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名無しさん@入浴中
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
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【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
562 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 07:09:32.06 ID:vo4bUUZC0
・地頭守護所等に仰せ付けらる可きの旨・山門訴え申し候、御存知有る可く候、此の旨を以て沙汰申さしめ給う可き由・殿下の御気色候所なり、仍て執達件の如し。
嘉禄三年十月十日 参議範輔在り判武 蔵 守 殿永尊竪者の状に云く、此の十一日に大衆僉議して云く法然房所造の選択は謗法の書なり天下之を止め置く可か
らず、仍て在在所所の所持並に其の印板を大講堂に取り上げて三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしめ畢んぬ、又云く法然上人の墓所をば感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしめ畢ん
ぬ。
嘉禄三年十月十五日・隆真法橋申して云く専修念仏は亡国の本為る可き旨文理之有りと。山門より雲居寺に送る状に云く、邪師源空・存生の間には永く罪条に沈み滅後の今は且死骨を刎ね
られ、其の邪類・住蓮・安楽・死を原野に賜い成覚・薩生は刑を遠流に蒙る殆ど此の現罰を以て其の後報を察す可し云云。
嗚呼世法の方を云えば違勅の者と成り帝王の勅勘を蒙り今に御赦免の天気之れ無し心有る臣下万民・誰人か彼の宗に於て布施供養を展ぶ可きや、仏法の方を云えば正法誹謗の罪人為り無間
地獄の業類なり何れの輩か念仏門に於て恭敬礼拝を致す可きや、庶幾くば末代今の浄 
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
563 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 07:10:09.64 ID:vo4bUUZC0
土宗・仏在世の祖師・舎利弗・阿難等の如く浄土宗を抛つて法華経を持ち菩提の素懐を遂ぐ可き者か。
日 蓮 花 押当世念仏者無間地獄事安房の国・長狭郡・東条花房の郷蓮華寺に於て浄円房に対して日蓮阿闍梨之を註るす、文永元年甲子九月二十二日。
問うて曰く当世の念仏者・無間地獄と云う事其の故如何、答えて云く法然の選択に就いて云うなり、問うて云く其の選択の意如何、答えて曰く後鳥羽院の治天下・建仁年中に日本国
に一の彗星出でたり名けて源空法然と曰う選択一巻を記して六十余紙に及べり、科段を十六に分つ第一段の意は道綽禅師の安楽集に依つて聖道浄土の名目を立つ、其の聖道門とは浄土の三部経
等を除いて自余の大小乗の一切経殊には朝家帰依の大日経・法華経・仁王経・金光明経等の顕密の諸大乗経の名目阿弥陀仏より已外の諸仏・菩薩・朝家御帰依の真言等の八宗の名目之を挙げて
聖道門と名く、此の諸経諸仏諸宗は正像の機に値うと雖も末法に入つて之を行ぜん者は一人も生死を離る可からずと云云、又曇鸞法師の往生論註に依つて難易の二行を立つ第二段の意は善
導和尚の五部九巻の書に依つて正雑二行を立つ、其の雑行とは道綽の聖道門の料簡の如し、  
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
564 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 07:11:19.48 ID:vo4bUUZC0
又此の雑行は末法に入つては往生を得る者の千中に一も無きなり、下の十四段には或は聖道・難行・雑行
をば小善根・随他意・有上功徳等と名け念仏等を以ては大善根・随自意・無上功徳等と名けて、念仏に対して末代の凡夫此れを捨てよ此の門を閉じよ之を閣けよ之を抛てよ等の四字を以て之を
制止す、而て日本国中の無智の道俗を始めて大風に草木の従うが如く皆此の義に随つて忽に法華真言等に随喜の意を止め建立の思を廃す、而る間人毎に平形の念珠を以て弥陀の名号を唱え或は毎日三万
遍・六万遍・十万遍・四十八万遍・百万遍等唱る間又他の善根も無く念仏堂を造ること稲麻竹葦の如く、結句は法華真言
等の智者とおぼしき人人も皆或は帰依を受けんが為に或は往生極楽の為に皆本宗を捨てて念仏者と成り或は本宗にして念仏の法門を仰げるなり。
今云く日本国中の四衆の人人は形は異り替ると雖も意根は皆一法を行じて悉く西方の往生を期す、仏法繁昌の国と見えたる処に一の大なる疑を発する事は念仏宗の亀鏡と仰ぐ可き智者達・念
仏宗の大檀那と為る大名・小名並びに有徳の者多分は臨終思う如くならざるの由之を聞き之を見る、而るに善導和尚・十即十生と定め十遍乃至   
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part9
