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名無しヒーリング
【悟り】マインドフルネス瞑想法 【霊覚】

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【悟り】マインドフルネス瞑想法 【霊覚】
841 :名無しヒーリング[]:2019/03/21(木) 00:11:19.08 ID:Kmf02RM2
瞑想は自分の内面を見つめること。
いくら瞑想しても心が清々しいならない場合、
日常で心やましいことがあるんだろう。
自分の心にやましいところがある。
だから、まずは自分の行いを正す。善をしたり利他的になる。
そして罪深い自分であったとしても、ありのままの自分を許す。愛する。
けして自分を否定しない。
自分を許す心は人も許すことになるので、世界すべてを許す気持ちが生まれる。
自分を許して愛することは、世界を許して愛することにつながる。
心の平和を得たいなら、瞑想でそのように内観してみること。
けしてヴィパッサナーのような身体をラベルはりするだけが瞑想じゃない。
思考を静めることが瞑想じゃなくて、自分の心を内観して自分を受け入れること許すこと愛すること、そういう気持ちの状態に向かうことも瞑想
【悟り】マインドフルネス瞑想法 【霊覚】
849 :名無しヒーリング[]:2019/03/21(木) 02:18:38.26 ID:Kmf02RM2
何かになろうとする目的のための瞑想はしないほうがいい。
あるがままで完璧で何一つ変わる必要はないと思いながら瞑想しよう。
なぜなら何かになりたいとか、何か目標を立ててそれに向かうということは、
裏を返せば未完成で不完全な自分というものを自覚してしまってるということ。
その思い込み自体が不幸で苦しみの元になってしまってる。
なのですべきことは、不完全な自分を自覚して何かになろうとすることではなく、
自分はすでにこの状態で完璧なのだ、と自覚する必要がある。
自分は何一つ変わる必要はないと思いながら瞑想すると、とても安らかな瞑想ができるはず。
何かになろうとする瞑想は、つまり悟りや覚醒を目的とした瞑想は、
何かになりたいというエゴが入るので、自我が邪魔をして、正しい瞑想ができない。
【悟り】マインドフルネス瞑想法 【霊覚】
851 :名無しヒーリング[]:2019/03/21(木) 04:08:23.47 ID:Kmf02RM2
人に内在する神性は元々完璧であり、人は元々悟った存在である。
なぜなら人に内在する神性は神そのものだから。
自分は不完全で未完成な存在だというエゴの声を捨て、
自分は本来は完璧な存在であるゆえ何一つ変わる必要はないという
内なる神の声のままに瞑想すると安らかな瞑想ができる
【悟り】マインドフルネス瞑想法 【霊覚】
852 :名無しヒーリング[]:2019/03/21(木) 04:35:11.48 ID:Kmf02RM2
自分に内在する神性はまだ眠っていて目覚めていないから無いも同然だ、と思うな。
ベッドで寝ようと横になってるとき、何もせず目をつむってくつろいでるとき、
なぜか穏やかで安らかな気持ちにならないか、それが内側からわいてくる神性。
瞑想が熟達してくると、もうこの穏やかで清浄で平和で静かな気持ちは日常生活でずっと湧いてくる。
これはつまり神性つまり神我の井戸から神エネルギーが湧き出てきてる状態。
だからいつも心は穏やかで落ち着いて幸福を感じる。
真我とか神性を難しく考えるな。特別な悟りを開いた者だけが得られる特殊体験だと思うな。
人は思考を静まったとき、この真我のエネルギーは自然に湧き出る。誰でもこのエネルギーを得てる。
真我のエネルギーを得るには、思考を静める必要がある。
もし、自分は不完全で何かにならねばと思ってるとき、真我は閉じる。
もし、悟りを開きたい、覚醒したい、という思いがあると、逆に真我は閉じてしまう。
だから瞑想で一番重要なのは、自分はすでに完璧なのだ、何一つ変わる必要はないのだ、と心から思うこと。
そう思うことで思考が静まり、真我から無限に湧き出てくる愛や幸福感や安らぎを感じることができる。
【悟り】マインドフルネス瞑想法 【霊覚】
853 :名無しヒーリング[]:2019/03/21(木) 04:43:18.95 ID:Kmf02RM2
人が幸不幸を感じるのは、外に原因があると思うだろう。
それを思考によって感情になり、それが気分になる。
普通の人は感情によって気分を左右されてるわけだ。
でも瞑想者は違う。
思考も止め感情も止めたさらに先の、真我の安らぎと平穏と静けさと幸福感の中に浸る。
そこを自分の気分の置き所にする。
だから瞑想者は、外的な世界や感情で気分が乱れることがない。
どんな嵐の中でも、真我の中にある以上、心は平和で幸せであり続ける。
無限とも思える平和と安心感と幸福感なので、神は無限だろうと想像する。
【悟り】マインドフルネス瞑想法 【霊覚】
854 :名無しヒーリング[]:2019/03/21(木) 04:54:10.28 ID:Kmf02RM2
簡単なことだろう。
感情が無くて頭だけで知性だけで生きる男のような人。
逆に知性がなくて感情だけで生きる女のような人。
僧侶みたいに頭も感情もなく神仏の心のみに生きる人。
瞑想者は最後の僧侶みたいに生きる。
知性を働かせず、感情も働かせず、内なる世界の奥にある仏性や神性といわれる真我の心で生きる。
真我はキリストのいう慈愛であり、ブッダの言う慈悲である。
真我は善悪の概念がなくすべてが平等でワンネスである。
自分という概念がなく、他人という概念がない。
真我の心で生きる人は、仏のようになる。
彼には後光が差し、顔は仏のように柔和になる。
オーラが金色に大きく光りだす。
彼から一切の闇が消える。彼に触れた者はたちどころに浄化されてしまう。
【悟り】マインドフルネス瞑想法 【霊覚】
855 :名無しヒーリング[]:2019/03/21(木) 05:16:42.25 ID:Kmf02RM2
瞑想が熟達してくればこの自分の気持ちは自我によるものか真我によるものか、
何パーセント真我状態か、自我が何割出てきてるかとかすぐわかる。
真我100パーセントの状態だと、内側から溢れ出すほどの無限の愛と安らぎと調和と幸福感の気持ちになるし、
思考が働いて自我が出てきたときは、それらの幸福感が消えるかわりに
不安や怒りイライラなどの気持ちになる。好きとか嫌いという気持ちも実は自我によって起こる。
日常生活はこの自我と真我のせめぎ合いのようなもので、瞑想を毎日日課にしてれば
真我状態が長く続くし、瞑想の習慣をやめれば自我状態が続くようになる。
悟りと言われるものはこの真我状態が永遠に続くようになってしまう現象で、
これはやはり瞑想に熟達してくると達成される。
悟りを開いて真我状態で居続けることになっても、思考が消えるわけではない。
なので思考を働かせれば過去の自分の自我も生じることができる。
でもそれは一時的なもので、必要ないなら再び真我状態でいつづけることができる。


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