- 【達者でな】鹿男あをによし 第52神話【先生】
238 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/07(月) 00:28:04 ID:CXL9hBtW0 - 冷やかしはやめて欲しいよね。
ちなみに専ブラ推奨(自分はギコナビ)の理由のひとつに 荒らしを全く消し去ってしまう「透明あぼーん」ってにがすごく便利で それを使うと徹頭徹尾、良スレになるのw あとIDをクリックするだけで、その人がどんな発言をしたのかすべて表示される機能もある。 だから冷やかしの人が、何かおかしい事に一瞬で気付くんだ。 >>234 3話つき合いますよ 自分も観たかったから。 >>204 おいおい解説していきますが、画文帯はその候補のひとつです。 また三神三獣鏡というのは、架空のもので三獣には彼ら三匹とも出てきません。 アリキリの石井さんが「へたくそなレプリカだなあ」と言っていた意味は このような形式のものが、今まで一枚も出土していないという意味も含まれて居ますね。
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239 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/07(月) 00:33:53 ID:CXL9hBtW0 - >>200
あなおそろしやw オープン時の記録も抜いたのか・・・というかその倍だw それまでは一日20人来れば多い方だったのに、一気に10倍かw
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242 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/07(月) 01:11:03 ID:CXL9hBtW0 - >>240
これは言葉足らずでした。 鹿・狐・鼠という三獣が刻まれた三神三獣鏡は、架空のものであるという意味でした。 申し訳ありません。 ただ普通と言うか、正しい姿は二神三獣鏡なんです。 東王父と西王母、これに龍や麒麟や獏といった神話上の獣が彫られているというのが 本来の中華神仙思想にのっとったものなのです。 これもなぜ変化していったのかなどは、後にリチャードに語ってもらうことにしますね。 >>241 ドラマ及び原作では、そういう解釈になっていますね。 個人的には、よくそんなうまい話考え出したなあと感心することしきりです。 歴史事実としてどうなのかというと、これも話が脱線してしまいますのでほどほどにするとして 三角縁の最大の特徴は、それまでの鏡より一回りも二回りも大きいということなんです。 でも銅は貴重品だからたくさん使いたくない。 なので縁に立体感を持たせて、本体を薄くすることで、銅の量は出来るだけ抑えているのです。 これも大量生産が前提だと考えると、納得がいきますね。
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273 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/07(月) 21:10:09 ID:CXL9hBtW0 - じゃあコテつけるときは年表絡みのときだけにしますね。
というか、昨晩はコテ取り忘れたんですw 昼間は名無しで書いてたのに、酒が入ると駄目ですね自分orz ごめんなさい。 では今日の分です。
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274 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/07(月) 21:11:11 ID:CXL9hBtW0 - ・447年(鹿→鼠)
允恭天皇36年。古墳時代中期。 【藤原くん解説】 5世紀の倭国は、いわゆる「倭の五王」の時代でした。それは中国史書である宋書や梁書に記された5人の倭国王、すなわち讃、珍、済、興、武のことです。 彼らは例によって中国風に名前が書かれていますのので、実際は誰と誰なのかといいいますと、これも確定した説がありません。 順番に仁徳、反正、允恭、安康、雄略とする説や履中、反正、允恭、安康、雄略または応神、仁徳、允恭、安康、雄略など様々です。 これは、日本書紀に記された年代が中国史書と全く一致しないためでもあります。 ただ古事記を中心に考えると、讃=仁徳、珍=反正、済=允恭、興=安康、武=雄略が年代的には一致します。 いずれにしても記紀に五王に関する記述が全くありませんので、いずれも推測の域を出ません。 ただ武=雄略については、埼玉県の稲荷山古墳と熊本県の江田船山古墳から出土した鉄剣銘文から、ほぼ確実視されています。 その他の天皇については、実在性を裏付ける物証も乏しく、古墳の推定築造年代とも一致しないことから、記紀から推測するのは不可能と言っていいでしょう。 大阪府の大仙古墳(伝仁徳天皇陵)なども、実は雄略天皇の陵墓ではないかとさえ言われています。 (続きます)
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275 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/07(月) 21:11:39 ID:CXL9hBtW0 - (続きです)