37 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 07:51:40.11 ID:vo4bUUZC0
転の者を爾前の諸経のごとく上聖の行儀と釈せられたるをば謗法の者と定め給へり、然るに我が釈を作る時機を高く取りて末代造悪の凡夫を迷はし給わんは自語相違にあらずや故に妙楽大
師五十展転の人を釈して云く「恐らくは人謬りて解せる者初心の功徳の大なる事を測らず而して功を上位に推り此の初心を蔑る故に今彼の行浅く功深き事を示して以て経力を顕わす」文・
文の心は謬つて法華経を説かん人の此の経は利智精進・上根上智の人のためといはん事を仏をそれて下根下智末代の無智の者のわづかに浅き随喜の功徳を四十余年の諸経の大人上聖の
功徳に勝れたる事を顕わさんとして五十展転の随喜は説かれたり、故に天台の釈には外道小乗権大乗までたくらべ来て法華経の最下の功徳が勝れたる由を釈せり、所以に阿竭多仙人は十二年
が間恒河の水を耳に留め耆兎仙人は一日の中に大海の水をすいほす此くの如き得通の仙人は小乗・阿含経の三賢の浅位の一通もなき凡夫には百千万倍劣れり、三明六通を得たりし小乗の舎
利弗・目連等は華厳・方等・般若等の諸大乗経の未断三惑の一通もなき一偈・一句の凡夫には百千万倍劣れり華厳・方等・般若経を習い極めたる等覚の大菩薩は法華経を僅 
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part9
38 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 07:52:32.42 ID:vo4bUUZC0
かに結縁をなせる未断三惑・無悪不造の末代の凡夫には百千万倍劣れる由釈の文顕然也、而るを当世の念仏宗等の人我が身の権教の機にて実経を信ぜざる者は方等般若の時の二乗のごとく自身を
はぢしめてあるべき処に敢えて其の義なし、あまつさへ世間の道俗の中に僅かに観音品・自我偈なんどを読み適父母孝養なんどのために一日経等を書く事あればいゐさまたげて云く善導和尚は念仏に法
華経をまじうるを雑行と申し百の時は希に一二を得千の時は希に三五を得ん乃至千中無一と仰せられたり、何に況や智慧第一の法然上人は法華経等を行ずる者をば祖父の履或は群賊等にた
とへられたりなんどいゐうとめ侍るは是くの如く申す師も弟子も阿鼻の焔をや招かんずらんと申す。問うて云く何なるすがた並に語を以てか法華経を世間にいゐうとむる者には侍るや・よにおそろしくこそおぼえ候へ、
答えて云く始めに智者の申され候と御物語候いつるこそ法華経をいゐうとむる悪知識の語にて侍れ、末代に法華経を失うべき者は心には一代聖教を知りたりと思いて而も心には権実二経を弁へず身には三衣一
鉢を帯し或は阿練若に身をかくし或は世間の人にいみじき智者と思はれて而も法華経をよくよく知る
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part9
39 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 07:53:32.91 ID:vo4bUUZC0
由を人に知られなんとして世間の道俗には三明六通の阿羅漢の如く貴ばれて法華経を失うべしと見えて候。
問うて云く其の証拠如何、答えて云く法華経勧持品に云く「諸の無智の人悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし」文妙楽大師此の文の心を釈して云く「初めの一
行は通じて邪人を明す、即ち俗衆なり」文文の心は此の一行は在家の俗男俗女が権教の比丘等にかたらはれて敵をすべしとなり、経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為得た
りと謂い我慢の心充満せん」文・妙楽大師此の文の心を釈して云く「次の一行は道門増上慢の者を明す」文・文の心は悪世末法の権教の諸の比丘我れ法を得たりと慢じて法華経を行
ずるものの敵となるべしといふ事なり、経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賤する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説き世に恭敬せらるる事
六通の羅漢の如くならん是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮りて好んで我等が過を出さん而も是くの如き言を作さん此の諸の比丘等は利養を貪るを為つての故に
外道の論義を説き自ら此の経典を作りて世間の  
【吉原】六月の花嫁で語ろう【MSJ】
59 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 08:21:33.14 ID:vo4bUUZC0
転の者を爾前の諸経のごとく上聖の行儀と釈せられたるをば謗法の者と定め給へり、然るに我が釈を作る時機を高く取りて末代造悪の凡夫を迷はし給わんは自語相違にあらずや故に妙楽大
師五十展転の人を釈して云く「恐らくは人謬りて解せる者初心の功徳の大なる事を測らず而して功を上位に推り此の初心を蔑る故に今彼の行浅く功深き事を示して以て経力を顕わす」文・
