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248 :yuu ◆W6qsoMGMCs [sage]:2012/02/12(日) 00:08:52.73 ID:Arn3ppqW - >偽の人格でもって他人を全力で騙そうとしている自分と、
それを冷ややかに見ている自分という、二重の意識が常にあるとか何とか 本音をしゃべっているように見える時でも、それは見せかけなんだって これは間違いなくある。 NPDは人間関係に齟齬が生じたり、傲慢で尊大な振る舞いによって何で冷静になれないんだろうと感じられるかもしれないけど、 実はNPD本人は心の中はすごく冷静なんだ。 たとえば怒りをむき出しにしている時も、実は心の中では、 (こうやって怒れば相手はひるむだろう、自分の恐さを理解するだろう)とか、(そういうことをされると俺は怒るからよくおぼえておけ)とか、 すごく冷静に計算して行動している。 「自分が描く理想的な、万能的な自己像を外的世界で構築するにはどういしたらよいか」ということを常に考えてやっている。 それは失敗することもあるけど、成功することもある。 ある意味ではそれが、生の感情をともなわない、「演技がかった」印象をつくりだしているんだと思う。 そりゃあ演技くさくもなる。だって演技なんだから。 NPDは小さな頃から親の望む自分でなければ愛されないということを学習しているから、外的状況に自分を合わせる人格構造を有している。 だからこそ、書いてくれたように、「本音をしゃべっているように見える時でも、それは見せかけ」で、「それを冷ややかに見ている自分」という感覚が 本人にはあるんだ。これはNPDは皆そうだと思う。 ゲームにたとえるといいかもしれない。NPDは、「リアル」というゲームをコントローラーで操縦するプレイヤーで、 画面を見つめながらも冷静に「自分」というキャラクターを操縦してる。そのキャラクターは自分であって自分でない、偽りの自分なんだけどね。
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249 :yuu ◆W6qsoMGMCs [sage]:2012/02/12(日) 00:09:41.52 ID:Arn3ppqW - >自分から見える部分と、他人から見える部分は異なるのは当たり前のことで、
他人との関係を考えたときに、 その視点を切り替えて考察するように心がけてるだけなんだけど、 自己愛にとっては、二つの視点が常に同居している感覚があるのかなあ これは、自分から見える部分がないと考えてもらった方がいいかもしれない。 正確には、自分から見える部分には何の価値もなくて、「他人から見える部分」だけが本人にとっては重要なわけだから、 おかしな行動が生まれるんだと思う。 二重の意識の元は、ありのままの自分が愛されなかったから、必要とされるために外的現実に適応する自分というものが生まれて、 そういった過程で意識が二つになるという感覚が生まれたんだと思う。
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250 :yuu ◆W6qsoMGMCs [sage]:2012/02/12(日) 00:27:44.89 ID:Arn3ppqW - >他者への共感がないのに、社会に適応できているのはなぜだろう?
最低限の理解力がないと、周りの人間はすぐ「おかしい」と気づくと思う 本当はわかっているのか?わからないけど、どうすればいいのかわかる? 三行目はどういうことだろう…? 思った事を書くね。まず、NPDは「主観的苦痛」を大いに体験している。 それは外的現実との齟齬によって生じたものだけれど、その苦痛を最小限にするために、人間は学ぶよね。 たとえば、人は感情に従って「悲しい」だとか「大変だったね」とか、 色々なことを感じると思うんだけれど、それがないとどうしても他者と軋轢が生じてしまう。 だから無意識に望ましい振る舞いを学習して、自然にこなすことができるようになる。 それができないと、主観的苦痛を味わうことになるから。 後、NPDは感情がないというわけではなくて、正確には、一部の情緒が「極めて薄い」ということだから、 適応するだけならそこまで難しい問題ではないかもしれない。
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251 :yuu ◆W6qsoMGMCs [sage]:2012/02/12(日) 03:33:22.87 ID:Arn3ppqW - すいませんアンカー抜けてました。
>>245 >モラハラ関係の本を読むと、出会った当初はそのような嫌がらせをするような人にはみえず (妻にたいして)結婚後、妊娠後、出産後など逃げにくくなってから嫌がらせをするとあった そういったことはよく書いてあるよね。 多分だけど、書いてみる。 そういったタイプのモラハラを行うNPDって、多分それまでの人生経験から 自身の欲求に従うと人間関係が壊れるということが無意識下ではよくわかっている人達なんだと思う。 たとえばモラハラ全開になると、当然相手は離れていくし、それが学習されていると、当然そういった欲求は抑圧される。 そうするとそのタイプのNPDは「相手は自分から離れる事ができない」という確信が無意識に理解できてはじめて、抑圧がはずれるんだと思う。 それは結婚だったり妊娠だったり本来なら二人の絆が深まるような転機が機会になるのかもしれない。 そういったタイミングで、理想の母親を求めるという原初的欲求を解放すると、それまでの形だけは「大人対大人」の関係から、 「幼児対大人」の関係にシフトするんじゃないかな。 で、言う事を聞いてくれないとキレようになる。更にはその欲求を満たしてくれないと理想化が失望に変わるから、 更に攻撃性が増してしまう。そうして劣悪化していく。 多分だけど、そういうNPDって、自分を出すのがすごく怖いんだと思う(ここでの自分というのは、成長が止まっていた「2歳児の自分」)。 もしくは、それまで一度も出したことがなかったんだと思う。 だから確固とした関係性が構築されるまでは、そんな人には見えないし気がつかない。 NPDが安心して原初的欲求に従うようになった時、相手には「急に変わった」と映るかもしれない。 後、そういったそれまでうまくいっていたカップルというのは、年単位の交際にしろ、ある程度距離感を保ってつきあってこれたんじゃないかな。 二人とも恋愛関係で互いを理想化してたから、「親しき仲にも礼儀有り」の関係性が維持できてたんだと思う。
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252 :yuu ◆W6qsoMGMCs [sage]:2012/02/12(日) 03:33:55.82 ID:Arn3ppqW - >数年単位で(完全に?)演技をしてまで、縛りつけた相手を叩きのめしたい?
