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武田康祐 (ササクッテロレ Sp03-ceVZ)
DQN鉄ヲタ(東日本編) Vol.31

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DQN鉄ヲタ(東日本編) Vol.31
672 :武田康祐 (ササクッテロレ Sp03-ceVZ)[]:2019/03/21(木) 21:08:25.08 ID:JCYX3k0Rp
★おおさか東線・2019年3月16日全線開業
3月16日、JR西日本おおさか東線新大阪〜放出間11.1km(以下、北区間)が開業し、2008(平成20)年に開業した放出〜久宝寺間(以下、南区間)と合わせて、新大阪〜久宝寺間20.3kmが全通する。1997(平成9)年に開業したJR東西線以来、
大阪市周辺では京阪電気鉄道中之島線、阪神なんば線などの整備が進められてきたが、おおさか東線の全通は大きな節目のひとつだ。その全貌を紹介しよう。

◆構想から67年ぶりの旅客化全通
おおさか東線は、東海道・山陽新幹線が発着する新大阪駅から、片町線(学研都市線)が接続する放出駅を経て、関西本線(大和路線)久宝寺駅までを結ぶ20.3kmの路線だ。元々は、昭和初期に建設された片町線の貨物支線で「城東貨物線」と呼ばれていた。
沿線は1930年代から宅地化が進んだ地域で、今では京阪電気鉄道や近畿日本鉄道のほか、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)地下鉄谷町線、長堀鶴見緑地線など多数の鉄道路線により大阪市中心部と結ばれている。城東貨物線も、1952(昭和27)年に城東
貨物線客車運行促進同盟会が結成されるなど、戦後まもない時期から旅客化の構想があった。しかし、梅田・なんばほうめんに入らないため、建設費が高額な割に需要が見込めないとして、なかなか実現しなかった。今回の全線開業は、構想から67年ぶり
の旅客化全通だ。鉄道会社の負担を抑えるため、沿線自治体やJR西日本が出資する第三セクター「大阪外環状鉄道株式会社」が建設と施設の保有・管理を行い、JR西日本は列車の運行のみ担当する「上下分離式」が採用されている。今回の全線開通によっ
DQN鉄ヲタ(東日本編) Vol.31
673 :武田康祐 (ササクッテロレ Sp03-ceVZ)[]:2019/03/21(木) 21:09:09.93 ID:JCYX3k0Rp
て、新大阪駅と奈良駅が直接結ばれ、大阪府東部や奈良県と新幹線のアクセスが強化されるほか、大阪市中心部に集中していた乗客の流れを周辺に分散させる狙いがある。首都圏でいえば、武蔵野線のような性格の路線だ。新たに設置される駅は、南吹田、
JR淡路、城北公園通、JR野江の4駅。開業と同時に、既存の高井田中央〜新加美間とともに特定都区市内制度の「大阪市内」に追加され、大阪駅から201km以上の駅までの乗車券は「大阪市内発・着」として大阪駅を基準に運賃が計算される。

