- 三島由紀夫と楯の会
536 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/08/28(日) 23:24:40.64 ID:iIc9sl1g - 林:死ぬなら海がいいね、いちばん。……君は出征する時、天皇陛下万歳という遺書を書いたそうですね、(中略)
結局は遺書の文字のままあのとおりでしょう。 三島:あのとおりです。結局あのとおりです。 林:人間というのはそんなに複雑ではないですね。立派な遺書ですよ、あれは。 三島:いまの人は貔貅(ひきゅう)という字が読めないのですね。皇軍の貔貅という字が。――それはそうと、 この間江田島の参考館へ行って、特攻隊の遺書をたくさん見ました。遺書というのではないが、ザラ紙に鉛筆の 走り書きで、「俺は今とても元気だ。三時間後に確実に死ぬとは思えない……」などというのがあり、この 生々しさには実に心を打たれた。九割九分までは類型的な天皇陛下万歳的な遺書で、活字にしたらその感動は 薄まってしまう。もし出版するなら、写真版で肉筆をそのまま写し、遺影や遺品の写真といっしょに出すように 忠告しました。 三島由紀夫 林房雄との対談「対話・日本人論」より
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537 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/08/28(日) 23:26:21.72 ID:iIc9sl1g - それにしても、その、類型的な遺書は、みんな実に立派で、彼らが自分たちの人生を立派に完結させるという叡智を
もっていたとしか思えない。もちろん未練もあったろう。言いたいことの千万言もあったろう。しかしそれを 「言わなかった」ということが、遺書としての最高の文学表現のように思われる。僕が「きけわだつみのこえ」の 編集に疑問を呈してきたのはそのためです。そして人間の本心などというものに、重きを置かないのはそのためです。 もし人間が決定的行動を迫られるときは、本心などは、まして本心の分析などは物の数ではない。それは泡沫の ようなただの「心理」にすぎない。そんな「心理」を一つも出していない遺書が結局一番立派なのです。 それにしても、「天皇陛下万歳」と遺書に書いておかしくない時代が、またくるでしょうかね。もう二度と 来るにしろ、来ないにしろ、僕はそう書いておかしくない時代に、一度は生きていたのだ、ということを、何だか、 おそろしい幸福感で思い出すんです。 三島由紀夫 林房雄との対談「対話・日本人論」より
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538 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/08/28(日) 23:29:34.57 ID:iIc9sl1g - 三島:いったいあの経験は何だったんでしょうね。あの幸福感はいったい何だったんだろうか。僕は少なくとも、
戦争時代ほど自由だったことは、その後一度もありません。 林:そういう時代はきますよ、必ずきます。君はすでに天皇は神でなければならぬと言い出した。(中略) 戦後二十年の新憲法教育で、日本人のコア・パーソナリティーまで変わったと思うのは甘すぎます。民主主義の 本家のアメリカ人自身、星条旗のもとに、毎日死んで行っている。アメリカ人の冒険精神と敢闘精神は彼らの父祖が ヨーロッパからもって来て、アメリカ大陸で開花させたものでしょう。日本の歴史はアメリカよりも古いのです。 民族の性格はそう簡単に変わるものではありません。簡単に変わるものより頑固に変わらないものの方に僕は 望みをかけます。 三島由紀夫 林房雄との対談「対話・日本人論」より
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