文の心は謬つて法華経を説かん人の此の経は利智精進・上根上智の人のためといはん事を仏をそれて下根下智末代の無智の者のわづかに浅き随喜の功徳を四十余年の諸経の大人上聖の
功徳に勝れたる事を顕わさんとして五十展転の随喜は説かれたり、故に天台の釈には外道小乗権大乗までたくらべ来て法華経の最下の功徳が勝れたる由を釈せり、所以に阿竭多仙人は十二年
が間恒河の水を耳に留め耆兎仙人は一日の中に大海の水をすいほす此くの如き得通の仙人は小乗・阿含経の三賢の浅位の一通もなき凡夫には百千万倍劣れり、三明六通を得たりし小乗の舎
利弗・目連等は華厳・方等・般若等の諸大乗経の未断三惑の一通もなき一偈・一句の凡夫には百千万倍劣れり華厳・方等・般若経を習い極めたる等覚の大菩薩は法華経を僅 
【吉原】六月の花嫁で語ろう【MSJ】
60 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 08:22:24.70 ID:vo4bUUZC0
かに結縁をなせる未断三惑・無悪不造の末代の凡夫には百千万倍劣れる由釈の文顕然也、而るを当世の念仏宗等の人我が身の権教の機にて実経を信ぜざる者は方等般若の時の二乗のごとく自身を
はぢしめてあるべき処に敢えて其の義なし、あまつさへ世間の道俗の中に僅かに観音品・自我偈なんどを読み適父母孝養なんどのために一日経等を書く事あればいゐさまたげて云く善導和尚は念仏に法
華経をまじうるを雑行と申し百の時は希に一二を得千の時は希に三五を得ん乃至千中無一と仰せられたり、何に況や智慧第一の法然上人は法華経等を行ずる者をば祖父の履或は群賊等にた
とへられたりなんどいゐうとめ侍るは是くの如く申す師も弟子も阿鼻の焔をや招かんずらんと申す。問うて云く何なるすがた並に語を以てか法華経を世間にいゐうとむる者には侍るや・よにおそろしくこそおぼえ候へ、
答えて云く始めに智者の申され候と御物語候いつるこそ法華経をいゐうとむる悪知識の語にて侍れ、末代に法華経を失うべき者は心には一代聖教を知りたりと思いて而も心には権実二経を弁へず身には三衣一
鉢を帯し或は阿練若に身をかくし或は世間の人にいみじき智者と思はれて而も法華経をよくよく知る
【吉原】六月の花嫁で語ろう【MSJ】
61 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 08:24:05.11 ID:vo4bUUZC0
由を人に知られなんとして世間の道俗には三明六通の阿羅漢の如く貴ばれて法華経を失うべしと見えて候。
問うて云く其の証拠如何、答えて云く法華経勧持品に云く「諸の無智の人悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし」文妙楽大師此の文の心を釈して云く「初めの一
行は通じて邪人を明す、即ち俗衆なり」文文の心は此の一行は在家の俗男俗女が権教の比丘等にかたらはれて敵をすべしとなり、経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為得た
りと謂い我慢の心充満せん」文・妙楽大師此の文の心を釈して云く「次の一行は道門増上慢の者を明す」文・文の心は悪世末法の権教の諸の比丘我れ法を得たりと慢じて法華経を行
ずるものの敵となるべしといふ事なり、経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賤する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説き世に恭敬せらるる事
六通の羅漢の如くならん是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮りて好んで我等が過を出さん而も是くの如き言を作さん此の諸の比丘等は利養を貪るを為つての故に
外道の論義を説き自ら此の経典を作りて世間の  
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
43 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 14:08:13.42 ID:vo4bUUZC0
転の者を爾前の諸経のごとく上聖の行儀と釈せられたるをば謗法の者と定め給へり、然るに我が釈を作る時機を高く取りて末代造悪の凡夫を迷はし給わんは自語相違にあらずや故に妙楽大
師五十展転の人を釈して云く「恐らくは人謬りて解せる者初心の功徳の大なる事を測らず而して功を上位に推り此の初心を蔑る故に今彼の行浅く功深き事を示して以て経力を顕わす」文・
文の心は謬つて法華経を説かん人の此の経は利智精進・上根上智の人のためといはん事を仏をそれて下根下智末代の無智の者のわづかに浅き随喜の功徳を四十余年の諸経の大人上聖の
功徳に勝れたる事を顕わさんとして五十展転の随喜は説かれたり、故に天台の釈には外道小乗権大乗までたくらべ来て法華経の最下の功徳が勝れたる由を釈せり、所以に阿竭多仙人は十二年
が間恒河の水を耳に留め耆兎仙人は一日の中に大海の水をすいほす此くの如き得通の仙人は小乗・阿含経の三賢の浅位の一通もなき凡夫には百千万倍劣れり、三明六通を得たりし小乗の舎
