- 【珍妙】無料姓名判断【奇異】
672 :錯乱坊[]:2011/11/16(水) 16:01:07.64 ID:aZCe0gea - さて、前スレでは仏教がどの様に日本に伝来してきたのかを「仏教の真実」というタイト
ルで切り、各宗派の指導者の姓名を鑑定した経緯がある。またキリスト教もイエスを精密 鑑定する事で、人間イエスの苦悩や成長、そして彼の精神構造に迫った。この結果として 感じた事を再び下に述べる事とする。 まず、キリスト教という宗教が生まれる工程を考えてみよう。これは全くの私見であるが、 独りの人間イエスが、戦乱の世に生まれた。イエスの母はマリアといい、同じ教会に属す る者との間に出来た非嫡出子であったのかも知れん。マリアはイエスを誰の子かとは言わ なかった。そればかりか、父親のおらぬイエスを大切に育て「あなたは神の子なのです」 と諭した可能性があろう。 イエスに限らず父親の存在を明かせぬ子。訳があって父が分からぬ子というか、現代でい う孤児院や児童福祉施設に保護されておる親の居ない子らを、当時は「神の子」と言って おったのかものう。 イエスは甘えて育った。弱き者は強き者を頼り、助け合って生きるもの。強いものが生き 残り弱者が死ぬ。「自分は弱者なのに、強い人の慈悲に甘えるのがどこが悪いのか?」そう いう考え方で、イエスは少年期を生きておった。しかし人生の途中で、砂漠の如き場所で、 自分を試すのじゃ。そこでイエスは誰かの慈悲にすがっていないと生きてゆけない弱い自 分を認識・反省すると同時に、他人を愛する強い心を持とうと決心するわい。つまり甘え ていたイエスは一度死に、強く愛を生み出すイエスが誕生した。これが「イエスは2度死 ぬ」と聖書に言われる所以かも知れぬ。 (つづく)
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673 :錯乱坊[]:2011/11/16(水) 16:01:53.54 ID:aZCe0gea -
生まれ変わったイエスは、愛を説く事にした。村々を歩き「自分は誰かの愛が無ければ生 きて行けぬ弱い存在だった。しかし、一度死んだ積もりになって、他人や罪人までをも家 族のように愛することで、新しい命を手に入れたのだ」「我は(父も知らぬ)神の子だ。生 まれてこれた事。だたその1点だけで完全なる幸福である」「わが道に続け。隣人を愛する 事で、村が良くなる。村が良くなれば町がよくなる。町が良くなれば市が良くなり、市が 良くなれば県が良くなる。県が良くなれば国が良くなる。神の王国を建設するのだ」「我は 武力により選ばれた王にあらず。愛の力により選ばれた王である」と言ったかも知れない。 イエスの価値観は「復讐を正義」とみなしていた当時の荒れた人目には斬新には映った。 他人の為に自分が損をする事などあり得ないと考えていた民衆は、イエスの提唱する愛と いう価値観を、半信半疑で受け入れていた。おそらくイエスは、初めの頃は異端信仰者や 知的障者と同等の扱いをされておったじゃろう。 今日の宗教は他人の為に「犠牲」になる事を奨励する傾向があるが、イエスはそうではな い。単に人間を愛する事が、好きで好きで堪らない人物じゃったという事が分かった。ど こまでも前向きであり、自分を犠牲にしたり、我慢するタイプではない。人間を嫌いにな る事は絶対に出来ない性分じゃった。「人を愛する事の楽しさ」それを個人のレベルで伝播 しようとしていたのじゃ。 (つづく)
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674 :錯乱坊[]:2011/11/16(水) 16:02:34.05 ID:aZCe0gea -
イエスの活動に共鳴し賛同した者は、最初は少数じゃったが、徐々にその数は膨れ上がり、 弟子が大勢出きるようになった。大勢の人間が移動するのじゃから、食料や宿の手配が必 要じゃったろう。そこには利権が生まれるわい。その利権に手を染めた弟子ヨハネが、横 領を働き罪に問われた。弟子達はその罪を、性格の攻撃的なユダの責任にしようとしたが、 それを知っていたイエスが、無実のユダを愛するがゆえに、自ら責任をとり磔刑に処せら れた。 悪を働いたヨハネは、その後ユダがイエスを裏切ったと主張。組織内でヨハネと対立して いたユダを追放する事に成功し、イエスが残した組織を「救世主(キリスト)教」として 再構成し自らが法王と称した。法王は宗教を集金システムとして支配。困窮する弱者をよ そに、宮殿のような教会を建設。贅沢を極めた生活を維持する。この貧富格差はイエスが 望んだ事ではない。イエスは自らの足で村々を歩き、困っておる人々の手を取り励まし、 食料を与え、勇気を出して人を愛するように説いて回った。 以後、今日に至るまで、ユダ一派は迫害を受け続けておる。これが姓名判断で分析した人 間イエスの生死と、キリスト教の誕生の経緯じゃ。話が長くなったが、宗教というものに 期待するのは常に弱者であり、弱者は宗教指導者から搾取される。それが宗教の本質じゃ。 (つづく)
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675 :錯乱坊[]:2011/11/16(水) 16:03:05.12 ID:aZCe0gea -
イエスは「弱者は他人の愛を消費するのみだが(個人レベルで)心を強く持てば、愛を生 み出し、他人へ分け与える事ができる」と説いておる。イエスの目的は「神の国の建設」 であり、それは愛に満ちた(平等な)世界の創造の事であった。再び申し上げるが、イエ スは「神の子」であり、誕生できた事自体が奇跡。生きているだけで完全に幸福なイエス が、もし今日のヨハネの子孫と出会ったとすれば、その豪華な宮殿の如き教会の中で、結 構な暮らしをし引き篭もっておるヨハネらに、何というじゃろうか。 「信者を頼り食いものにして、王侯貴族のような贅沢な暮らしをするのが、貴様の考える 豊かさか?自分の五体のみを頼り、命あるだけでも幸福と存ぜよ。人並み以上の豊かさを 求めるべからず。豪華な教会の外へ出て、自分の足で弱者の心を励まして回れ」と言うか も知れん。 まぁ長々と書いたが、宗教とは、1人のカリスマの功績を、お金儲けをしようとする為に 利用し造った組織である事が多いわい。その宗教が人間を幸せにする道理が、わしにはあ るのかどうか分からん。これが理恵の求める答えになったかどうか分からんが、謹んで返 答致したので、暇なときにでも読んでほしい。今回は鑑定の必要性は認めんので、鑑定は 保留とする。 今日は7度まで下がっておるが、長野市は日中は陽が当たるので暖かいわい。(^^)
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