その状態を望んでいる心理状態が想像もできないので教えてほしい 少なくともNPDは計算してやっているわけではないと思う。 強固な抑圧がはずれた時に、2歳児の自分、言い換えればモラハラを行う自分が露になるんだと思う。 ごめんちゃんと説明できてる自信がないw
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253 :yuu ◆W6qsoMGMCs [sage]:2012/02/12(日) 03:56:24.85 ID:Arn3ppqW - >>246
こんばんは。 自己愛というのはNPD傾向ということだよね。 それはなかったよ。 未熟な治療者の場合は、関係性の中で競合することがあるらしいね。 >NPD の治療の困難さはいくつかの理由がある。(中略)治療者と勝ち負けの関係に陥りやすく、 往々にみられる治療者の自己愛性人格構造が患者の病理と衝突しがちであることに関係する。 患者は魔法のように自分が理解されることを期待し、その失敗を決して許さないという NPD の病理構造が一層精神療法の継続を困難にする。 自己愛性パーソナリティ障害の精神療法 市橋 秀夫 (2008)『精神科 第13巻 第3号』 科学評論社 pp233-237 心理士とか精神科医の人は、元々自身の心に何らかの問題を抱えていて、そういった理由から 精神科領域の学問に進んだという人が多いとは良く言われてたりするよね。 だから、自らの自己愛の問題が解決できていない治療者に当たってしまうと、治療関係がうまくいかなくなってしまう。 個人的には、これは結構多いと思う。 NPDは相手が自分を見下していないか、対等な人間として見てくれているかということにすごく敏感だと思う。 それに、治療者の能力のなさや自信の無さをすぐに見抜くから、そういった治療者は価値下げされて治療は打ち切られる。 私の場合だけど、能力のない医師には失望したし、自信のない心理士は心の中では見下してた(ナメてた)し、 患者を自尊心を満たすための自己愛の道具にしているふんぞり返った大学教授には辟易したし、 熱意はあれど先を示せない医師にもついてはいけなかった。
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254 :yuu ◆W6qsoMGMCs [sage]:2012/02/12(日) 04:37:18.08 ID:Arn3ppqW - >どうも心理士には、心理士として見られたい願望がある人がいると気付きました。
心理士だから偉いと言っているわけではないのですが、私にはこのタイプがどうも苦手でして、 治療の先行きの不透明性や求心力のなさを、職業への権威付けででカバーしようとしているということ…? 参考になるかわからないけど、自分の場合を書いてみるね。 私の主治医は本物のプロだと思ったよ。 初診時の記入シートには受診動機とかそれまでの通院歴とか色々書いたけど、それらに関しては一切言及されないまま治療は終結した。 先入観なしで見てくれているということがよくわかった。 接していく中で自分を同じ価値のある一人の人間として見てくれていることがわかったし。 怒りをぶつけたり失礼なことをいっても全て受け止めてくれたし、本当に辛さをわかってくれた。 これは優しさとか、わかってくれるということだと思う。 NPDで自分への反応に敏感だから、医師の一挙手一投足、息づかいに渡るまで(無意識に)観察していたけれど(品定めとも言える)、 それらを通して自分を対等な人間として扱ってくれていることが、嫌というほど理解できた。 間違った時にはすぐに謝罪してくれて、驚きもした。 だけど、自分が間違ったことというか、修正すべきことを言った時には、絶対に譲らずその不合理性というか、 病理性を説明してくれた。これは治療者が「壊れない」、すなわち強さを持っているということだと思う。 理想化転移を引き受けてくれるだけでもすごいと思う。逆に言えば、理想化転移が生じているからこんな風に書いたと捉える事もできるかもしれないけど、 その差分をマイナスして判断しても、本当にすごい人だと個人的には思う。 待合室で、おそらくBPDと思われる人(見ていて不安になる)や、摂食障害と思われる人(病的痩せや過体重)や、ACやパニック障害、 「これがモノホンのNPDけえ…」と絶句しざるを得ないような圧を放つ人とか色んな人がいたけど、 他では治療できず紹介されてきた重症パーソナリティ障害の人をたくさん引き受けているわけだから、 そもそも自分くらいなら朝飯前なのかもしれない。 ごめん何かやな感じの文章になってしまった。 感謝も含まれているので、それも含めて判断してほしいw
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