利弗・目連等は華厳・方等・般若等の諸大乗経の未断三惑の一通もなき一偈・一句の凡夫には百千万倍劣れり華厳・方等・般若経を習い極めたる等覚の大菩薩は法華経を僅 
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
44 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 14:08:56.01 ID:vo4bUUZC0
かに結縁をなせる未断三惑・無悪不造の末代の凡夫には百千万倍劣れる由釈の文顕然也、而るを当世の念仏宗等の人我が身の権教の機にて実経を信ぜざる者は方等般若の時の二乗のごとく自身を
はぢしめてあるべき処に敢えて其の義なし、あまつさへ世間の道俗の中に僅かに観音品・自我偈なんどを読み適父母孝養なんどのために一日経等を書く事あればいゐさまたげて云く善導和尚は念仏に法
華経をまじうるを雑行と申し百の時は希に一二を得千の時は希に三五を得ん乃至千中無一と仰せられたり、何に況や智慧第一の法然上人は法華経等を行ずる者をば祖父の履或は群賊等にた
とへられたりなんどいゐうとめ侍るは是くの如く申す師も弟子も阿鼻の焔をや招かんずらんと申す。問うて云く何なるすがた並に語を以てか法華経を世間にいゐうとむる者には侍るや・よにおそろしくこそおぼえ候へ、
答えて云く始めに智者の申され候と御物語候いつるこそ法華経をいゐうとむる悪知識の語にて侍れ、末代に法華経を失うべき者は心には一代聖教を知りたりと思いて而も心には権実二経を弁へず身には三衣一
鉢を帯し或は阿練若に身をかくし或は世間の人にいみじき智者と思はれて而も法華経をよくよく知る
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45 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 14:09:44.65 ID:vo4bUUZC0
由を人に知られなんとして世間の道俗には三明六通の阿羅漢の如く貴ばれて法華経を失うべしと見えて候。
問うて云く其の証拠如何、答えて云く法華経勧持品に云く「諸の無智の人悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし」文妙楽大師此の文の心を釈して云く「初めの一
行は通じて邪人を明す、即ち俗衆なり」文文の心は此の一行は在家の俗男俗女が権教の比丘等にかたらはれて敵をすべしとなり、経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為得た
りと謂い我慢の心充満せん」文・妙楽大師此の文の心を釈して云く「次の一行は道門増上慢の者を明す」文・文の心は悪世末法の権教の諸の比丘我れ法を得たりと慢じて法華経を行
ずるものの敵となるべしといふ事なり、経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賤する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説き世に恭敬せらるる事
六通の羅漢の如くならん是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮りて好んで我等が過を出さん而も是くの如き言を作さん此の諸の比丘等は利養を貪るを為つての故に
外道の論義を説き自ら此の経典を作りて世間の  
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
565 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 15:19:11.98 ID:vo4bUUZC0
一生の間・念仏者は一人も漏れず往生を遂ぐ可しと見えたり人の臨終と善導の釈とは水火なり。
爰に念仏者会して云く往生に四つ有り、一には意念往生・般舟三昧経に出でたり、二には正念往生・阿弥陀経に出でたり、三には無記往生・群疑論に出でたり、四には
狂乱往生・観経の下品下生に出でたり、詰つて曰く此の中の意・正の二は且く之を置く無記往生は何れの経論に依つて懐感禅師・之を書けるや、経論に之無くば信用取り難し、
第四の狂乱往生とは引証は観経の下品下生の文なり、第一に悪人臨終の時妙法を覚れる善知識に値つて覚る所の諸法実相を説かしめて之を聞く者正念存し難く十悪・五逆・具諸
不善の苦に逼め被れて覚ることを得ざれば善知識実相の初門と為る故に称名して阿弥陀仏を念ぜよと云うに音を揚げて唱え了んぬ、此れは苦痛に堪え難くして正念を失う狂乱の者に非
るか狂乱の者争か十念を唱う可き、例せば正念往生の所摂なり全く狂乱の往生には例す可からず、而るに汝等が本師と仰ぐ所の善導和尚は此の文を受けて転教口称とは云えども狂乱往生
とは云わず、其の上汝等が昼夜十二時に祈る所の願文に云く願くは弟子等命終の時に臨んで心顛倒せず心錯乱    
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
566 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 15:20:14.95 ID:vo4bUUZC0
