- 神は命
23 :名無しヒーリング[]:2019/09/12(木) 00:12:41.65 ID:oaQW9s/L - >>22
神を求め続けた。 そしてようやく神は姿を現した。 わたしは神を見たのだ。 ついに成し遂げたのだ。 神は一つだった。そこには神しかいなかった。 その神がわたしだった。わたしの意識それが神の意識だった。 この神の意識はあなたの意識でもある。動物の意識でも虫の意識でもあるだろう。 とにかく肉体を離脱し見た世界は、わたしである神のみしか存在していなかった。 その大いなる宇宙意識とでも言おうか、 その中に全宇宙があり目に見える世界すべてがあったのだ。 つまり世界の中にわたしがいるのではなく、わたしの中に世界はあったのだ。 逆だったのだ。 意識が唯一の存在なのだ。それ以外はすべて存在しないのだ。 わたしのこの意識のみが実在で、目に見える世界は存在していないのだ。
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- 神は命
25 :名無しヒーリング[]:2019/09/12(木) 02:23:13.84 ID:oaQW9s/L - >>24
神は意識ゆえ、姿などない。 もしあるとすればそれは偽の神ということになる。 神はサットチットアーナンダと言われるように、 神とは意識であり存在であり至福なのだ。 なので神は意識の存在ゆえ、姿というものはない。 あなたが目をつむり心と自我を鎮め、純粋な意識を感じるとき、 それが神そのものなのだ。
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- 鼻毛おいちい(^q^)
2 :名無しヒーリング[]:2019/09/12(木) 15:44:17.08 ID:oaQW9s/L - まずい
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- 神は命
26 :名無しヒーリング[]:2019/09/12(木) 16:06:13.54 ID:oaQW9s/L - 全ての命は神。
虫も動物も神。 人も神。 しかし、虫も動物も人も自分が神と知らない。 覚者のみが自分は神と知る。 虫の命と覚者の命はどちらが重いか。 それは自分がどの程度、神に目覚めた覚醒段階かに比例する。 虫も覚者も同じ神の命なのだが、覚醒度合いが違うので、それが命の重さの違いになる。 それは人にも言えることで、真理に目覚めていない人よりも 真理に目覚めた人の命のほうが重い。
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