さて記紀は何故このような重要な外交記録を残さなかったのでしょうか? 中国史書を読んでいなかったのでしょうか?いえ、様々な記述から記紀編纂者は全ての中国史書に目を通している可能性が極めて高く、これはありません。 何よりもそれまでの天皇譲位がすべて親子間で統一されていたのに、仁徳の3人の息子たち(履中、反正、允恭)は、唐突に兄弟間で譲位しはじめます。 これが事実なら、皇位継承に関して大変更があったことになりますが、それにも記紀は一切触れていません。 つまり「中国史書を真っ向から否定は出来ないが『ある事実』だけは何としてもとぼけたかった」ための辻褄合わせということなのです。 ちなみに邪馬台国と卑弥呼についても、日本書紀の神功記に注釈として「倭人伝にある卑弥呼と言うのは、神功皇后のことかもしれない」と曖昧な書き方をするばかりです。 それ以前の北部九州の奴国王が金印を受け取った件についても一切書いていません。 これらを「中国史書に記されたのは、倭国とは別の九州王朝のことである」という説もありますが、それは置いといて 最も有力な説は「隋に対して対等国交を求めた日本国としては、朝貢を繰り返して冠位を貰い、常に従属国であろうとした過去の倭国王たちの事跡や存在を、出来るだけ隠蔽したかった」というものです。
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276 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/07(月) 21:12:42 ID:CXL9hBtW0 - (続きです)
さて鼠の運び番ですが、記紀における神代記(神話の時代)のほとんどが、4〜6世紀に成立した可能性が高いことは前に述べましたね。 鹿島神宮と春日大社に祭られる建御雷之男神(タケミカヅチの神)が中つ国の大国主(おおくにぬし)らに国譲りを迫ったとき、最終的に決断したのが事代主(ことしろぬし)でした。 4世紀や5世紀には、ヤマト連合勢力は次第に中央集権化を図り、各地に様々な方法で連合参加を求めた時代でした。 この神話も、そういった勢力拡大の様子を表したものだと解釈されています。 事代主が次第に蛭子や戎と同一化され、最終的に「エビス様」として商売繁盛の神となっていったことなどは 鼠の運び番は住吉あたりの漁師で、鼠に大金持ちにしてもらったお礼に、恵比寿様と鼠を祭り始めたのが後に広まったのかもしれません。 きっとそうですよ! ・・・あのう「妄想 心」で検索しないでくださいね。
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277 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/07(月) 21:13:21 ID:CXL9hBtW0 - 【リチャード解説】
それでは、本日は、三角縁神獣鏡について、お話いたしましょう! まずは神獣鏡の概念ですが、神仙思想に基づいて、鏡面の裏に東王父と西王母、それに龍、麒麟、獏などの架空の獣や虎などの霊獣が 肉彫り(図柄が盛り上がるように彫ったもの)された様式の銅鏡を指します。 それに縁が横から見ると三角形に尖っており、それまでの鏡よりも一回りも二回りも大きい(直径24cmから最大30cmほど)ものを、区別して三角縁神獣鏡と呼んでいます。 この呼び名がつけられたのは随分昔のことですが、有名になったのは50年ほど前の小林行雄氏の論文からです。 これは邪馬台国論争もあって、魏鏡なのか国産なのかが激しく議論されてきましたが、正直なところ最終的にはどちらも決め手がありません。 肝心の中国で一枚も出土していないとはよく言われますが、実は浙江省の紹興市で出土例が報告されています。 また平壌周辺でも出土報告があります。 しかしこれも・・・正確なデータが未公開なため、鵜呑みには出来ません。 また例え国産だったとしても、当時の倭人が一から作ったとは考えにくく、呉の鏡職人が渡来したとでもせねば成立しない考えです。 また本来は二神三獣が基本でありながら、実際は四神二獣や三神四獣など鏡によってバラバラで銘文もあったり無かったり あったにしても誤字脱字が多く、中には存在しない年号(景初4年)が入ったものまであります。 これだと魏鏡説にしても呉職人説にしても、出来が悪すぎてどちらも素直にはうなずけません。 また出土している500枚以上のうちのほとんどは「踏み返し鏡」と呼ばれるレプリカで、これは元の鏡に粘土を押し付けて型を取り、そこに鉛を流し込んで作ったコピー鏡です。 黒塚古墳では、こういったコピー鏡が一枚も含まれていませんでしたので、4世紀初頭の副葬であると考えられています。 (続きます)
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278 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/07(月) 21:13:46 ID:CXL9hBtW0 - (続きです)
このように現代のところでは何とも言いようの無い訳ですが、唯一矛盾を説明できる説があります。 「帯方郡製作説」といい、当時魏の支配下にあった帯方郡(現在の平壌あたり)において原型が作成されたのではないかというものです。 この地では帯方郡設置以前に、独立自治していた楽浪郡というのがありまして、そこが倭国と大陸を繋ぐ重要な交易拠点となっていました。 北部九州の繁栄は、楽浪郡の存在抜きでは考えられません。 ここでは三角縁を持つ獣帯鏡や花紋鏡などが出土しています。そのうちのひとつとして倭国にもたらされたとは十分に考えられます。 但しだからといってそれが魏から贈られた銅鏡百枚(いわゆる卑弥呼の鏡)に相当するかどうかは未知数です。 また三角縁より先に出土する画文帯神獣鏡が該当するかどうかも、まだ何ともいえません。 ただそれ以前の、いわゆる後漢鏡と呼ばれるものとは更に考えにくく(当時の中国は三国時代の真っ最中であり、後漢鏡を百枚も揃えることが困難であったため) 卑弥呼の鏡の候補は、以前にも増して謎に包まれています。 ドラマに登場したものは「三角縁銘帯三神三獣鏡」とでも呼ぶべきもので、画面で見る限り(9話黒塚資料館での奪還シーン)では 東王父と西王母にもうひとり、女性の姿があります(画面では一番下)おそらくこれが卑弥呼でしょう。 上から時計回りに、狐、西王母、鼠、卑弥呼、鹿、東王父が彫られ、その外側には銘文が確認できます。 小川先生の右手の上に「比売命」「与鹿狐子」などが確認できますね。「卑弥呼が(力を)鹿・狐・鼠に与える」ということでしょう。 しかしそれにしても、この小道具の鏡の出来は完璧です。▲▼の並び方や銘文の位置、三神三獣の大きさやデザインまで全て本物の第一類銘帯鏡を寸分たがわず再現しています。 製作にあたったスタッフの意気込みとこだわりがあったが故に、これほどの良作となって結実したドラマだと思います。
