トップページ > 国内旅行 > 2010年10月20日 > C96OMsfu0

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列島縦断名無しさん
■ 神奈川県の問題点3

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■ 神奈川県の問題点3
250 :列島縦断名無しさん[]:2010/10/20(水) 22:17:53 ID:C96OMsfu0
<横須賀の在日者の足跡>

大日本帝国海軍横須賀鎮守府、横須賀海軍工廠、横須賀海兵団などがあった大軍港都市横須賀。
この横須賀に当時日本の植民地だった「朝鮮」から多くの人が強制連行され強制労働させられていました。
この人たちが、地下壕・海軍施設・道路・鉄道・河川改修などの工事に動員させられていたことは、当事者や市民の証言からわかります。
しかしこれを示す記録は敗戦直後かなり焼却されているので、正確な人数はわかりません。
しかし記録が残り、わかっているだけでも6000人近くになります。

1944年ころから空襲が頻繁になり「本土決戦」がスローガンとなって、多くの防空壕が掘られるようになりました。
横須賀の大規模な地下壕は記録に残るだけでも115ヶ所にも及びます。
地下工場や地下司令部などの壕の建設には、ほとんど例外なく当時日本の植民地だった「朝鮮」出身の労働者が参加しています。
■ 神奈川県の問題点3
251 :列島縦断名無しさん[]:2010/10/20(水) 22:24:41 ID:C96OMsfu0
追浜周辺には横須賀海軍航空技術廠、横須賀海軍航空隊、海軍航空廠などがありました。
1945年の「内鮮関係書類綴」の中に、横須賀海軍施設部第113部隊から469人が、1945年9月30日に、間宮丸という船で祖国に送還されたという記録があります。
この第113部隊は追浜にあり、その部隊長の人物譜の中に「専ら穴掘り」と書かれています。
つまりこの469人は、追浜周辺の防空壕を掘らされたことになります。

いくつかの証言をまとめると、防空壕を掘ったのは、海軍兵、第二国民兵、徴用工、そして「朝鮮」出身労働者で、仕事はかなりきつく、最も危険な所は「朝鮮」出身労働者が作業をやらされていました。
飯場は強制疎開させられた家が使われ、飯場は方々にありました。
夜になると飯場から悲しげな声でアリランが聞こえてきました。
朝5時に起床し、労働は朝6時から夏は午後7時まで、冬は午後5時まで。内容は防空壕掘りの他に石灰かつぎ、トンネル掘り、飛行場の拡張・・・きつい仕事はみんな「朝鮮」出身労働者がやらされました。
防空壕を掘り進めるときにダイナマイトで岩を爆破する発破作業で、直後の落盤事故が「棚落ち」と呼ばれ、多くの死者を出しました。
「朝鮮」出身労働者の遺体は引き取り手がありませんでした。
防空壕の上に設置してあった高射砲を撃つ衝撃で防空壕の天井が崩れて死者が出たこともありました。
■ 神奈川県の問題点3
252 :列島縦断名無しさん[]:2010/10/20(水) 22:27:54 ID:C96OMsfu0
<在日大韓基督教横須賀教会>

中央部の山の方の佐野地区にも朝鮮出身者の集住地域がありました。

1932年、ここに横須賀唯一の朝鮮出身者の教会、日本基督教会佐野伝道所が設立されました。

朝鮮出身者の会員25名。

牧師も朝鮮出身者でした。

弾圧により1940年から佐野伝道所は閉鎖。

戦後は日の出町の在日大韓基督教会横須賀教会となり現在に至っています。


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