- 天才・三島由紀夫
337 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/06/03(金) 10:40:47.57 ID:SNR1wrgP - >>336
最初は本名でやりたかったようだけど、学習院の先生の清水文雄先生のアドバイスでペンネームを付けることにしたそうです。 そこで三島は「伊藤左千夫」ふうな柔らかい名前を希望して、その意向を加味しながら清水先生がつけたそうです。
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338 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/06/03(金) 17:24:59.50 ID:SNR1wrgP - ちやうど舞台の夜空に描きこまれたキラキラする金絵具の星のやうな、安つぽいロマンスこそ女の心を永久に
惹きつけるものだ。 三島由紀夫「『からっ風野郎』の情婦論」より ある点から見れば、歌舞伎役者は貞淑な日本の妻達に似てゐる。彼女らは夫の専横なしつけに対して従順を装ひ、 忍従の美徳を衒つてゐながら、とどのつまりは何事も彼女等の望む通りの結果を得るのである。彼等歌舞伎役者も また然り。そのやうにして彼等は伝統の芸術にたゆみない生命を与へ、彼等によつてのみそれは生き続け、 成長し続ける。 三島由紀夫「『俳優即演出家の演劇』としての歌舞伎」より どんな芸術でも、根本には危機の意識があることは疑ひを容れまい。原始芸術にはこの危機が、自然に対する 畏怖の形でなまなましく現はれてゐたり、あるひはその反対に、自然を呪伏するための極端な様式化になつて 現はれてゐたりする。 三島由紀夫「危機の舞踊」より 日本の芸能界では、憎まれたら最後、せつかくもつてゐる能力も発揮できなくなるおそれがある。 三島由紀夫「現代女優論――越路吹雪」より
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339 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/06/03(金) 17:25:29.93 ID:SNR1wrgP - 現代ジャーナリズムが商業的に避(よ)けて通るやうな問題にこそ、最も緊急な現代的問題がひそむ。
三島由紀夫「『侃侃諤諤』を駁す――交友断片」より 処女作とは、文学と人生の両方にいちばん深く足をつつこんでゐる。だから、それを書いたあとの感想は、 人生的感想によく似て来るのです。 三島由紀夫「『未青年』出版記念会祝辞」より 実業人と文士のちがふところは、実業人は現実に徹しなければならないのだが、小説家はこの世の現実のほかの もう一つの現実を信じなければならぬといふことにあるのだらう。 そのもう一つの現実をどうやつて作り出すかといふと、その原料になるものは、やはり少年時代の甘美な 「文学へのあこがれ」しかない。その原料自体は、お粗末で無力なものであるが、それを精錬し、鍛へ、徐々に 厚く鞏固に織り成して、はじめはフハフハした靄にすぎぬものから、鉄も及ばぬ強靭な織物を作り出さねば ならない。「人生は夢で織られてゐる」とシェークスピアも言ふ。その夢の原料は、やはり少年時代に、つまりは あの汚ない、埃だらけの文芸部室にあつたと思ふのである。 三島由紀夫「夢の原料」より
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340 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/06/03(金) 17:25:53.11 ID:SNR1wrgP - 決して人に欺されないことを信条にする自尊心は、十重二十重の垣を身のまはりにめぐらす。
目がいつもよく利きすぎて物事に醒めてゐる人の座興や諧謔といふものは、ふつうでは厭味なものだ。 三島由紀夫「友情と考証」より 苦痛は厳密に肉体的なものである。 肉体は知性よりも、逆説的到達が可能である。何故なら肉体には歴然たる苦痛がそなはり、破壊され易く、 滅び易いからだ。かくてあらゆる行動主義の内には肉体主義があり、更にその内には、強烈な力の信仰の外見にも かかはらず、「脆さ」への信仰がある。この脆さこそ、強大な知性に十分拮抗しうる力の根拠であり、又同時に 行動主義や肉体主義にまとはりついて離れぬリリシズムの泉なのだ。 三島由紀夫「石原慎太郎氏の諸作品」より 人間は心の中に深い井戸みたいなものを持つてるでしよ。その井戸の中におりていくには、それ相応の体力が なきやだめだと思ふ。 三島由紀夫「新劇人の貧弱な体格への警告(NHK『朝の訪問』)」より
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