- ■■■青春18きっぷ 85■■■
477 :列島縦断名無しさん[]:2014/11/25(火) 01:06:19.74 ID:CqK7/3D40 - 日曜夕方18時発のひかり号は指定席もグリーンも全て満席放送が車内に流れる中車販を待たずに
11号車から9号車のビュッフェにサンドイッチを買いに出向いたらビュッフェも満員の大盛況だった。 行列が客室まで伸びていたので調理中のナポリタンスパゲッティの煙が客室にも漂っていたな。 今でも街中でバターの焼ける匂いとトマトソースにコーヒーの香りが混ざった匂いに接すると当時を懐かしく思い出す。 昔、北斗星のグランシャリオで食べたビーフカツレツベルン風。 細かめのパン粉で揚げたビーフに輪切りのトマトとチーズを乗せてオーブンで焼き、デミグラスソースをかけたヤツ。 今では自分の得意料理になり、それなりに好評だ。 でも、デビュー当初のグランシャリオにあったサーモンステーキは今だに再現できない。素材の違いかな? 食堂車は営業休止の東京〜博多間直通0系「ひかり」では、食堂車は営業休止ということを知らない客が 東京駅や博多駅を出発直後にいずれ開店するものと思って食堂車の通路に数人並んでいることもあった 東海道ブルトレも確か2000年代になっても食堂車がロビーカー代わりに長い事連結されてたよな 東京・新大阪間の食堂車の営業で国鉄に入る収入は、一列車当たり1万8千円にすぎなかったそうだ。 食堂業務委託先の業者の取り分もあるから。食堂車よりも座席車増やした方が、増収になるということだな。 かつてほとんどの特急列車に連結されていた食堂車。 かつて多くの急行電車に連結されていたビュフェ。 新幹線にもビュフェや食堂車が当たり前に連結されていました。 流れる車窓を眺めながらいただく食堂車での食事、 今となってはごく限られた列車でしか楽しめなくなりました。 昔は洋食でステンレス製の食器は普通だったんだよ 当時はファミレスなんてのがなくて当時が何時を指すのか分からんけどすかいらーくができたのが1970年な それに当時の街の洋食屋や食堂、デパ食とか色々あったけど食堂車の方が上ってことはなかったよ 「ひかり」の食堂車で食事したことがあるが、その車両は客室と通路との 仕切り壁に窓がなく、照明も薄暗いオレンジ色だったがそれがまた落ち着いた 雰囲気を出していて、また運ばれてきた料理も高級に見え、日本一豪華な食堂車のように思えた ビュッフェと食堂車を両方営業していた0系の「ひかり」では、カレーライスは、 ビュッフェではメニューには「カレーライス」と書かれていて、食器は使い捨ての皿、 食堂車ではカレールーはソースポット入りでライスは陶器製の皿に盛られていて、また、 メニューには「ビーフカレー」と書かれていて、食堂車の方が値段でも少し高めなどかなりの差が見受けられた
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- オサーンの買春18きっぷ Part39
100 :列島縦断名無しさん[]:2014/11/25(火) 01:07:25.54 ID:CqK7/3D40 - 日曜夕方18時発のひかり号は指定席もグリーンも全て満席放送が車内に流れる中車販を待たずに
11号車から9号車のビュッフェにサンドイッチを買いに出向いたらビュッフェも満員の大盛況だった。 行列が客室まで伸びていたので調理中のナポリタンスパゲッティの煙が客室にも漂っていたな。 今でも街中でバターの焼ける匂いとトマトソースにコーヒーの香りが混ざった匂いに接すると当時を懐かしく思い出す。 昔、北斗星のグランシャリオで食べたビーフカツレツベルン風。 細かめのパン粉で揚げたビーフに輪切りのトマトとチーズを乗せてオーブンで焼き、デミグラスソースをかけたヤツ。 今では自分の得意料理になり、それなりに好評だ。 でも、デビュー当初のグランシャリオにあったサーモンステーキは今だに再現できない。素材の違いかな? 食堂車は営業休止の東京〜博多間直通0系「ひかり」では、食堂車は営業休止ということを知らない客が 東京駅や博多駅を出発直後にいずれ開店するものと思って食堂車の通路に数人並んでいることもあった 東海道ブルトレも確か2000年代になっても食堂車がロビーカー代わりに長い事連結されてたよな 東京・新大阪間の食堂車の営業で国鉄に入る収入は、一列車当たり1万8千円にすぎなかったそうだ。 食堂業務委託先の業者の取り分もあるから。食堂車よりも座席車増やした方が、増収になるということだな。 かつてほとんどの特急列車に連結されていた食堂車。 かつて多くの急行電車に連結されていたビュフェ。 新幹線にもビュフェや食堂車が当たり前に連結されていました。 流れる車窓を眺めながらいただく食堂車での食事、 今となってはごく限られた列車でしか楽しめなくなりました。 昔は洋食でステンレス製の食器は普通だったんだよ 当時はファミレスなんてのがなくて当時が何時を指すのか分からんけどすかいらーくができたのが1970年な それに当時の街の洋食屋や食堂、デパ食とか色々あったけど食堂車の方が上ってことはなかったよ 「ひかり」の食堂車で食事したことがあるが、その車両は客室と通路との 仕切り壁に窓がなく、照明も薄暗いオレンジ色だったがそれがまた落ち着いた 雰囲気を出していて、また運ばれてきた料理も高級に見え、日本一豪華な食堂車のように思えた ビュッフェと食堂車を両方営業していた0系の「ひかり」では、カレーライスは、 ビュッフェではメニューには「カレーライス」と書かれていて、食器は使い捨ての皿、 食堂車ではカレールーはソースポット入りでライスは陶器製の皿に盛られていて、また、 メニューには「ビーフカレー」と書かれていて、食堂車の方が値段でも少し高めなどかなりの差が見受けられた
