- 【9613】NTTデータ【あぼーん祭り】
195 :1 主張自体失当である[sage]:2019/01/13(日) 09:15:02.96 ID:vBpy/w1a - 今回の件についてですけど、そんなことしても意味が無い、何も変わらないという人がいるかもしれません。
しかし、わたしは信じています。 最初の一人が一石を投じれば世界は変わると。 https://www.y-history.net/appendix/wh1703-034.html インティファーダ(第1次) 1987年ごろから、パレスチナ人が自然発生的に投石などによってイスラエル占領地支配に抵抗して一斉に蜂起した。 1987年頃から、イスラエル占領下のパレスチナ人が展開した、投石などを主体とした民衆の抵抗によるパレスチナ解放運動。パレスチナ問題に新たな展開をもたらすこととなった。 インティファーダとは 「一斉蜂起」を意味するアラビア語。 インティファーダは1982年にPLOがイスラエルに押さえ込まれて、アラファトがチュニスに移った後に、ガザ地区のパレスチナ民衆の中から自然発生的に始まった。 パレスチナ人は大人も子供も女性も石を投げたりタイヤを燃やしたりしてイスラエル軍に立ち向かい、最初の一年で2万人が逮捕され、3百人が死亡した。 このような従来と違った民衆運動にイスラエル当局も当惑したが、その背景には「ハマス」や「ジハード」と称するイスラーム原理主義運動の活動家がいた。 中東和平の動き この第1次インティファーダは世界の世論をパレスチナ自治に向かわせる上で大きな力となり、湾岸戦争後に中東和平交渉が進捗し、1993年のオスロ合意の背景となった。 Episode 「石を投げる者の手足を折れ」 これはパレスチナ人のインディファーダに手を焼いた時のイスラエル国防相ラビンの有名な発言。 ラビンは対イスラエル強硬派で、パレスチナの民衆反乱を徹底的に弾圧した。その彼が後に中東和平の立役者となり、ノーベル平和賞を受賞するのだから皮肉なものである。 結局彼自身が和平反対派によって暗殺されてしまう。<広河隆一『パレスチナ(新版)』2002 岩波新書 p.103>
|
|