空海を唐に渡海させるため、膨大な資金援助をしてきたのが秦氏一族だった。
キリスト教徒でもあった空海は、多胡の地に多く住む、キリスト教徒であり
探鉱技術に精通した秦氏を求めてこの地にやってきたとみられる。

その際にこの地における送り火の風習を取り入れ、
京に大文字焼きが伝わったようだ。

ついでに空海は大陸から持ち込んだ密教 (ヒンドゥー教呪術を取り込んだ仏教)における
カーリーの侍女で、ジャッカルの群れを従えて人肉を食らう鬼女・ダーキニーと、
ウカノミタマなどの穀物神と習合したイナリ(イエス・キリスト)信仰をかけ合わせ
むりやり稲荷神をダキニ天信仰に作り変えてしまった。
ちなみに日本にはジャッカルが棲息していないので、代用品として
全く関係ない狐が稲荷神の遣いという設定になった。
【松井優征】逃げ上手の若君 part16
433 :名無しさんの次レスにご期待下さい[sage]:2021/10/28(木) 03:42:47.65 ID:k4Z1d1u1
683年頃に日本で最初に作られた貨幣であり
呪術に用いられた「富本銭」もユダヤに関係している。
https://www3.boj.or.jp/maebashi/page/image/fuhonsen.bmp

見てわかる通り「本」の字が「木」に一本横木の本来の形ではなく
「大」の字と「十」の字が分かれた形になっている。

「大」は人間が五体を広げた象形文字で
「十」と重なっているのは、この貨幣におけるこの字が
「十字架に磔にされたある人物」をさしているためだ。

「ヨハネの黙示録」ではその人物は右手に七つの星を持ち、
七枝の金の燭台を持つと書かれる。
その意味については
「七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である」(1章20節)
とある。

富本銭の左右に7つの星が書かれているのはこれを指している。
その後に造幣された古代貨幣も裏にはユダヤがいる。


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