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479 :列島縦断名無しさん[]:2014/11/25(火) 01:34:46.03 ID:CqK7/3D40 - アムトラックの食堂車の充実は異常。
まぁ2泊3日とかの行程で、中国やロシアみたいに駅で食い物売ってるわけじゃないから 食堂車は必要不可欠の生命線なんだが。 ちなみに寝台車は食事料金込みなんで利用率も凄く高い。 ただ、レイルパスで2週間とか乗りまくると飽きるぞ。メニューがほぼ全土統一だから。 朝昼10ドル以下、夜も14ドルからと アメリカの物価からすりゃ激安なんで文句は云えないけどね。 カフェ(これはほぼ全列車にある)のコーヒーも旨い。1ドル80セントだからやはり激安。 ただ、アメリカのコーヒーの相場は99セント(スタバだと1ドル60セント)だから それに比べりゃ高いが。 韓国は冷めた弁当食べるより、駅外での熱々の食事がおいしいからなあ。 2013年末に韓国に行ったら、車内販売が大幅に縮小されていて萎えた。 前回、2005年に行ったときは、縮小されつつあるとはいえ、セマウルの食堂車で食べた記憶があるんだが…。 釜田→江陵のムグンファは、8時間も乗るのにカフェカーすら無く、ミニカフェと称する飲み物とお菓子の自動販売機1台だけ… 昼飯時に買い物に行って、苦笑しながらお菓子を買ってくる人が多かった。 江陵→清涼里ムグンファは、カフェカーは付いているものの、食事らしきものはカウンターに置いてある弁当が5個ほど。 一応温めてはくれるけど、マズイのなんの。 それを満席で行き場のない学生っぽいカップルを、販売員のオバサマがどかして食べるものだから、食べた気がしなかった。 とはいえ、江陵の駅は小さい売店があるだけで、食べ物は売っていないし、周囲に店も無い。 昔は必ず居た露天の物売りもいない。 KTXは車販もあるし、駅にコンビニも弁当屋もあるけれど、それ以外はなんだか壊滅的な気分でした。 そんな状況だから、水原と原州で立ち食いうどん屋を見かけたのにはほっとした。
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- オサーンの買春18きっぷ Part39
101 :列島縦断名無しさん[]:2014/11/25(火) 01:36:17.96 ID:CqK7/3D40 - アムトラックの食堂車の充実は異常。
まぁ2泊3日とかの行程で、中国やロシアみたいに駅で食い物売ってるわけじゃないから 食堂車は必要不可欠の生命線なんだが。 ちなみに寝台車は食事料金込みなんで利用率も凄く高い。 ただ、レイルパスで2週間とか乗りまくると飽きるぞ。メニューがほぼ全土統一だから。 朝昼10ドル以下、夜も14ドルからと アメリカの物価からすりゃ激安なんで文句は云えないけどね。 カフェ(これはほぼ全列車にある)のコーヒーも旨い。1ドル80セントだからやはり激安。 ただ、アメリカのコーヒーの相場は99セント(スタバだと1ドル60セント)だから それに比べりゃ高いが。 韓国は冷めた弁当食べるより、駅外での熱々の食事がおいしいからなあ。 2013年末に韓国に行ったら、車内販売が大幅に縮小されていて萎えた。 前回、2005年に行ったときは、縮小されつつあるとはいえ、セマウルの食堂車で食べた記憶があるんだが…。 釜田→江陵のムグンファは、8時間も乗るのにカフェカーすら無く、ミニカフェと称する飲み物とお菓子の自動販売機1台だけ… 昼飯時に買い物に行って、苦笑しながらお菓子を買ってくる人が多かった。 江陵→清涼里ムグンファは、カフェカーは付いているものの、食事らしきものはカウンターに置いてある弁当が5個ほど。 一応温めてはくれるけど、マズイのなんの。 それを満席で行き場のない学生っぽいカップルを、販売員のオバサマがどかして食べるものだから、食べた気がしなかった。 とはいえ、江陵の駅は小さい売店があるだけで、食べ物は売っていないし、周囲に店も無い。 昔は必ず居た露天の物売りもいない。 KTXは車販もあるし、駅にコンビニも弁当屋もあるけれど、それ以外はなんだか壊滅的な気分でした。 そんな状況だから、水原と原州で立ち食いうどん屋を見かけたのにはほっとした。
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