- 天才・三島由紀夫
115 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/17(木) 13:23:58 ID:NPCvAtV5 - 理想的な父親の教育とは、父子相伝の技術の教育であつた。そこに父親といふものの意味があつた。漁師の父親が、
息子に、縄のなひ方から、櫓のこぎ方、網の打ち方、などをだんだんに教へてやる。時には、わざと教へないで、 息子に危険を犯させて自得させる。そして父親の死後、息子は若かりし日の父親とそつくりの、村一番の、逞しい、 熟練した漁師になる。舟を漕いで沖に向ふとき、朝焼けの空の雲一つが、人の顔のやうに見え、その顔から、 父親のきびしい、しかし温かな面影を思ひ出す。…… これが本当の父子といふものだ。しかるに都市のインテリ階級は、息子に伝へるべき技術を何も持たぬ。上役に おべんちやらを言ふ技術なんか、息子に教へるわけには行かない。私のやうに、都市インテリ階級の家に生れて、 その上、特殊な文筆業の、決して息子に伝へることのできない一代限りの技術で生活してゐる者はどうすれば よいのか? 三島由紀夫「わが育児論」より
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- 天才・三島由紀夫
116 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/17(木) 13:26:06 ID:NPCvAtV5 - 事業を持つてゐれば、事業を息子に継がせるための教育といふものもあらう。しかし、私は自分の息子が文筆業者に
なることを決して望まないのである。世俗の目からは収入(みいり)のいい職業だと思はれてゐるかもしれないが、 この職業の心の地獄を私はよく知つてゐるからだ。 そこで子供には普通の市民生活への道を歩ませたいのだが、そのためには家庭の環境が特殊すぎる。大体子供が 向上心を持つには、親が適度に貧乏であることが必要なのだが、むかしの日本では、貧富を問はず、子供(殊に 男児)に贅沢をさせない気風は徹底してゐた。私は貿易自由化の今でも、学生が、高価なスイス製の腕時計を はめてゐたり、舶来の万年筆を使つてゐたりすると、言ひやうのない不愉快な感じをもつ。しかし今の子供は 昔とちがふ。(中略)今では、収入の多い親が、ムリヤリ経済的に子供を圧迫して、自分の古い儒教的倫理観を 満足させたところで、そんな不自然なことには、子供がついて行かないのである。 三島由紀夫「わが育児論」より
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- 天才・三島由紀夫
117 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/17(木) 13:28:04 ID:NPCvAtV5 - 私は今六歳の女児と三歳の男児を持つてゐるが、女児が生れたとき、私は父親の最低限度の教育として、三つの
言葉を教へようと骨を折つた。それは、 「こんにちは」 「ありがたう」 「ごめんなさい」 の三つである。「こんにちは」は、「おはやう」「おやすみ」「ごきげんよう」「こんばんは」「さやうなら」 等々を含み、要するに日常の挨拶である。 「ありがたう」は、社会生活の要求する最低限度の言葉で、人に何かをしてもらつたとき、人に何かをもらつたとき、 必ず言ふべき言葉である。 「ごめんなさい」は、自分があやまちを犯したとき、素直に口をついて出るべき言葉である。 この三つが、大人になつてもスラリと出ない人間は、社会生活の不適格者になる。私は口やかましくこれだけを言ひ、 子供たちはどうやら言へるやうになつたが、言はないときは忘れずに寸時を措かずにこちらから催促する。 とにかく命令して言はせるのである。 三島由紀夫「わが育児論」より
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- 天才・三島由紀夫
118 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/17(木) 13:29:30 ID:NPCvAtV5 - それから、テレビをみんなで眺めながら黙つて食事をするこのごろの悪習慣は、私のもつとも嫌悪するところで
あるので、どんな面白い番組があつても、食事中はテレビを消させる。私は一週一回は必ず子供たちと夕食をとるが、 多忙な生活で、それ以上食事を共にすることができない。 子供たちの就寝時間は厳格に言ひ、大人の都合で遅寝をさせるやうなことも決してせず、まして子供のわがままで 時間をおくらせることもしない。休日といへども、同様である。子供を連れて出れば、必ず、就寝時間三十分前には 帰宅する。 子供のつくウソは、卑劣な、人を陥れるやうなウソを除いては、大目に見る。子供のウソは、子供の夢と 結びついてゐるからである。 三島由紀夫「わが育児論」より
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