- 1945年日本の防空は、ドイツ軍と比べて糞すぎw
32 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/21(日) 13:33:07.73 ID:gKjnjwO2 - 確か南市爆撃も総勢で9機だったか。
307爆撃飛行隊の9機の内、一機はエンジン不調で中途帰還、残る8機も3機が撃墜され、金浦に緊急着陸した3機中2機は廃棄、 1機は応急修理の後嘉手納へ帰還。嘉手納基地に帰還できたのは3機のみで、被弾しなかったのは1機だけだった。 ちなみにソビエト空軍の報告によれば、21機のB-29を攻撃し、12機撃墜となっている。 迎撃の主力は303及び324IAD(戦闘機航空師団)で、303の出撃編隊はロボフ中佐、324はソ連邦英雄、赤色空軍最高のエース であるイワン・コジェドゥブ少佐が率いた…総勢44機で全てMIG-15…('-')。 対するFEAFは近接護衛に49及び136FBWのF-84を55機、前衛の阻止スクリーン(競馬場パターン)に4FIWのF-86を34機投入。 鴨緑江近くで競馬場パターンに入った4FIWは、編隊をディグニティ・A/B/C/Dの4個小隊16機、同red/blue/whiteの 3個小隊14機に二分、それぞれ阻止スクリーンを張る。 最初に接敵したのはred小隊で、24機のMIGから襲撃を受けた。ややあってからA小隊も襲撃を受けるが、こちらの32機の MIGは高度1万2千からの一撃離脱を繰り返してF-86を翻弄した。 中朝空軍が前衛を封じたので、303及び324IADは行動の自由を得て南方を迂回し、高高度からB-29に襲いかかることが出来た。 MIGはロッテ単位に分かれて自由攻撃に徹し、尚且つ1000q超で降下攻撃を仕掛けたので、F-84には対処不可能だった。 攻撃を受けたB-29の一番機はエンジンから火を吹き、南市手前で爆弾を投棄した。悪いことに編隊全機がこれに従って投弾し、 更に一番機が不時着水の為に西海岸へ進路を採った事で編隊がニ分した…(--)。 一番機に続く4機は西へ向かったが、対応に苦慮した護衛戦闘機は咄嗟に動くことが出来ず、カバーを受けれなかった一番機の編隊に被害が集中した。 残る3機はややあって南へ向かうも、やはり1機が撃墜されている…。これが後に半島まで出張って来たルメイを激怒させる理由になった…(⊡_⊡;)。 直接攻撃に参加したMIGは44機で、護衛は性能に劣るとは言え55機。最新のセイバーは絶対数の不足を抱えながらも34機が阻止スクリーンを張った。 セイバーがB-29の救援に向かった際に、上空に貼り付いた中朝軍機もついてきて一部が攻撃に加わったものの、損害は303/324IADによるものが大半。 赤軍式の戦力一極集中による兵力差と、作戦の不備が惨劇の要因だね。 結果FEAFは過大な損害にB-29の昼間爆撃を停止し、消耗戦を避けた。そのまま続けていればバタバタ落とされるのは目に見えてたってこと。
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