- 強迫性障害(旧称:強迫神経症) Part56
278 :優しい名無しさん[]:2011/10/17(月) 20:05:37.46 ID:i74/FSV3 - >>259
昨日、「あなたの症状は、おそろしいほどに以前の僕の症状と一致しています。」 とコメントした者です。 昨日も書いた通り、今僕は強迫性障害にはまったく苦しんでいません。 あなたの症状は僕の症状と一致しているので、もしかしたら力になれるかも しれないと思いました。 そこで僕がこの病気を克服していった経緯を書いていきたいと思います。 見ている他の人たちにも何らかの助けになればと思います。
|
- 強迫性障害(旧称:強迫神経症) Part56
279 :優しい名無しさん[]:2011/10/17(月) 20:11:51.93 ID:i74/FSV3 - 実は、以前、>>47 を書いたのは僕です。
つまり僕にとって、この病気の克服のきっかけは 井上雄彦のバガボンドでした。もちろんそれが全てではないですが、 この作品は大きなヒントを与えてくれました。
|
- 強迫性障害(旧称:強迫神経症) Part56
282 :優しい名無しさん[]:2011/10/17(月) 20:25:47.33 ID:i74/FSV3 - その前に、僕の症状のことですが、僕も主に強迫観念としての「思考」に
苦しめられてきました。つまり、現実の生活において必要以上の思考・必要のない思考 にとりつかれてきました。避けても避けてもまとわりついてきました。 今この文を読んでピンときている方は、もしかしたら、僕が書くことで何か 助けになるかもしれません。
|
- 強迫性障害(旧称:強迫神経症) Part56
284 :優しい名無しさん[]:2011/10/17(月) 20:32:19.51 ID:i74/FSV3 - ちょいとその前に飯を食ってきます。笑
すみません!
|
- 強迫性障害(旧称:強迫神経症) Part56
288 :優しい名無しさん[]:2011/10/17(月) 22:29:14.05 ID:i74/FSV3 - 書き溜めてないんでダラダラいかせてください。。
バガボンドはあらゆる場面で重要なことを僕に教えてくれましたが、 どの場面も教えてくれる内容は同じ(一つ)なので、その本質が特に詰められた場面だけを ピックアップしていきます。
|
- 強迫性障害(旧称:強迫神経症) Part56
289 :優しい名無しさん[]:2011/10/17(月) 22:30:20.72 ID:i74/FSV3 - まず、24巻、小次郎と雪だるまを前にしてのシーンでの武蔵の思考。
「あれは理だった・・・俺は一度理に出会っている」 「耳を澄ますように・・・体を手放せ」 このシーン以前の宮本武蔵は、自分の剣術を極めていくために、悩み考えていました。 その思考は、闘いの中にも雑念として現れます。なぜ雑念かというと、闘いの中で 何かを考えたその時点で、太刀の動きは既に遅れているからです。
|
- 強迫性障害(旧称:強迫神経症) Part56
291 :優しい名無しさん[]:2011/10/17(月) 22:41:27.32 ID:i74/FSV3 - 武蔵は小次郎と雪だるまを前にしたシーンで気づかされます。上記のように。つまり、
刀は自分で切りにいくもの(相手はこう動くだろうから刀をこう出そう)ではなく、自然に任せていれば行き先は刀が教えてくれる。剣のいきたいほうにいかせてやるといった感じでしょうか。。 外と己との一体化みたいなものだと思うんですが。
|
- 強迫性障害(旧称:強迫神経症) Part56
292 :優しい名無しさん[]:2011/10/17(月) 22:56:35.61 ID:i74/FSV3 - 簡単に言ってしまえば、剣士にとって闘いの中であれこれ思考をめぐらせるのは雑念
になるわけです。20巻の佐々木小次郎と市三のたちあいのシーンにおいても、 市三が「ああもう・・まだ言葉で考えてる。もどかしい・・・思考を捨てたい」 と心でつぶやいた瞬間、小次郎に斬られてしまいます。
|
- 強迫性障害(旧称:強迫神経症) Part56
294 :優しい名無しさん[]:2011/10/17(月) 23:10:30.85 ID:i74/FSV3 - 「じゃあ、思考を捨てて無心で生きろということか?」
ちがいます。僕たちは人である以上、何かを思考するのは当たり前です。 そして、その思考は時に、何かを解決したり、発展させたりします。 それが人間だと思います。「人間は考える葦である」とだれかが 言ってた気もします。
|
- 強迫性障害(旧称:強迫神経症) Part56
296 :優しい名無しさん[]:2011/10/17(月) 23:23:45.61 ID:i74/FSV3 - では、僕がこのマンガから何を感じ、何を伝えたいかというと、
「時と場合に応じて、必要とされる意識の範囲は自然に決まってくる」ということです。 場合によっては、剣士の闘いのように無心になって、意識そのものを無くすことが必要 なときもあるかもしれません。 とにかく僕がこのマンガから感じ、伝えたいことは、「時と場合に応じて、必要とされる意識の範囲は自然に決まってくる」ということです。 ちょっとタバコタイムしてきます。
|