- 京都市内の道路事情・道路整備について Part18 [無断転載禁止]©2ch.net
23 :R774[sage]:2016/07/23(土) 03:13:24.32 ID:UtAX523T - 蛇足になるが琵琶湖疏水最大の難関は
滋賀でも大阪でも農商務省でも岩盤でもなく京都市民たちだった。 事業化の代償として土建利権が付随してしまい工事予算は倍増した。 (施工を請負った藤田伝三郎は長州藩士で この稼ぎで大阪紡績(東洋紡)を立ち上げ急成長し政商・財閥へ成り上がった) 当時の京都市予算の十数倍といわれる建設費は国や府の助成では賄えず 京都市は住民へ目的税を増税して重い負担を強いたため京都市民たちが猛反対した。 最初は東高瀬川へ接続する予定だったが工費倹約のために鴨川運河を開削する案が出た。 すると今度は東高瀬川が失業を懸念する曳船人足が反対し、 さらに高瀬川が埋められるというデマが流れ騒動になり工事が遅れてしまう。 (結局工費の安い鴨川運河案が採用されたのはインクラインを見れば周知の通りで 実際に危惧通り伏見港の発展と引き換えに高瀬川舟運は衰退した) 昔から工事は地元民が一枚岩となって取り組まなければ意見が集約できず 遅々として進まない。都市高速もまた然りと結論づけたところで長文終わり。
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