せず心失念せず身心諸の苦痛無く身心快楽禅定に入るが如し等云
云、此の中に錯乱とは狂乱か而るに十悪五逆を作らざる当世の念仏の上人達並に大檀那等の臨終の悪瘡等の諸の悪重病並に臨終の狂乱は意を得ざる事なり、而るに善導和尚の十即十生
と定め又定得往生等の釈の如きは疑無きの処に十人に九人往生すと雖も一人往生せざれば猶不審発る可し、
何に況や念仏宗の長者為る善慧・隆観・聖光・薩生・南無・真光等・皆悪瘡等の重病を受けて臨終に狂乱して死するの由之を聞き又之を知る、其の已下の念仏者の臨終の
狂乱其の数を知らず、善導和尚の定むる所の十即十生は闕けて嫌える所の千中無一と成んぬ、千中無一と定められし法華・真言の行者は粗ぼ臨終の正念なる由之を聞けり、念仏
の法門に於ては正像末の中には末法に殊に流布す可し、利根・鈍根・善人・悪人・持戒破戒等の中には鈍根・悪人・破戒等殊に往生す可しと見えたり、故に道綽禅師は唯有浄土一門と
書かれ、善導和尚は十即十生と定め往生要集には濁世末代の目足と云えり、念仏は時機已に叶えり行ぜん者空しかる可からざるの処に是くの如きの相違は大なる疑なり、若し之に依つて本願
を疑わば      
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
567 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 15:20:49.75 ID:vo4bUUZC0
仏説を疑うに成んぬ進退惟谷れり此の疑を以て念仏宗の先達並びに聖道の先達に之を尋るに一人として答うる人之れ無し、念仏者救うて云く、汝は法然上人の捨閉閣抛の四字を謗
法と過むるか汝が小智の及ばざる所なり、故に上人此の四字を私に之を書くと思えるか、源曇鸞・道綽・善導の三師の釈より之を出したり、三師の釈又私に非ず、源浄土の三部経・
竜樹菩薩の十住毘婆沙論より出ず、雙観経の上巻に云く設い我仏を得乃至十念等と云云、第十九の願に云く設い我仏を得て諸の功徳を修め菩提心を発す等と云云、下巻に云く乃至
一念等と云云、第十八の願成就の文なり、又下巻に云く「其の上輩者○一向専念・其中輩者○一向専念・其下輩者○一向専念」と云云、此れは十九願成就の文なり、観無量寿経に云
く「仏阿難に告ぐ汝好く是の語を持て是の語を持つ者は即ち是れ無量寿仏の名を持つ」等と云云、阿弥陀経に云く小善根を以てす可からず乃至一日七日等と云云、先ず雙観経の意は念仏往
生・諸行往生と説けども一向専念と云つて諸行往生を捨て了んぬ、故に弥勒の付属には一向に念仏を付属し了んぬ、観無量寿経の十六観も上の十五の観は諸行往生、下輩一観の三品は
念仏往生なり
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part7
52 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 17:37:46.79 ID:vo4bUUZC0
転の者を爾前の諸経のごとく上聖の行儀と釈せられたるをば謗法の者と定め給へり、然るに我が釈を作る時機を高く取りて末代造悪の凡夫を迷はし給わんは自語相違にあらずや故に妙楽大
師五十展転の人を釈して云く「恐らくは人謬りて解せる者初心の功徳の大なる事を測らず而して功を上位に推り此の初心を蔑る故に今彼の行浅く功深き事を示して以て経力を顕わす」文・
文の心は謬つて法華経を説かん人の此の経は利智精進・上根上智の人のためといはん事を仏をそれて下根下智末代の無智の者のわづかに浅き随喜の功徳を四十余年の諸経の大人上聖の
功徳に勝れたる事を顕わさんとして五十展転の随喜は説かれたり、故に天台の釈には外道小乗権大乗までたくらべ来て法華経の最下の功徳が勝れたる由を釈せり、所以に阿竭多仙人は十二年
が間恒河の水を耳に留め耆兎仙人は一日の中に大海の水をすいほす此くの如き得通の仙人は小乗・阿含経の三賢の浅位の一通もなき凡夫には百千万倍劣れり、三明六通を得たりし小乗の舎
利弗・目連等は華厳・方等・般若等の諸大乗経の未断三惑の一通もなき一偈・一句の凡夫には百千万倍劣れり華厳・方等・般若経を習い極めたる等覚の大菩薩は法華経を僅 
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part7
53 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 17:38:23.27 ID:vo4bUUZC0
かに結縁をなせる未断三惑・無悪不造の末代の凡夫には百千万倍劣れる由釈の文顕然也、而るを当世の念仏宗等の人我が身の権教の機にて実経を信ぜざる者は方等般若の時の二乗のごとく自身を
はぢしめてあるべき処に敢えて其の義なし、あまつさへ世間の道俗の中に僅かに観音品・自我偈なんどを読み適父母孝養なんどのために一日経等を書く事あればいゐさまたげて云く善導和尚は念仏に法
華経をまじうるを雑行と申し百の時は希に一二を得千の時は希に三五を得ん乃至千中無一と仰せられたり、何に況や智慧第一の法然上人は法華経等を行ずる者をば祖父の履或は群賊等にた
とへられたりなんどいゐうとめ侍るは是くの如く申す師も弟子も阿鼻の焔をや招かんずらんと申す。問うて云く何なるすがた並に語を以てか法華経を世間にいゐうとむる者には侍るや・よにおそろしくこそおぼえ候へ、
