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48 :名無しさん@見た瞬間に即決した[]:2012/12/15(土) 14:29:40.44 ID:0zDZzbUx - ADHDは、人間関係の中で状況が分からない特徴を持つ発達障害であり、その障害の結果として人間関係でうまく行かない体験(人と変わっていて同じように出来ない。
時には虐待やいじめなど)を積み重ねるうちに、 自己評価が下がって、周囲の評価に過剰反応するようになる。この点ではACと全く同じだ。 しかし、もともと状況が分からないために、表情を読んだりすることは不得手であり、言葉で確認しないACとなるとなおさら人間関係全般でしばしば見当外れの思い込みに陥る。 この状態の実際の姿は、ただでさえ不確かな雰囲気や表情などの状況理解を根拠に決め付けてしまうため、 客観的にはADHD自体による勘違いや思い込みが増幅された状態である。にもかかわらず「本人は限界まで気を使っている」と感じている。その結果、 ADHDのACの人の困っていること、訴え自体が第三者から見ると非常に理解しにくい という結果となる。実際第三者から見ると、「本人は人間関係がうまく出来ない、治さないといけないとしきりに言うのだが、実際客観的にはどこが問題なのかよく分からない」という見掛けになる。 見捨てられ不安や過剰反応の部分は、 本人の感じている世界としては、境界例に酷似しており、上記の枠組みからは不思議な状態であるが、「ADHDなのに自分は境界例かと心配して相談する」 ということもたびたび見られる。(大人のADHDを診断しきれない専門家もよく人格障害と誤診するが) この意味では、ADHDのACは「本人はまぎれもなくACを体験しているのだが、客観的にはACや境界例と見立てにくい状態」と言える。
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