- 張蓉芳分析係「あだし」
357 :名無し@チャチャチャ[]:2012/01/04(水) 09:52:25.04 ID:8SHSjKdO - 松田や金坂らが引退した頃、つまり1978-79年頃は、日立ではセッターは本島チーさんがワンセッターでやっていたが、
それでもまだ山田監督はツーセッター構想を諦めきれずにいた、とそんな感じがしたのだが、いざそれをやろうとしても 適任者がいないと、暗中模索を繰り返していたんではなかったか? 川原さんでは172しかないので、ツーセッターで川原を攻撃に参加させたとしてもたいしてチームの攻撃力の増加に期待はできない、と。 で、江上−金子で練習をしたりもしていたが、これも金子のキャリア不足があったためなのかなんなのか、挫折したというか道半ばにしてそのままフェードアウト という感じだった。その後80年頃に江上−石田、のツーセッターの練習も良くやってたが、今一だったのかこれもフェードアウトしたんでなかったか。そしてその頃丁度、 中田が中3で全日本に抜擢されて翌年に日立に中田、三屋、小高が入社したら石田は外された。つまりこれからは、中田のワンセッターで行くと固まったのではなかったか。 これは中田がセッターとして優れていた、というのもあったのだろうが、三屋小高が入った事により攻撃力が増したのでいつでも3枚攻撃ができるというツーセッターシステムに こだわらなくても充分だと山田監督がそう判断したからこうなったのではなかったか、とあだしは思った。これでもうツーセッター構想はロスまではないのかって思われたが、その後も 江上−中田で練習していた事もあった。が、これは上手く行かなかったんだよね。 当時のアメリカやソ連や中国それに韓国もツーセッターでやっている国もなかったから山田監督はもう中田のワンでいいやって思ったのかどうかそれは良く分からなかったが。
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- 張蓉芳分析係「あだし」
358 :名無し@チャチャチャ[]:2012/01/04(水) 10:39:36.27 ID:8SHSjKdO - ソ連のギビがリスカリとサリホワでツーセッターで74世を戦ったのは、ギビの気まぐれだったのではでなかったのではないかってあだしは思ってる。
73年にそれまで長い事ソ連の正セッターで活躍したブルダコワが引退したのである意味苦肉の策??であったのではなかったのではないか、と。 なぜならその後の76年ででもソ連はツーセッターでやったわけでもなかったのだから。 難しいのだろうナ、ツーセッターでチームを完成させる事って。 72ミュンヘン以降で男女共にツーセッターで戦って3大会で金メダルを獲得したチームって本当に少ないもんナ 78世の時のキューバ女子のテリエス−ガルシアくらいだったのか?? 他にあっただろうか。 結局、ツーセッターにして常時3枚攻撃をすれば攻撃力が増すって考え方は理論上でしかないって事なのか?? そんな気がするんだよナ 中高生や実業団クラスならばツーセッターでやれるのかも知れない、それはバレーのレベルがあまり高くはないから。しかし世界のひのき舞台では ツーセッターにしようとすると攻撃力を増すどころかチームのコンビを保つのが精一杯で攻撃力云々どころではなくなってしまうのだろうナ、きっと。 元々攻撃力があるキューバのようなチームがツーセッターでやって世界で優勝したからといって日本でもそれを真似すれば優勝できるというもんではないんだと 思うんだよナ、あだしは。 日本男子で過去に嶋岡と丸山がいた頃、この二人でツーセッターでやったらいいと良く云ってたが結局できなかったし。その後も専売の青山と村上のツーセッターもダメだったしナ。 日本人が世界でツーセッターを完成させて優勝するってのは無理なのか? スーパーエースがいればできるのかも知れないが、そんなのはいつの時代にもいなかった。そしてこれからの時代もそんなのは現れる事はないのではないか、たぶん。 つまり元々攻撃力があるチームに適した戦法、それがツーセッターシステムという事になるのではないか。
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- 張蓉芳分析係「あだし」
360 :名無し@チャチャチャ[]:2012/01/04(水) 12:35:56.61 ID:8SHSjKdO - あだしって相変わらず をかまイトーから期待されているもんナ!!