答えて云く始めに智者の申され候と御物語候いつるこそ法華経をいゐうとむる悪知識の語にて侍れ、末代に法華経を失うべき者は心には一代聖教を知りたりと思いて而も心には権実二経を弁へず身には三衣一
鉢を帯し或は阿練若に身をかくし或は世間の人にいみじき智者と思はれて而も法華経をよくよく知る
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part7
54 :名無しさん@入浴中[sage]:2014/11/01(土) 17:39:00.31 ID:vo4bUUZC0
由を人に知られなんとして世間の道俗には三明六通の阿羅漢の如く貴ばれて法華経を失うべしと見えて候。
問うて云く其の証拠如何、答えて云く法華経勧持品に云く「諸の無智の人悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし」文妙楽大師此の文の心を釈して云く「初めの一
行は通じて邪人を明す、即ち俗衆なり」文文の心は此の一行は在家の俗男俗女が権教の比丘等にかたらはれて敵をすべしとなり、経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為得た
りと謂い我慢の心充満せん」文・妙楽大師此の文の心を釈して云く「次の一行は道門増上慢の者を明す」文・文の心は悪世末法の権教の諸の比丘我れ法を得たりと慢じて法華経を行
ずるものの敵となるべしといふ事なり、経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賤する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説き世に恭敬せらるる事
六通の羅漢の如くならん是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮りて好んで我等が過を出さん而も是くの如き言を作さん此の諸の比丘等は利養を貪るを為つての故に
外道の論義を説き自ら此の経典を作りて世間の  
【吉原】六月の花嫁【MSJ】
44 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 20:01:17.79 ID:vo4bUUZC0
転の者を爾前の諸経のごとく上聖の行儀と釈せられたるをば謗法の者と定め給へり、然るに我が釈を作る時機を高く取りて末代造悪の凡夫を迷はし給わんは自語相違にあらずや故に妙楽大
師五十展転の人を釈して云く「恐らくは人謬りて解せる者初心の功徳の大なる事を測らず而して功を上位に推り此の初心を蔑る故に今彼の行浅く功深き事を示して以て経力を顕わす」文・
文の心は謬つて法華経を説かん人の此の経は利智精進・上根上智の人のためといはん事を仏をそれて下根下智末代の無智の者のわづかに浅き随喜の功徳を四十余年の諸経の大人上聖の
功徳に勝れたる事を顕わさんとして五十展転の随喜は説かれたり、故に天台の釈には外道小乗権大乗までたくらべ来て法華経の最下の功徳が勝れたる由を釈せり、所以に阿竭多仙人は十二年
が間恒河の水を耳に留め耆兎仙人は一日の中に大海の水をすいほす此くの如き得通の仙人は小乗・阿含経の三賢の浅位の一通もなき凡夫には百千万倍劣れり、三明六通を得たりし小乗の舎
利弗・目連等は華厳・方等・般若等の諸大乗経の未断三惑の一通もなき一偈・一句の凡夫には百千万倍劣れり華厳・方等・般若経を習い極めたる等覚の大菩薩は法華経を僅 
【吉原】六月の花嫁【MSJ】
45 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 20:02:28.80 ID:vo4bUUZC0
かに結縁をなせる未断三惑・無悪不造の末代の凡夫には百千万倍劣れる由釈の文顕然也、而るを当世の念仏宗等の人我が身の権教の機にて実経を信ぜざる者は方等般若の時の二乗のごとく自身を
はぢしめてあるべき処に敢えて其の義なし、あまつさへ世間の道俗の中に僅かに観音品・自我偈なんどを読み適父母孝養なんどのために一日経等を書く事あればいゐさまたげて云く善導和尚は念仏に法
華経をまじうるを雑行と申し百の時は希に一二を得千の時は希に三五を得ん乃至千中無一と仰せられたり、何に況や智慧第一の法然上人は法華経等を行ずる者をば祖父の履或は群賊等にた
とへられたりなんどいゐうとめ侍るは是くの如く申す師も弟子も阿鼻の焔をや招かんずらんと申す。問うて云く何なるすがた並に語を以てか法華経を世間にいゐうとむる者には侍るや・よにおそろしくこそおぼえ候へ、
答えて云く始めに智者の申され候と御物語候いつるこそ法華経をいゐうとむる悪知識の語にて侍れ、末代に法華経を失うべき者は心には一代聖教を知りたりと思いて而も心には権実二経を弁へず身には三衣一
鉢を帯し或は阿練若に身をかくし或は世間の人にいみじき智者と思はれて而も法華経をよくよく知る
【吉原】六月の花嫁【MSJ】
46 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 20:03:52.62 ID:vo4bUUZC0
由を人に知られなんとして世間の道俗には三明六通の阿羅漢の如く貴ばれて法華経を失うべしと見えて候。
