- 【達者でな】鹿男あをによし 第52神話【先生】
118 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/06(日) 12:18:37 ID:FNHt68JU0 - >>116さんのルートがベストですよ。
どうしても大阪に寄りたいとか、少しでも節約したいのなら 新大阪から天王寺まで下がって、そこから大和路線でJR奈良までというルートもあります。 ただし相当にまわり道になるので、もし大阪経由ならJRなんばから近鉄難波に乗り換えて奈良へがベスト。
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125 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/06(日) 12:38:30 ID:FNHt68JU0 - >>120
悪い、そちらのレスを読んでから鶴橋経由に気がついた。 それがベストだわ。
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132 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/06(日) 13:05:30 ID:FNHt68JU0 - >>128
けっこう駐車場ありますよ。 http://www.parking.city.nara.nara.jp/parking/block06.html こちらを参考にどうぞ。 ちなみに公園近辺は徐行推奨です。 本当に頻繁に鹿が飛び出してくるから。
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133 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/06(日) 13:14:52 ID:FNHt68JU0 - >>130
新大阪からだと、まずJR京都線に乗り換えて大阪駅へ。 そこから環状線外回り(地図だと時計回り)に乗って6つ目が鶴嘴。 ここでJRから近鉄電車に乗り換えれば、急行などで近鉄奈良まで直通です。 西大寺・新大宮間で、進行方向から見て右側に朱雀門が見えますよ。
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195 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/06(日) 20:17:53 ID:FNHt68JU0 - こんばんわです。
なんか奈良観光指南とレシピという、放送時の集大成みたいなスレになってきましたねw ここはいい人が多いから、妙に居心地がいいんですね。 それでは507年です。
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196 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/06(日) 20:19:13 ID:FNHt68JU0 - ・507年(鼠→狐)
継体天皇元年。 【藤原くん解説】 この時の狐の運び番ですが、もうこれは継体天皇こと男大迹王(おおどのおおきみ)しか考えられません。 前の武烈天皇が前年に急死したのを受けて、越の国(現在の福井県)から招聘され、河内国樟葉宮(くすばのみや)にて即位しています。 実在が確かだと思われる最古の天皇である継体ですが、彼の出自や即位、さらには没年までもが複数の説があり、その実像は謎に包まれていると言っていいでしょう。 まず「応神天皇の5世の孫」という血筋ですが、正直なところこれが本当だったとしても他に何十人も該当者が居るはずですから わざわざ福井の豪族であった男大迹(以下オヲドと表記)を担ぎ上げる必要性は全くありません。 そもそも前天皇の武烈が残酷な悪王で、猟奇殺人者であったという記述は日本書紀にしか見られず、しかもこれは後漢滅亡時や百済王のエピソードの丸写しです。 武烈そのものが架空であった可能性も高く、なぜオヲドが別系統から即位したのかという明確な理由は不明としか言いようがありません。 更には526年までの20年間、オヲドは大和に入れなかったとあります。またこの年すでにオヲドは78歳という高齢で この5年後には息子の安閑天皇に譲位したとありますが、生前の譲位が明記されえた例はこれが初めてです。 また即位と同時に古代最大の争乱と言われる「磐井の反乱」が北部九州で勃発しています。 何から何まで異例ずくめで、しかも即位そのものにもきな臭いものが感じられますよね。 (続きます)
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197 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/06(日) 20:19:31 ID:FNHt68JU0 - (続きです)
またオヲドの息子たちである3兄弟(安閑、宣化、欽明)がそれぞれ皇位を継いで行くのですが、これも安閑、宣化と欽明が対立していた形跡があり 二朝廷分裂状態の末に、欽明が彼を支持した豪族たちのバックアップによって即位したとの説すらあります。 重さん解説にも出てきた大伴金村、物部尾輿、蘇我稲目の3大実力氏族ですね。 また近年の研究では、福井県には非常に有力で大和と近しい勢力が当時存在したことが、古墳出土品などからほぼ確実視されています。 なお継体天皇陵は、宮内庁指定の太田茶臼山古墳ではなく、今城塚古墳だとするのが定説になっていますね。 私はこの後の天皇家による内部クーデターである壬申の乱などとは少し違い、有力豪族たちによる主導権争いが皇位の混乱に繋がっているのではないかと考えています。 繋がってたんですよw
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198 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/06(日) 20:19:57 ID:FNHt68JU0 - 【リチャード解説】
藤原先生がっ、考古学見地までも、語ってしまわれましたので、私はっ、ドラマでも重要な役割を果たした「黒塚古墳」について、お話させて、いただきましょう! 黒塚古墳とは、天理市柳本町にある全長約130mの前方後円墳で柳本古墳群に属する、群内では中規模の古墳です。 試掘作業によって、未盗掘が確認された翌年の1997年から翌年にかけて、奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査を行いました。 その結果、三角縁神獣鏡33面と画文帯神獣鏡1面が、副葬当時に近い状態で発見されたのです。 それを再現したのが、黒塚古墳展示館での実物寸模型で、私が目を隠したところでして・・・ あの時、地震さえ起きなければ・・・また近鉄電車が即時復旧しなければ、永遠に私だけのものになったのに・・・。 すみません、少々、取り乱しました。 黒塚古墳における出土は、考古学会に大きな衝撃をもたらしました。 卑弥呼の鏡の最有力候補とまで考えられていた三角縁神獣鏡が、棺外に大量生産品として無造作に並べられ 肝心の棺内の遺体頭部あたりに大切に置かれていたのは、画文帯神獣鏡であったからです。 また三角縁神獣鏡が、日本国内ではコピー鏡も含めて500枚以上出土しているのに、中国では一枚も出土していないこと。 黒塚古墳や、先に32枚の三角縁神獣鏡が出土した椿井大塚山古墳の築造実年代は 早く見ても3世紀後半、西暦280年から300年のあたりが最有力であり、卑弥呼が死去したとされる247年まで遡るのはほぼ不可能です。 つまり三角縁神獣鏡とは、卑弥呼の死後に広く配布され始めたものである可能性が最も高く 彼女が魏から贈られた「銅鏡百枚」に該当する可能性は、今日ではほぼ無くなったという事なのです。 鹿が儀式の際に「人間たちは、目の形を真似た物を作って、みんなヒメの力にあやかろうとしていたんだ」と言ってましたが この設定は最新の考古学成果を基にされたものだった訳です。
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199 :鹿男歴史年表[sage]:2008/04/06(日) 20:20:20 ID:FNHt68JU0 - 【おまけ】
この世に神が居るかどうかは判らない。 でももし存在しているとしたならば、そいつはえらく気まぐれで、底意地が悪いに違いない。 それは、俺の人生を振り返ってみれば明らかだ。 たとえば58歳の春。 突然やってきた大伴金村に「天皇になれ」とそそのかされて、その気になって飛鳥に行ってみれば 中には入れてもらえずに大阪で20年も待たされる。 たとえば78歳の夏。 やっとの思いで奈良に宮を設けた矢先に、九州の磐井に反乱を起こされる。 たとえば83歳の春。 皇位を禅譲した途端に、息子の即位と同時に死んでしまった。 古事記と日本書紀でも、生まれた年も死んだ年も違うことを書かれる。 いつのまにか「応神の5世の孫」などと経歴捏造される。 死んでみれば、墓の場所までも間違われる。 挙げだしたらきりがない。 だからもう判っている。 後世の人間から「謎」だの「架空か実在か?」などと、きっと面白おかしく話のネタにされるに違いない。 by 継体天皇こと男大迹
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