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279 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/07(月) 21:14:11 ID:CXL9hBtW0 - 【マドンナ解説】
「いい?夷の土蜘蛛だと思って油断したら駄目よ。 あなたたちも事代主の無条件降伏を見て分かっていると思うけど 建御雷之男神はかなりの実力者だから、心してかかるようにね。 じゃあ各自ウォーミング・アップをしておくこと。 自分の相撲を忘れないように」 しかし国津神の戦士、建御名方神(タケミナカタの神)は建御雷之男神に両腕を引きちぎられて、諏訪まで逃げて降伏しました。 もう水をぶっ掛けることも出来ませんねw
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287 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で[sage]:2008/04/07(月) 23:09:20 ID:CXL9hBtW0 - >>280
>大国主→大黒天→大黒様 これは仰るとおりで、そこに事代主+蛭子+夷(寄神)などが合体したのが、いわゆる「えべっさん」です。 えべっさんが釣竿を持っているのは、事代主の名残なんですよ。 >>281 東京国立博物館の常設展示にありますよ。 確か奈良で出土した奴が。 あれは二神と三獣で陰陽五行正刻を現すというのが、本来の姿だったのですけど そこはなぜか伝わっていないんですよ。 後期になると、全然関係ない唐草まで図案化されて、ラーメンドンブリみたいになっちゃいますw >>282 本当によく出来ていますよ、三角縁。 サビ(緑青)もほとんどなく、わずかに金箔すら残っている。 しかも埋葬も使用もしていないという設定どおりだけど、手ずれ(すり減り)が少しだけある。 もっと細かいことを言うと、中央の丸い突起の穴(鏡に紐を通す穴)が角型になっている。 千田稔先生が監修されただけのことはあります。 >>283 なんか長文になってしまって申し訳ないです。 興味ない方は印をつけて飛ばしちゃってくださいw >>284 粘土鋳型が基本なんですよ、コピーの場合。 オリジナル木製鋳型かもしれませんけど、まだそれは出土していません。 >>285 さる女学館で、教頭を務めております・・・うそです、ごめんなさいw
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290 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/07(月) 23:26:21 ID:CXL9hBtW0 - >>289
>めたこのスレの住民の大多数とは、また別の感慨を・・・ いえあれはリチャードの自己正当化ですよ。 先人の苦労にかこつけたw でもあそこでも細かいのは、リチャードが「お前」と言う言葉を吐くところですよね。 その一言で完全に本章が現れている。 駆け出す前のあっかんべぇ顔も、中の人すげえぞと思ってわくわくしながら観ていましたw
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291 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で[sage]:2008/04/07(月) 23:28:28 ID:CXL9hBtW0 - すみません、コテ消し忘れ。
それと本章→本性でしたorz お酒入ると、へべれけ藤原くん以下に成り下がります、自分w
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294 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で[sage]:2008/04/07(月) 23:39:16 ID:CXL9hBtW0 - >>292
そうですね、ただこの二人は一旦同化してからさらにまた分化しています。 おそらく室町末期あたりで、七福神信仰が形成されるのですが この際には寿老人と福禄寿やはり分化したと思われます。 実は稲荷が入っていた時代もあるそうですw きっちりメンバーが定まったのは、江戸初期くらいですかね。
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295 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で[sage]:2008/04/07(月) 23:43:45 ID:CXL9hBtW0 - >>293
あのシーンでも高杯(たかつき)という土器が出てきるのですが 庄内式土器という、当時の土器の最後期形式のものが使われていて どこまでこだわるねんなwと驚きました。 でも衣装は・・・まあ・・・その・・・仕方ないですねwww
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