- この世の本当の悪は…
23 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/14(水) 06:18:12.58 ID:UxdwEJ92 - ■日本人が、絶対に忘れてはいけない、太平洋戦争後■
●命からがら朝鮮半島を脱出した日本人。日本人犠牲者は9万人に達する(太平洋戦争終戦後) ・朝鮮半島から、引揚げる日本人を襲ったのは、仲間であったはずの朝鮮人であった。(日本が敗戦すると急に態度を翻した) ・日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、虐殺された。 ・追放や財産の略奪に止まらず、強制連行や虐殺などで、祖国の地を踏むことなく無念のうちに斃れた。 ・朝鮮人の男女が数十人の団体でおしかけ、掠奪、強姦、虐殺を繰り返した。 ・日本の博多港には、朝鮮で強姦された日本人女性の為の堕胎手術所が設けられた。二日市市保養所といわれる。 (当時堕胎は違法行為(堕胎罪)だったが、厚生省は超法規的措置として黙認) ・民間人(男も含む)の満州朝鮮での犠牲者は、9万人に達するといわれている。 ●台湾人に見送られ、平和に台湾を引き上げた日本人 (太平洋戦争終戦後) ・日本人上官の台湾人に対する言葉。『 朝鮮人は信用できない。 だから君たち台湾人が守ってほしい 』 ・日本が敗れ、肩を落として泣く台湾人達が居た。 ・日本人がまた台湾に帰ってくると信じ、そして、港には引き上げる日本人を見送る沢山の台湾人達がきた。 ・台湾では、朝鮮、満州からの引き上げと異なり、もっとも平和に日本人が引き上げることができた。 ★ある台湾人(蔡焜燦)の言葉。 「あの引き揚げ列車の中で、私を含め敗戦で意気消沈する日本人をいびり続け、肩をいからせていた朝鮮人たちが、 「中華民国台湾青年隊」の腕章をつけた我々におべっかを使って擦り寄ってきたのである。 それは中華民国が連合軍の一員であったからに他ならない。 弱い者には威張りちらし、強い者には媚びへつらう、そんな彼ら(朝鮮人)の極端な習性を目の当たりにした思いがした。 」 ■朝鮮、満州で約9万人もの犠牲者を出し、引き上げた日本人。 ■反して、[敗戦国の国民となった日本人]を、平和に帰国させた台湾人に対して、我々日本人は、感謝の気持ちを忘れてはいけない。■
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24 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/14(水) 06:24:06.51 ID:UxdwEJ92 - ☆朝鮮半島の終戦の日-1
和夫夫婦が死んだ日,ふだん彼から深い恩を受けていた金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。 事件当時,金ソンス君も加害者だったが,殺害行為には同調しなかったそうだ。 和夫氏は,日帝時代によく見られた,慶尚道地方の日本人地主だった。地主とはいうものの, 和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって,乗り気では なかった朝鮮生活を始めたものだ。 公務員だった和夫は,政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。そのころの日本は,一種の 軍事独裁体制で,政 府の命令に従わなければすぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという。 当時,朝鮮にいた日本人地主のなかには,朝鮮人の小作人たちから,法の規定以上の小作料を取り立てる, 怪しからぬ人々もいたが,ふだんから人情味の厚かった和夫は,小作料を収穫全体の十分の一とし, 村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。自分たちの生活が困らなかったので, 総督府の法令にしたがって,やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。 貧しい小作人が食料がないと泣きつけば,喜んで食べるものを分けてやったし,村で誰かの葬礼があれば, 家族総出で駆けつけ,食事の支度はもちろん,自ら慟哭して,悲しみを分かちあうこともあった。このように, 和夫は人間への温かい愛情をもった,真の人間だった。
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25 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/14(水) 06:27:43.38 ID:UxdwEJ92 - ☆朝鮮半島の終戦の日-2
また,和夫は近くに行き場のない孤児がいると,連れ帰って面倒を見ていたが,その数は,一人,二人と増え, 四,五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。けれども, 和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し,自ら喜んで彼らの父,母を称した。和夫の家族は,ふだん ,このように朝鮮+人を愛し,日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし,彼らは, 日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日,自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより,凄惨に殺害されたのだ。 その日,まさに万歳の声とともに,太極旗が波のように風になびきつつ,朝鮮人の世がやって来た。育て, 東京帝国大学 に留学までさせたAの主導下に,彼の家で教育を受け,育ち,成人した青神は, 自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと,和夫君に嫉妬したのか? 彼がわ が子のように年たちが, 斧と鍬,スコップを手に,和夫のもとに押しかけた。 そのとき現場にいた金ソンス君は,次のように証言している。 和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを,子どもたちよ。 A:チョッパリ! 日本へ失せろ,失せちまえ。 和夫:(怒ったような声で)私が,お前たちにどんな間違いをしたというんだ。お前たち,みなが私の息子だ。 私はこの家の家長であり,お前たちの親だ。お前たちの祖国が解放されたことは,私もふだんから待ち 望んできたことだ。踊りでも踊りたい気分の日に,なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。 私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。 朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け,育ててきた結果は, つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。お前たちが望むなら,帰ってやるわ。
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26 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/14(水) 06:42:29.07 ID:UxdwEJ92 - ☆朝鮮半島の終戦の日-3
A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰ったら,おれたちはどうやって食っていくんだ?) B:死ね,チョッパリ,シッパルノマ。 間髪入れず鍬が,和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に,数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに 引き裂きはじめた。このとき,和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていたCは,和夫の妻を見て, 彼女の長い髪をつかみ,庭の奥まったところに引きずっていった。そしてなんと13人がかりで, ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を,強+姦しはじめた。 (金ソンス君は,この期に及んで自分が止めに入ったら,自分も殺されただろうと言った)。 強姦に耐えられなかった彼女は,行為の途中で死亡し,Dは,ふだんお母さんと呼んでいた 彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず,内臓をひきずり出して,まき散らした。 和夫には,一人の幼い娘がいた。ふだん模範的でい い子だったヒミコさんは,放課後,家に帰ってきて, 両親の身に起こった惨状を見,気が触れてしまった。ヒミコが何日間も慟哭する声に, 近隣住民たちは眠れ なかったそうだ。その後,孤児になったヒミコは,食べ物を乞おうと,その付近をさまよったが ,朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず,知らないふりをした。結 局, 彼女は9日後,村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。当時,ヒミコは小学校6年生の幼子だった。 和夫の財産は,勇猛で愛国心に燃えたつ朝鮮の青年たちの手にそっくり渡り,この事件は村人たちの沈黙の中, しだいに忘れられて行った。
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