- 天才・三島由紀夫
422 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/06(水) 10:15:50.93 ID:4Uz9Fazm - 私はあくまで黒い髪の女性を美しいと思ふ。洋服は髪の毛の色によつて制約されるであらうが、女の黒い髪は最も
派手な、はなやかな色であるから、かうして黒い服を着た黒い髪の女は、世界中で一番派手な美しさと言へるだらう。 三島由紀夫「恋の殺し屋が選んだ服」より 女の子のスキーやスケートの姿は、雪女の伝説ではないが、勇ましいうちにも冷艶なものがある。ほつぺたを 真つ赤にして滑つてゐる健康な少女でも、そこには、何だか、妖精的な、透きとほるやうな女らしさが、雪や氷を 背景にして匂ひ立つのだ。 三島由紀夫「新夏炉冬扇」より 今でも英国では、午後の紅茶に 「ミルク、ファースト? ティー、ファースト?」 と丁重にきいてまはつてゐる。同じ茶碗にお茶を先に入れようがミルクを先に入れようが、味に変りはなささうだが、 そんなことはどうでもいいかといへば、そこには非合理な各人各説といふものがあつて、決してさうはいかないのが 英国であることは、今も昔も変りがない。「どつちでもいいぢやないか」といふ精神は、生活を、ひろくは 文化といふものを、あつさり放棄してしまつた精神のやうに思はれる。 三島由紀夫「英国紀行」より
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- 天才・三島由紀夫
423 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/06(水) 10:16:21.94 ID:4Uz9Fazm - 「浅草花川戸」「鉄仙の蔓花」「連子窓」「花畳紙」「ボンボン」「継羅宇」「銀杏返し」「絎台」「針坊主」
「浜縮緬」などの伝統的な語彙の駆使によつて、われわれは一つの世界へ引き入れられる。生活の細目の あらゆる事物に日本風の「名」がついてゐたこのやうな時代に比べると、現代は完全に文化を失つた。文化とは、 雑多な諸現象に統一的な美意識に基づく「名」を与へることなのだ。 三島由紀夫「解説(現代の文学20 円地文子集)」より 事情通の言つたり書いたりしてゐることを、きいたり読んだりすると、ますますあいまいもことしてわからなくなる、 といふのが通例である。あひかはらず「真相はかうだ」式のものがよく読まれてゐるが、さういふものほど、 ますますフィクションくさく見えてくる、といふ妙な仕組みになつてゐる。 ものごとの表面ほど、多く語るものはない。 不安自体はすこしも病気ではないが、「不安をおそれる」といふ状態は病的である。 三島由紀夫「床の間には富士山を――私がいまおそれてゐるもの」より
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- 天才・三島由紀夫
424 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/06(水) 10:16:48.32 ID:4Uz9Fazm - 一体、赤紙の召集ぢやあるまいし、芝居の大事なお客さまを「動員」するなどといふのは、失礼な話だ。
芝居のお客は、窓口で、個々人の判断で、切符を買つてくれる人が、あくまで本体である。われわれ小説家の 著書を、団体で売りさばくといふ話はきいたことがない。部数の大小にかかはらず、われわれの本は、われわれの 仕事に興味を持つてくれる人の手へ、直接に流れてゆくのであつて、さういふ読者の支持によつて、はじめて われわれの仕事も実を結ぶのである。 芝居といふものは絵空事で、絵空事のうちに真実を描くのだ。 三島由紀夫「私がハッスルする時――『喜びの琴』上演に感じる責任」より 「いやな感じ」といふのは、裏返せば「いい感じ」といふことである。つまり、「いやな、いやな、いやな…… いい感じ」といふわけだ。 人間と世界に対する嫌悪の中には必ず陶酔がひそむことは、哲学者の生活体験からだけ生れるわけではない。 行為者も亦、そのやうにして世界と結びつく瞬間があるのだ。 三島由紀夫「いやな、いやな、いい感じ(高見順著『いやな感じ』)」より
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