- 東京都の大学吹奏楽について 〜第17楽章〜
432 :ジャジー[sage]:2012/05/12(土) 04:23:15.12 ID:vS2VOla5 - >>430
なるほど。指示を待つのではなく、自発的に取り組んだわけですね。 やりたい事に満ちた、充実した日々を送っていたのが分かります。本当にうらやましい。 ただ、指揮者が懇切丁寧に技術指導しないといいますが、本当はそれが当たり前なんですよ。 それは、本来は演奏者の役割だから。 演奏するのは演奏者。指揮者ではない。 何もかも指揮者任せにしていたら、演奏者としてやるべきことをやっていない、ということになってしまう。 それから、「大学生なので」という枕詞が気になってしまった。 謙遜のつもりだったのでしょうが、どうしてアマチュアレベルでとどまっているのでしょうか。 目指すなら、プロアマひっくるめて頂点を目指すべきですよ。 そうでなければ、真剣に取り組んでいるとは言わないと、私は思う。 少なくとも、ステージ上ではプロもアマもない。 高みを目指すという言葉の意味を、考えられてはどうでしょうか? それから、気になることがもう1つ。 技術面を磨いていたのは分かりますが、表現力は指揮者に頭が上がりませんか? その書き込みからは、表現力の取り組みに対する自信が見えてきません。 私なら、表現力のアイデアを指揮者からもらうという考えすらありません。 なぜなら、言われなくてもたいていの事は分かっているという自負があるから。 もちろん、今でもさまざまな演奏を聴いて学ぶことはあるし、分からないことも当然あります。 ただ、私は、演奏者は自分のするべきことは一通りできて、 始めて一人前と認められるのだという意識があるから、他人に何とかしてもらおうという意識を持ちたくない。 普段から準備するのではなく、普段から完成している。 これが、私の考えです。 演奏のことはすべて演奏者が決める。指揮者は、演奏者の取り組みを妨げなければいい。 その上で、どのように演奏するか、最後の決定は指揮者にお任せする。 私たちは、指揮者に評価されるために演奏するのではなく、 自らの持つ最高の技術をお客様に提供するために演奏している。 指揮者ではなく、演奏者がイニシアチブを取るようにしなければならないと、私は思っていますよ。
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435 :ジャジー[sage]:2012/05/12(土) 10:09:37.43 ID:vS2VOla5 - >>433
>どういう意味で優秀という言葉を使っているのか? 難しいことはない。優秀な演奏技術を持った演奏者個人という意味で、優秀という言葉を使ったまでだから。 >自分の頭で考え、行動できる人間かどうかと演奏レベルはあまり関係がない。 >ベルリンフィルやウィーンフィルでも指揮者が変われば演奏は変わる。 聴いてもいないことを言われても、私はなんて返答すればいいのか。 同じ交響楽団の違う指揮者による演奏を見ることができ、そして演奏が明確に違っていれば、 嫌でも納得できますが。 >そもそも現実として指揮者が変わって揺らがない大学は存在しているのか? 私は分かりません。少なくとも、私はないと言いきることはできない。 >新しい指揮者と相性によってレベルを含めいろいろ変わるのは当然ではないか? >個人の技術、志の持ち方と、バンドのレベルや演奏の良しあしは必ずしも比例しない。 指揮者が決めるのが当然だとは全く思いません。私なら、指揮者を選んでしまいますね。 優秀な指揮者なら、的確な指示を送ることができるから、結果的に「指示に従う」ことになるのでしょうが、 指揮者の指摘が的を得ていないなら、指示に従うことなどできない。 指揮者より私の方が演奏を知っていると感じたら、私たちがやりたい通りにやらせてもらう。 なぜなら、演奏するのは指揮者ではなく演奏者だから。 私の場合は、たとえ越権行為と思われようとも 最悪、私自ら指揮台に立ち、「私が指揮をしますから、あなたは私がまとめた通りに指揮していただけますか?」と言ってしまうでしょう。 私は、そんなことに、何の躊躇も感じない人間ですね。
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436 :ジャジー[sage]:2012/05/12(土) 10:20:57.00 ID:vS2VOla5 - >>434
