- 霊的真理 友の会 4
574 :名無しヒーリング[]:2019/07/14(日) 00:49:17.93 ID:vVuTuGJa - >>569
性欲はありますよ。 仕事も人間関係も悟る前と変わりません。 ただ違うのは、それをしている本人がいないということ。 性欲でいえば自慰をしますね。それをするとき、している本人がいないんです。 人間関係では、職場で誰かと話しますね。 その話しているわたしがいない感覚なんです。 行為はあるんですが、行為者がいないんです。そして観察者がいるだけなんです。 つまり悟りにより、自我が消滅してしまったので、 その主体的自我が存在せず、客観視する観察者の意識のみが客観的にその行為を見ている感じです。 しかし、悟り体験直後から、欲が消え失せたような感覚もしたので、 欲は無くなったと言えるかもしれません。性欲や食欲は肉体を持つ以上不可欠なものなので、 習慣的に行なっているような気もします。
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- 霊的真理 友の会 4
576 :名無しヒーリング[]:2019/07/14(日) 02:53:29.93 ID:vVuTuGJa - 悟りを開くことは神と同義語じゃないですよ。
悟りなんてそんな特別すごいことじゃありません。 自我を失うというだけのこと。 それだけでしかありません。 なので普通に性欲ありますし、寝ますし食べます。 肉も美味しいです。大好物です。 禁欲主義菜食主義を信念として生きるのは実は自我によるものです。 自我が消えればそれらさえこだわらなくなります。 つまりなんでもありになるのです。 したければすればいいのです。食べたければ食べればいいのです。 それはカルマにならないと知りました。 自我消滅によって一切のカルマが存在しませんが、それにもかかわらず快楽に生きれています。 不思議ですね。 自分のような快楽主義者が、悟りを開き解脱するのに、 禁欲主義の修行僧がいつまでたっても解脱できないのはどういうことでしょう? つまりそれは、禁欲主義の信念こそ彼を解脱から遠ざけてしまっているのです。 わたしのように一切の信念を捨て去った者のほうが、到達しやすいんでしょうか。
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- 霊的真理 友の会 4
579 :名無しヒーリング[]:2019/07/14(日) 05:57:11.53 ID:vVuTuGJa - >>577
悟り体験をした直後に感覚として感じられました。 自我の消滅とそれに伴うカルマの終焉を。 つまりカルマは自我に付いているんです。自我が消えればカルマも消えます。 カルマが消えると輪廻転生を解脱します。 それが悟りを開くと解脱する原理です。 釈迦の当時の禁欲主義というのは女性と交わることをしないということでしょう。 それはカルマになると思いますよ。 なので風俗に行くこともカルマになる気がします。 そこに相手がいるときにカルマは発生します。 自分のみなら因果は起こりようがないです。 なので動画を見ようが、戦争ゲームをしようがカルマにはならないです。
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- 魂の年齢 霊格レベル10
352 :名無しヒーリング[]:2019/07/14(日) 14:25:23.11 ID:vVuTuGJa - >>350
リーダーシップとか人の手本となりたがる性格は若年期の特徴だから、 どうしても若い魂がそうなってしまうね。 そういうリーダーシップのある人物や覇気があって決断力がある人物が理想とされてきたので、 日本の学校でも社会でも、そういう人物が理想的とされているね。 だから求人募集でも元気でやる気のある方募集とか書いてあるんだろうね。 老年期は基本的にそれとは真逆の性格だから、どうしても劣等感を感じやすい。 なんせやる気もなく内向的だから。 でも魂の年齢は高いほど人に好かれる面がある。 乳児期や幼児期よりも若年期の人のほうがパワーがあってチャレンジ精神あるので好印象で好かれる。 若年期よりも成人期のほうが人間的な魅力で惹かれる。 成人期よりも老年期のほうがその優しいおおらかな慈悲の雰囲気に惹かれる。 キリストとか仏陀の無限期になれば、時代を超えて全人類から愛される。
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