- 東京都の大学吹奏楽について 〜第17楽章〜
433 :名無し行進曲[]:2012/05/12(土) 08:49:57.54 ID:0hzabT3z - >>429
>本当に優秀な奏者の集まりなら というのは、どういう意味で優秀という言葉を使っているのか? 自分の頭で考え、行動できる人間かどうかと演奏レベルはあまり関係がない。 ベルリンフィルやウィーンフィルでも指揮者が変われば演奏は変わる。 そもそも現実として指揮者が変わって揺らがない大学は存在しているのか? 新しい指揮者と相性によってレベルを含めいろいろ変わるのは当然ではないか? 個人の技術、志の持ち方と、バンドのレベルや演奏の良しあしは必ずしも比例しない。 さて、>>425もこの会話に入ってこいや。
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434 :名無し行進曲[]:2012/05/12(土) 09:00:07.53 ID:0hzabT3z - 連投失礼
>>430の内容は至極当然なこと。 全国常連レベルならこういうものでしょう。 しかし逆にこういう内容の練習をやっているからといって かならずいい演奏が出来るとは限らない。 演奏者が志高く技術を磨いても、それを用いて演奏を組み立てるのは指揮者だからだ。 演奏者が技術があり表現についてもしっかりした考えに基づいて表現する力があっても、 指揮者がそれをしっかり組み立てなければいい演奏にはならない。 必ずしも指揮者と演奏者に上下関係がなくてもいいが、 指揮者と演奏者には役割分担があるのだから、一方だけが良くてもダメだ。 両方が良くて、さらに両者の相性もよく、信頼関係があるのが理想的。
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437 :名無し行進曲[]:2012/05/12(土) 11:24:51.32 ID:0hzabT3z - ジャジーさんはしっかりした意見を持っていて面白いと思っていました。
やり取りで来て光栄です。 さて、今回の内容をみると、あなたは指揮者をずいぶん低く見ておられますね。 私は、演奏を組み立てるのはあくまで指揮者の仕事であり、演奏者がその代わりのようなことをすべきではないと思います。 演奏の組み立てについて任せられない指揮者ならば、そもそもその人は指揮者失格であり、すぐに指揮者を変えるべきです。 演奏者がやるべきことではありません。 >>435にある、 >たとえ越権行為と思われようとも 最悪、私自ら指揮台に立ち、「私が指揮をしますから、あなたは私がまとめた通りに指揮していただけますか?」と言ってしまう については、それならその指揮者に指揮を振らせず、あなた自身が演奏者ではなく指揮者となるべきです。 >>436の、 >100回吹いて、100回同じようにできなければ ということについて、昔々友人と議論したことを思い出しました。 その時友人はあなたと同意見でした。 しかし私の意見は異なります。 100回吹いて、100回同じようにできたとして、その演奏を本番でやったとしたら、 それはもはや芸術ではない、と私は思います。 何度も何度も寸分違わず再現できる、それは高度な芸当ではあるでしょうが、芸術とは思いません。 音楽は瞬間の芸術であると思います。 本番の演奏は、まさにその瞬間にしか存在しえない演奏を、と考えるべきであり、 それこそが音楽を芸当ではなく芸術たらしめていると私は考えます。 たとえば会場のその時のコンディション、お客の入りや反応等、様々な要素によって、 それに応じた演奏をすべきであり、100回が100回紋切り型のように同じ演奏をするべきではないと思います。 たとえアマチュアであろうとも、芸当ではなく芸術を志したいと思います。
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441 :名無し行進曲[]:2012/05/12(土) 13:46:19.37 ID:0hzabT3z - なるほど、おっしゃることはわかりました。
私はこれまで、すばらしい指揮者に恵まれてきたのです。 引き換え自分のレベルの低さ、意識の低さを痛感させられました。 技術も表現も、意識も志も、より高くとは思えども、 すばらしい指揮者や他の優れた演奏者を見て、とてもかなわないと思いました。 それでも、すばらしい指揮者の意図に応えようと努め、いい演奏の一端を担う喜びを味わわせて頂くことが出来ました。 それは決して紋切り型の演奏ではなく、その瞬間の指揮者の意思を読み取り、応える作業であったと思います。 一般論としては演奏とは指揮者と演奏者のコミュニケーションだと思います。 指揮者、演奏者ともに優れていてレベルが高いならば、演奏とは指揮者と演奏者の戦いの場になるかもしれません。 しかし私のように演奏者より指揮者が優れている場合には、 優れた指揮者の能力を信頼して応えようとするというコミュニケーションもありだと思います。 指揮者の意のままが本末転倒とか、演奏をきめるのは演奏者とか、あなたは指揮者より演奏者を優位に考えておられるようですが、 私はそうは思いません。 演奏を決めるのは演奏者ではありません。 演奏は指揮者と演奏者のコミュニケーションによって決まるのです。 指揮者と演奏者の優劣が歴然としているならば、優れた方の意思に従うこともありでしょうし、 どちらかが自己主張が強ければ、その主張に沿った演奏をするのもありでしょう。 両者が歩み寄った演奏もいいでしょうし、両者が激しく衝突しあう演奏も面白いかもしれません。 しかし私は自分がレベルが低いと思っているので、私より優れた指揮者の下でしか演奏をしたくはありません。 だから私の個人的な見解はあなたの考えとはそぐわなくて当然だと思います。 あなたはきっと演奏者としてのプライドが高い人なのでしょう。 私は私より優れた指揮者の下で、私一人では到底達することのできない世界、 知りもしなかった、想像すらできなかった世界に導いてくれる指揮者の下で演奏をしたいと思います。 私のしたい演奏、それは私一人では到底達することのできない世界、 知りもしなかった、想像すらできなかった世界を聴衆と共有することです。 私の意思の範囲内というちっぽけな世界は、私のしたい演奏ではありません。
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