問うて云く其の証拠如何、答えて云く法華経勧持品に云く「諸の無智の人悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし」文妙楽大師此の文の心を釈して云く「初めの一
行は通じて邪人を明す、即ち俗衆なり」文文の心は此の一行は在家の俗男俗女が権教の比丘等にかたらはれて敵をすべしとなり、経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為得た
りと謂い我慢の心充満せん」文・妙楽大師此の文の心を釈して云く「次の一行は道門増上慢の者を明す」文・文の心は悪世末法の権教の諸の比丘我れ法を得たりと慢じて法華経を行
ずるものの敵となるべしといふ事なり、経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賤する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説き世に恭敬せらるる事
六通の羅漢の如くならん是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮りて好んで我等が過を出さん而も是くの如き言を作さん此の諸の比丘等は利養を貪るを為つての故に
外道の論義を説き自ら此の経典を作りて世間の  
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
569 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 20:38:56.15 ID:vo4bUUZC0
、仏・阿難尊者に念仏を付属するは諸行を捨つる意なり、阿弥陀経には雙観経の諸行・観無量寿経の前十五観を束ねて小善根と名け往生を得ざるの法と定め畢んぬ、雙観経の念仏をば
無上功徳と名けて弥勒に付属し、観経念仏をば芬陀利華と名けて阿難に付属し、阿弥陀経の念仏をば大善根と名けて舎利弗に付属す、終の付属は一経の肝心を付属するなり又一経の名を
付属するなり、三部経には諸の善根多しと雖も其の中に念仏最なり、故に題目には無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経等と云えり、釈摩訶衍論・法華論等の論を以て之れを勘うるに一切経の初には
必ず南無の二字有り、梵本を以て之を言わば三部経の題目には南無之れ有り、雙観経の修諸の二字に念仏より外の八万聖教残る可からず、観無量寿経の三福九品等の読誦大乗の一句に一切
経残る可からず、阿弥陀経の念仏の大善根に対する小善根の語に法華経等漏る可きや、総じて浄土の三部経の意は行者の意楽に随わんが為に暫く諸行を挙ぐと雖も、再び念仏に対する時は諸行
の門を閉じて捨閉閣抛する事顕然なり、例せば法華経を説かんが為に無量義経を説くの時に四十余年の経を捨てて法華の門を開くが如し、竜樹菩薩十住毘婆沙論を造つ
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
570 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 20:40:10.65 ID:vo4bUUZC0
て一代聖教を難易の二道に分てり、難行道とは三部経の外の諸行なり易行道とは念仏なり、経論此くの如く分明なりと雖も震旦の人師此の義を知らず唯善導一師のみ此の義を発得せり、所以に雙観経の三輩を観念法門
に書いて云く「一切衆生・根性不同にして上中下有り其の根性に随つて仏皆無量寿仏の名を専念することを勧む」等云云、此の文の意は発菩提心・修諸功徳等の諸行は他力本願の念仏に値わざ
りし以前に修する事よと有りけるを忽に之を捨てよと云うとも行者用ゆ可からず故に暫く諸行を許すなり、実には念仏を離れて諸行を以て往生を遂ぐる者之無しと書きしなり、観無量寿経の仏告阿難等の
文を善導の疏の四に之れを受けて曰く「上来に定散両門を説くと雖も仏の本願に望めば意衆生の一向に専ら阿弥陀の名を称するに在り」云云、定散とは八万の権実・顕密の諸経を尽して之を摂
して念仏に対して之れを捨つるなり、善導の法事讃に阿弥陀経の大小善根の故を釈して云く「極楽は無為涅槃界なり随縁の雑善恐らくは生じ難し故に如来要法を選んで教えて弥陀専修を念ぜしむ」
等と云云、諸師の中に三部経の意を得たる人は但導一人のみ、如来の三部経に於ては是くの如       
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
571 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 20:40:51.43 ID:vo4bUUZC0
く有れども正法像法の時は根機猶利根の故に諸行往生の機も之有りけるか。
然るに機根衰えて末法と成る間・諸行の機漸く失い念仏の機と成れり、更に阿弥陀如来・善導和尚と生れて震旦に此の義を顕し、和尚日本に生れて初は叡山に入つて修行し後には叡山を出でて一向
に専修念仏して三部経の意を顕し給いしなり、汝捨閉閣抛の四字を謗法と咎むる事未だ導和尚の釈並びに三部経の文を窺わざるか、狗の雷を齧むが如く地獄の業を増す汝知らずんば浄土家の智者に問え。
