- 【東洋の】女子オリンピックの歴史を語る【魔女】
296 :名無し@チャチャチャ[]:2011/10/07(金) 11:46:55.34 ID:sUwXiRaK - 72オで、優勝した日本男子が78世では世界11位になった。たったの6年間でどんどん
順位をおとして行き、見る影もなくなっていた。 だったら女子もそのうちこうなるんでないかって思うほうが普通だよね。女子は特別、 女子には優秀な監督や選手が大勢いるから平気だとかって考える方が少し狂ってると思うがどうか。 日本人は起きて欲しくない事は起こらない、起こるわけがないと思いこむ 起こって欲しい事は必ず起こると思いこむ。 上記の2行の上の部分の1行は半藤一利さんの語録だが、これを日本のかつてのバレー界の事で云ったら キューバ、アメリカは腰高だから守備はこれからも上達する事はないだろう、とこれだな。 松平さんなんかが、1973.4年に良く云っていたように思う、そんな記憶がある。 これは松平さんはキューバやアメリカ選手の攻撃力は日本なんかとは比べ物にならない事を前々から良く理解していたからこそ、 こう云っていたのではないかってあだしは思うんだね。あんなスパイクがバカスカ日本のコートに落されたら日本のレシーブでは対処できないから。 で、当時、守備力があいつらは守備が下手だから強打できるボールまでつなげないから平気だ、と。強引に思い込んだw とこういうことだなw 2行目は 松田や白井が14.5才の頃に中田や大谷のようなプレーはできたか? できなかった。なら、中田大谷は松田白井以上に育つのではないか、という事。 この2人がデビューしたのは1980年だったけどこの時も松平さんが、バレー界のONはロス五輪の期待の星、その時は主将は江上君だろう、と。 女らしさをふりまきながらもなぜか、強いとそんなチームになるんではないかって思うんです、とか云ってたナw こういうの松平さん云いそうでしょ? 好きだったよナ、こういうキャッチコピー風な云い方が、本当に。 まとめ しかし本当に起こって欲しくは無い事がその後すぐに起こり起こって欲しい事は起こらなかったので 日本女子は84ロスでは3位になってしまったんだよね。 つまり白井松田の活躍で金メダルを獲った76オの時のようにはゆかなかった、と。
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298 :名無し@チャチャチャ[]:2011/10/07(金) 13:13:30.47 ID:sUwXiRaK - 76オで日立を中心にしたメンバーで金メダルを獲得したとき、女子バレーの五輪での優勝が
12年ぶりだったからか、マスコミから山田監督は取材を受けることが多かった。で、練習法について 仮想ソ連を男子大学生で作り、ソ連の選手を研究して選手の癖をその男子大学生にまねをさせてスパイクや サーブを打つコースまで全く同じようにやってもらってました、と云っていたが、これってそう山田監督が云うほど 上等なものでもなかったのではないかと思うな。 ソ連女子選手よりも動きも速く高さや力のある、日本人の男子大学生 と日々、練習してそれに勝つ事によって自信がついたので、本番でも安心して戦う事ができ勝てたのではないかってのが本当の ところだった、のではないか。 あだしはそう思うがどうか? 確かに、スモレーワはこのコースを良く打つから、その通りに打ってみろとかの山田監督の大学生への指示そしてそれを実践した 大学生もいたと思うので、仮想ソ連で練習した、というのも分かるのだけど、現場でその練習を観ていた限りではそれほど高度な、という練習でもなかった。 それに男子大学生相手の練習って68メキシコの頃からやっていたでしょ だから、それ程特別視するものではない 単なるコーチ、とかトレーナーと一緒だったし。 そういった練習に参加した大学生はその後そのまま日立バレー部のスタッフになっていた人間も結構いたんでないのか。 76の代表だった高柳と結婚した一時日立の監督もやっていた吉田さんもその一人だったし、江上と結婚した丸山もロス五輪前の 仮想中国の郎平役の男子大学生だったんだよね。ちなみにこの丸山氏ってあだしの大学の時の友達の幼馴染だったらしく、 長野の松本にいた子供の頃は、丸山氏の事をあだしの友達は、『マル』と呼んでいた、と云っていた。 マルさんや江上さんは今は何をやっているんだろうか? 88オの頃は2人で小田急バレー部の監督やコーチをしていたと思うが。
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300 :名無し@チャチャチャ[]:2011/10/07(金) 18:35:34.38 ID:sUwXiRaK - ロス五輪のとき、日本はカナダと予選で当たった。簡単に日本が3-0で勝った。で、その試合後にその試合の総括をしていたのは
松田紀子さんだったのだが、そのときの言葉をあだしは今も忘れられない。 こんな事を云っていた 『あのカナダの○○という選手を私はどっかで見た事があるな、と思ったら私も76モントリオール大会の予選のときにカナダと対戦して いたのですが、そのときにもいた選手だったのですね。 後、今日は日本チームが楽に勝ちましたが、セッターの中田は、2本、トスミスをしましたが、あああいったミスがこれから戦うであろう、 中国やアメリカ戦の時に出たら、日本はチームのムードが悪くなりますから気をつけてもらいたいですね。』と。 この松田コメントってあだしにはとっても意地悪く聞えたんですよね。 小姑根性丸出しだったというか、兎に角そんな感じに聞えたな 職人松田、私は中田さんなんかよりも優秀だったわよ、みたいにね。 その頃、山田監督がほうぼうで中田は天才とか松田が富士山なら中田はエベレスト とかって云いまくっていたから、松田はそれに反抗しているのではないのかって感じたんだが、 それはあだしの考えすぎだったのか。しかしなんとなく意地悪気に感じたから。 そうそうこの大会でその大谷と宮島と中田、そして廣の高卒1年目が揃ってデビューしてたから 松平さんも 『19才カルテット、いいじゃないですかっ 宮島が拾って、中田君がトスをした、ほんで大谷が決めて、それを見た廣が喜んだ、という感じでしたね』と云ったりもしていた。 あだしはこれ聞いた時、ボールを触らなかった廣さんはどうするのって思ったのに、流石!松平さんって思ったし。
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