- 【いざ】鎌倉スレ15【鎌倉!】
535 :列島縦断名無しさん[sage]:2014/06/07(土) 19:48:03.91 ID:Gex4Sq4a0 - 北条政子の邸宅跡発見!?
http://hamarepo.com/story.php?story_id=1185 「あの場所には『元治苑』という邸宅があったんです。長らく空家で、2011年に入って持ち主の売却に伴い4階建て41戸の マンション建設計画が持ち上がりました。建設計画に伴う説明会等を受けるうちに、この歴史的建造物を壊してしまっていいの? という思いが膨らんできたんです」 「調査によると、元治苑の母屋の築年数は江戸末期まで遡る事がわかりました。緑濃い庭園はお宮通り沿いに杉木立があり、 長年地域の景観を形成していたんです。 鶴岡八幡宮にも近く、鎌倉宮と荏柄天神の参道にも面していて、世界遺産登録で検討されているバッファゾーン(周辺の景観や 環境を保護する緩衝地帯)でもあります。景観の保全からも、歴史ある元治苑の保存をめざそうと2011年3月には『元治苑を守る会』 (以下「守る会」)が発足しました」 「守る会」は保存を求める2500筆を超える署名を短期間で集め、開発業者の三菱地所レジデンスに要望書を提出、鎌倉市長および 市議会議長あての陳情書も提出したが、現地に現状での保存は実現しなかった。 母屋だけでも解体後、部材を保管して将来鎌倉のどこかに移築できないかとかけあったものの、話がすすまないうちに建物は取り壊された。 さらに、景観保全のためにもセットバック(道路幅を確保するため接道部分を後退させること)の位置に杉木立を残せないか検討している最中に 木立も切り倒され、元治苑は更地になってしまったという。 だが、その地下には歴史的にも貴重な遺構が埋まっていた。 遺跡があっても建設はすすむ 日本史上初の武家政権の地でありながら、鎌倉には当時の武家屋敷も幕府も目に見える形では残っていない。 今回、元治苑の地下から出土した大量のかわらけは鎌倉でも他からは出ていないという。塀や道路の位置を示す柱穴も、未だ全貌が解明されて いない鎌倉初期の幕府の規模や様子を知る、考古学側からのアプローチとして非常に貴重なものだ。 発掘された遺跡を建物建設に伴う調査発掘で終わらせず、一部でも保存し、資料館のようなものを作れないか、「守る会」は要望書を提出したが それも退けられた。 「武家の古都・鎌倉」として世界遺産登録を目指しながら景観や史跡よりマンションを優先するのは何故なのか。鎌倉市の生涯学習部文化財課に 問い合わせてみたところ、電話での回答を得られた。 担当者によると「残せるものなら残したい」との事だ。 「発掘された遺跡が保存すべき重要なものであるという確たる証拠がないので、市としても開発を中止させる事はできません。報道では北条政子の 邸宅か?といわれていましたが、東鑑等の記述からの推測にすぎず、たとえば政子の名が記された木簡(もっかん:10世紀くらいまで使用された荷札。 この遺跡は12世紀末のもの)でも出土すれば保存へと動いたかもしれませんが」 中世の史料「東鑑」に記述がある場所で大規模な遺構が見つかっても、保存するほど重要ではないと言い切る認識には違和感をおぼえた。 世界遺産登録をめざしながら、重要と思われる遺構の上にマンションが建設される事に矛盾はないかと問うと、「それはユネスコが判断する事ですから」 との回答だった。
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