◆ほぼ従来通りの15分間隔で運行
開業時のダイヤでは、普通列車が上下合わせて平日136本、土曜・休日134本運行される。概ね15分間隔、1時間あたり4本の運行で、これまでの南区間とほぼ同じ。新大阪〜放出間の所要時間は15〜16分、新大阪〜久宝寺間は32〜36分で結ばれる。区間運転は、
早朝と深夜の新大阪方面に数本あるだけで、基本は新大阪〜久宝寺間の運転となる。平日の朝夕のラッシュ時には、上下各4本の直通快速が新大阪〜久宝寺〜奈良間で運行される。奈良方面の下りは夕方のみ、新大阪方面の上りは朝のみの設定だ。土曜・休日
も直通快速が上下各4本運転されるが、うち2往復は日中に設定されている。停車駅は、新大阪、放出、高井田中央、JR河内永和、久宝寺、王寺、法隆寺、大和小泉、郡山、奈良。新大阪〜奈良間の所要時間は52〜60分だ。これに伴い、尼崎〜放出〜久宝寺
〜奈良間の直通快速は廃止される。尼崎・京橋方面からJR河内永和方面へ行くには、放出駅での乗換えが必要となるが、久宝寺駅での関西本線との乗換えと同様、同一ホームで乗換えられる。鴫野駅も、京橋方面からJR野江方面へは同一ホームでの乗換えが可
能だ。車両は、普通列車については従来から引き続き吹田総合車両所奈良支所の201系6両編成が、直通快速は網干総合車両所明石支所の207系または321系の7両編成が充当される。201系は近年、大阪環状線で323系への置き換えが進んでいることから、おお
さか東線では、関西本線とともに201系が日常的に見られる最後の路線となりそうだ。
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674 :武田康祐 (ササクッテロレ Sp03-ceVZ)[]:2019/03/21(木) 21:09:51.97 ID:JCYX3k0Rp
◆90年前の開業時に架けられた橋梁を活用
新しい起点である新大阪駅から、今回開業する北区間に乗ってみよう。新大阪駅はら最も西側、新幹線で連絡改札口に近い1・2番線から発着する。新大阪駅からしばらくは東海道本線と並走するが、東淀川駅にはホームがないり神崎川を渡ったところで
高架線に上がり、下り線は東海道本線と梅田貨物線の6線を、上り線は東海道本線の4線をオーバークロスして東に分岐し、高架線上の南吹田駅に着く。新大阪駅から2kmという位置にありながら、今までバス路線もほとんどなく、特に不便だった地域だ。再び
神崎川を渡る頃、左手に吹田方面からの城東貨物線が近づき、神崎川信号場で合流する。ここからは、既存の城東貨物線を活用した盛土区間となる。1929(昭和4)年の開業時から複線分の用地が確保されており、90年ぶりに複線化を実現したことになる。
東海道新幹線をくぐり、阪急電鉄の千里線と京都本線を立て続けにまたぐと、JR淡路駅。阪急の淡路駅とは350mほど離れており、乗換えには少々不便だ。JR淡路駅を発車すると、淀川橋梁、通称「赤川鉄橋」で淀川を渡る。この橋梁は、1929年の城東貨物線
開業時から複線橋梁として建設されたもので、上流側は大阪市に貸し付けられて「赤川仮橋」と呼ばれる人道橋として使われていた。貨物列車を間近に見られるスポットとして、2013(平成25)年10月に閉鎖されるまで、レイルファンにも人気だった。おおさか
東線は、この90年の歴史ある橋梁を補修したうえで活用している。淀川の左岸に渡ると城北公園通駅。この辺りは今までバスしかなかった地域で、南吹田駅周辺とともに、おおさか東線全通の恩恵を受ける町だ。阪神高速12号守口線をくぐり、団地やマンション
が並ぶ住宅地を走ってJR野江駅に着く。こちらは京阪本線の野江駅との接続駅だが、やはり150mほどはなれている。京阪本線を斜めにまたぐと、かつて淀川駅に通じていた貨物線の跡が右に分岐する巽信号場跡を通過し、北区間では唯一の踏切である蒲生
踏切を過ぎると、右手から片町線が合流。片町線とともに架け替えられた寝屋川橋梁を渡って、鴫野駅に着く。鴫野〜放出間は片町線との複々線区間で、おおさか東線は片町線の上り線をアンダークロスして放出駅に到着する。放出駅では、片町線に挟ま
れる配線となって、同一ホームでの乗換えが可能だ。
DQN鉄ヲタ(東日本編) Vol.31
675 :武田康祐 (ササクッテロレ Sp03-ceVZ)[]:2019/03/21(木) 21:10:54.53 ID:JCYX3k0Rp
◆現在の大阪環状線から分離されて生まれた城東貨物線
おおさか東線の歴史は、1898(明治31)年に開業した関西鉄道放出〜網島間(廃止)に始まる。この路線は国有化後、何度かの路線変更を経て、1927(昭和2)年までに放出〜淀川間の通称「淀川貨物線」となる。淀川駅は、今の大阪環状線桜ノ宮駅北側に
あった貨物駅で、現在は廃止されて都島中央公園などになった。1929(昭和4)年、吹田〜淀川間に新たに貨物支線が開業した。それまで、大阪南部に向かう貨物列車は城東線(現:大阪環状線東側)を経由していたが、年の発展によって城東線こ輸送力増強
が必要になり、電化・高架化することになった。そこで、旅客電車運行との競合を避けるため、貨物列車を迂回(客貨分離)させることになり、吹田〜淀川間の貨物線が建設された。1931(昭和6年)には吹田方面から放出方面へ直通する短絡線が建設さ
れ、同時に放出駅から関西本線平野駅への貨物線も開業。さらに1939(昭和14)年にさ、現在の久宝寺駅付近にできた竜華操車場(廃止)に接続するため、放出方面から久宝寺方面に接続する線路が開設され、吹田〜放出〜平野・久宝寺駅間が全通した。
この路線が、現在のおおさか東線のルーツにあたる城東貨物線だ。

◆難航した旅客化構想
鉄道貨物が物流だった時代、城東貨物線は関西の物流を支える路線だった。戦後の1952年には、竜華操車場から阪和線の杉本町を結ぶ阪和貨物線も開通。吹田操車場、竜華操車場、和歌山操車場、淀川駅、そして1963(昭和38)年に開業した百済駅(現:
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676 :武田康祐 (ササクッテロレ Sp03-ceVZ)[]:2019/03/21(木) 21:11:59.34 ID:JCYX3k0Rp
百済貨物ターミナル)という関西の物流拠点を結び、かずおおくの貨物列車が行き交っていた。城東貨物線全通当時の沿線は、大阪市郊外ののどかな田園地帯だったが、太平洋戦争の前後から、住宅地が増えていく。やがて、住民の間から「旅客列車を走らせ
てほしい」という要望が起こり、1952年、城東貨物線客車運行促進同盟会が結成された。1960(昭和35)年8月には、城東貨物線電化客車運行促進連盟となって、旅客化と立体交差化を国に要望していくことになる。1963年、運輸省(当時)の都市交通審議
会答申第7号で「新設すべき路線」として新大阪〜放出〜加美〜杉本町間が盛り込まれ、「大阪外環状線」と定義された。しかし、国鉄は城東貨物線の旅客化に消極的だった。当時の城東貨物線は物流の大動脈だったうえ、沿線人口も今ほど多くはなく、莫大な
資金をかけて旅客化しても国鉄にはメリットが少なかったのだ。それでも国鉄は、新大阪〜加美間の複線電化と高架化、加美〜杉本町間の単線電化を1969(昭和44)年度までに行うと計画したが、この頃から国鉄財政の悪化が始まり、結局着工されることはなかった。


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