不審して云く上の所立の義を以て法然の捨閉閣抛の謗言を救うか実に浄土の三師並に竜樹菩薩・仏説により此の三部経の文を開くに念仏に対して諸行を傍と為す事粗経文に之見えたり、経文に嫌わ
れし程の諸行念仏に対して之を嫌わんこと過む可きに非ず、但不審なる処は雙観経の念仏已外の諸行・観無量寿経の念仏以外の定散・阿弥陀経の念仏の外の小善根の中に法華・涅槃・大日経等の
極大乗経を入れ念仏に対して不往生の善根ぞと仏の嫌わせ給いけるを竜樹菩薩・三師並に法然之を嫌わば何の失有らん但三部経の小善根等の句に法華・涅槃・大日経等は入る可しとも覚えざれば三
師並に法然の釈を用いざるなり、無  
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
573 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 22:18:06.30 ID:vo4bUUZC0
量義経の如きは四十余年・未顕真実と説いて法華八箇年を除きて以前四十二年に説く所の大小・権実の諸経は一字一点も未顕真実の語に漏る可しとも覚えず、しかのみ
ならず四十二年の間に説く所の阿含・方等・般若・華厳の名目之を出だせり、既に大小の諸経を出して生滅無常を説ける諸の小乗経を阿含の句に摂し、三にして無差別の法門を説ける諸大
乗経を華厳海空の句に摂し、十八空等を説ける諸大乗経を般若の句に摂し、弾呵の意を説ける諸大乗経を方等の句に摂す、是くの如く年限を指し経の題目を挙げ無量義経に依つて法華経に対し
て諸経を嫌い・嫌える所の諸経に依れる諸宗を下すこと天台大師の私に非ず、汝等が浄土の三部経の中には念仏に対して諸行を嫌う文は之有りとも嫌わるる諸行は浄土の三部経よりの外の
五十年の諸経なりと云う現文は之無し、又無量義経の如く阿含・方等・般若・華厳等をも挙げず誰か知る三部経には諸の小乗経並に歴劫修行の諸経等の諸行を仏・小善根と名け給うと云ふ事を、左右
無く念仏よりの外の諸行を小善等と云えるを法華涅槃等の一代の教なりと打ち定めて捨閉閣抛の四字を置きては仏意にや乖くらんと不審する計りなり、例せば王の所従に   
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
574 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 22:18:49.78 ID:vo4bUUZC0
は諸人の中・諸国の中の凡下等
一人も残る可からず民が所従には諸人諸国の主は入る可からざるが如し、誠に浄土の三部経等が一代超過の経ならば五十年の諸経を嫌うも其の謂れ之有りなん三部経の文より事起つて一代を摂す可
しとは見えず、但一機一縁の小事なり何ぞ一代を摂して之を嫌わん、三師並に法然此の義を弁えずして諸行の中に法華・涅槃並に一代を摂して末代に於て之を行ぜん者は千中無一と定むるは近くは依
経に背き遠くは仏意に違う者なり、但し竜樹の十住毘婆沙論の難行の中に法華真言等を入ると云うは論文に分明に之有りや、設い論文に之有りとも慥なる経文之無くば不審の内なり、竜樹
菩薩は権大乗の論師為りし時の論なるか、又訳者の入れたるかと意得可し、其の故は仏は無量義経に四十余年は難行道・無量義経は易行道と定め給う事金口の明鏡なり、竜樹菩薩仏の記
文に当つて出世して諸経の意を演ぶ豈仏説なる難易の二道を破つて私に難易の二道を立てんや、随つて十住毘婆沙論の一部始中終を開くに全く法華経を難行の中に入れたる文之無く只華厳経の十
地を釈するに第二地に至り畢つて宣べず、又此の論に諸経の歴劫修行の旨を挙ぐるに菩薩難行道に     
【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8
575 :名無しさん@入浴中[]:2014/11/01(土) 22:19:58.47 ID:vo4bUUZC0
堕し二乗地に堕して永不成仏の思を成す由見えたり法華已前の論なる事疑無し、竜樹菩薩の意を知
らずして此の論の難行の中に法華真言を入れたりと料簡するか、浄土の三師に於ては書釈を見るに難行・雑行・聖道の中に法華経を入れたる意粗之有り、然りと雖も法然が如き放言の事之無し、しかのみな
らず仏法を弘めん輩は教機時国教法流布の前後を〓む可きか。如来在世に前の四十余年には大小を説くと雖も説時至らざるの故に本懐を演べ給わず、機有りと雖も時無ければ大法
を説き給わず、霊山八年の間誰か円機ならざる時も来る故に本懐を演べたもうに権機移つて実機と成る、法華経の流通並に涅槃経には実教を前とし権教を後とす可きの由見えたり、在世には実を隠し
て権を前にす滅後には実を前として権を後と為す可き道理顕然なり、然りと雖も天竺国には正法一千年の間は外道有り、一向小乗の国有り、又一向大乗の国有り、又大小兼学の国有り、漢土に仏
法渡つても又天竺の如し、日本国に於ては外道も無く小乗の機も無く唯大乗の機のみ有り、大乗に於ても法華よりの外の機無し、但し仏法日本に渡り始めし時暫く小乗の三宗・権大乗の三宗を
弘むと雖も桓武の御宇に伝教大  


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