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- 張蓉芳分析係「あだし」
364 :名無し@チャチャチャ[]:2012/01/04(水) 13:31:26.66 ID:8SHSjKdO - 山田監督が何度も試みた全日本チームのツーセッターシステム
これは何も意味がなかった、悪戯に時間や労力を費やすこととなっただけだとあだしは昨年の暮れにこの板で書いたが、 日本チームにはツーセッターシステムで世界と対等に戦う事はできない、と教えてくれた。そういった意味では山田の試みに 敬意を表してもいいのかもナ。wwww だってその後、全日本でツーセッターを試みようとした監督はいなかったのだから。 しかしこんな山田の試みは無駄な努力って云うんだよナ。 そんなのやらなくたって最初からできっこないと分かるんだからwww 山田監督って昔から夢見る夢男 のところがあったんだよナ、きっと。
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- 張蓉芳分析係「あだし」
370 :名無し@チャチャチャ[]:2012/01/04(水) 17:33:25.47 ID:8SHSjKdO - これは72年当時の松平さんなんかもそうだったとあだしは思うのだが、山田監督は
ツーセッターでバレーをやっているチームや国はグレードの高いハイテクなバレーを やっている、とそんなのがあったのではなかったかと思うんだよね。それはイメージとして そんな風に山田監督は考えていたのではなかったかって事なんだけども。ツーセッターって常に 3枚攻撃ができる、できるがコンビを合わせるとなると難しいから。 難しい=ハイテクで、相手チームは戸惑うだろう、と。 で、ツーセッターチームに憧れていたのではないか、山田監督は。 がしかし日本は強打者がいなかったから相手チームにしたらワンセッターで来てもツーセッターで来ても大差なかったとあだしは思うのだけどどうか。 つまりツーセッターは山田監督のくだらない拘りだけであって外国チームは日本がワンセッターでチームを組もうがツーセッターにしようがそんなの関係ねぇ、だったと感じる。
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- 張蓉芳分析係「あだし」
375 :名無し@チャチャチャ[]:2012/01/04(水) 18:56:20.85 ID:8SHSjKdO - 山田監督って見栄えや形にとっても強く拘るところがあったと思うんだナ、あだしは。
なので、1センチでも平均身長を高くしてチーム作りをしたりってのが多いにあったでないか そういうのがなくなっていったのって84ロスの頃だったと思った。 あの時は、というかその前、80〜82年の頃なんて170の森田なんて日立ででもスタメンで今後起用しましょうだ なんて考えていなかったと思うが、デカイ村田や鈴木、森田と同世代の青木や早坂らが今一だったので消去法で森田にした。 84ロスの本番でもできたら大谷−杉山にしたかった様にあだしには見えたが杉山ももうひとつって感じだったから森田に度々レフトで登場させてやらせてたが 本来的にはチビ選手を使いたくなかったんでないかナ。88の藤田もそんな感じだった。あの時も本当ならば武藤や菊地、田島らをレフトでって強く考えてた。宮島も大谷も いたけどあの頃は低退気味だったから。 こういうのを現場で観ちゃうとツーセッターにずっと拘りを持ち続けていたのも頷けるのですよ。現場を見てない子たちには全然分からない事かと思うのだが。 77WCの頃だってそうだった。73年からやっていた横山よりも2年遅れの須藤のが身長が少し高い、というだけでもう須藤、須藤になっていたんだから。んで、78世直前で白井らが辞めたら いきなり樹理が必要だとかってなってたし。あの頃日立に鈴木春美っていたでしょ? すぐに引退しちゃったけど。一時は鈴木を78世でレフトで使う、とかって力んでいたからね、山田は。 レフトは鈴木−須藤、センターは江上−吉田、セッター矢野の対角に高柳とか こんなのもあったんだから。www をかまのイトーはこれは知らなかったでしょ? よね。
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