>しかし逆にこういう内容の練習をやっているからといって >かならずいい演奏が出来るとは限らない。 それは、普段の練習内容に問題があるからでは? 厳しい言葉になりますが、 100回吹いて、100回同じようにできなければ、合格点とは言えない。 なぜなら、本番では失敗したからと言って、もう1回同じ事を繰り返すことはできないから。 >演奏者が志高く技術を磨いても、それを用いて演奏を組み立てるのは指揮者だからだ。 >演奏者が技術があり表現についてもしっかりした考えに基づいて表現する力があっても、 >指揮者がそれをしっかり組み立てなければいい演奏にはならない。 これは全くその通り。 ただし、私の場合は力のない指揮者に任せ、委ねることはできない。 >>429でも書きましたが、そもそも、他人に任せ、委ねる姿勢からは何も変化が生まれない。 演奏するのが指揮者ではなく演奏者である以上、 演奏者の方が変わらなければ、劇的な改善はできないのではないか。 私も、演奏者としてだけではなく、指導者のようなこともやってきました。 学生の頃は、言葉で人を変えることができるのだと自惚れていました。 そうではなく、演奏者本人が変わるのであり、他人は演奏者の変化を助けることしかできない。 他人ができることなどたかが知れているのだと、今の私は思いますね。 >必ずしも指揮者と演奏者に上下関係がなくてもいいが、 >指揮者と演奏者には役割分担があるのだから、一方だけが良くてもダメだ。 >両方が良くて、さらに両者の相性もよく、信頼関係があるのが理想的。 私が指揮者に臨むことはただ1つです。 演奏者の取り組みを妨げず、私たち演奏者を気持ちよく演奏させてくれればいい。 信頼関係という言葉の意味は分かりませんが、 力のない指揮者が演奏者と信頼関係を結ぶためには、学ぶことはたくさんありますよ。 演奏者の要望に素直に耳を傾ければ、その中から信頼も生まれてくるのではないでしょうか? 長文失礼しました。
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438 :ジャジー[sage]:2012/05/12(土) 12:04:21.96 ID:vS2VOla5 - >>437
>ジャジーさんはしっかりした意見を持っていて面白いと思っていました。 >やり取りで来て光栄です。 率直なご意見をありがとうございます。 あなたは私と向き合えるほどの考えを持っているようですね。 意見交換という非常にいい機会を持てた事を、こちらも光栄に思います。 >私は、演奏を組み立てるのはあくまで指揮者の仕事であり、演奏者がその代わりのようなことをすべきではないと思います。 >演奏の組み立てについて任せられない指揮者ならば、そもそもその人は指揮者失格であり、すぐに指揮者を変えるべきです。 >演奏者がやるべきことではありません。 確かに、本来は演奏者の仕事ではない。 しかし、対等な関係が生まれるのは、互いが互角の力を持っている時です。 こちらから見て、自分のことで手いっぱいの人間がいたら、 手を差し伸べたくなるのが、人間として自然な感情ではないでしょうか? 力のない指揮者を前にしても、あなたは「それは君の仕事で、私の仕事ではない」と言いきってしまうのでしょうか? 私は、そこまで冷酷な人間にはなりたくありません。 >最悪、私自ら指揮台に立ち、「私が指揮をしますから、あなたは私がまとめた通りに指揮していただけますか?」と言ってしまう >については、それならその指揮者に指揮を振らせず、あなた自身が演奏者ではなく指揮者となるべきです。 指揮の仕事も面白そうだと思いますよ。機会があればやってみたい。 以下続きます。次で最後です。
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439 :ジャジー[sage]:2012/05/12(土) 12:05:24.64 ID:vS2VOla5 - >100回吹いて、100回同じようにできたとして、その演奏を本番でやったとしたら、
>それはもはや芸術ではない、と私は思います。 >何度も何度も寸分違わず再現できる、それは高度な芸当ではあるでしょうが、芸術とは思いません。 >音楽は瞬間の芸術であると思います。 >本番の演奏は、まさにその瞬間にしか存在しえない演奏を、と考えるべきであり、 >それこそが音楽を芸当ではなく芸術たらしめていると私は考えます。 >たとえば会場のその時のコンディション、お客の入りや反応等、様々な要素によって、 >それに応じた演奏をすべきであり、100回が100回紋切り型のように同じ演奏をするべきではないと思います。 >たとえアマチュアであろうとも、芸当ではなく芸術を志したいと思います。 あなたの演奏に対する考えの深さを、身をもって知らされる思いです。 しかし、私は講義を聞く学生ではなく、聴衆に向かって演奏する演奏者です。 あなたは何をしたいのか、それだけを聞きたい。 その書き込みには、あなたのしたい事が書かれていません。 同じ演奏をしたくないのなら、どんな演奏をしたいのですか? ともかく、まずは自己暗示を解いていただきたい。 あなたの人間性を否定するつもりは全くありませんが、 あなたの技術は、まだ発展途上にあることを自覚していただきたい。 それは、決して自己卑下することではありません。 自分の立場を冷静に認識してこそ、次の一手が見えてくる。 それなのに、「芸術を志す」「様々な要素に応じた演奏をする」だのとごまかしているから、 指揮者の意のままになり、しかもそのことに喜びを感じてしまう。 これでは本末転倒。演奏を決めるのは、演奏者でなければいけませんよ。 (参考文献 『週刊金曜日』 金曜日社、2012年5月11日号) 長文失礼しました。
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