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名無しさん@入浴中
六月の花嫁を語ろう  Part5
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六月の花嫁を語ろう  Part5
686 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/27(土) 06:41:22.33 ID:OMiDag3C0
や末代の凡師に於てをや。問うて云く汝末学の身として何ぞ論師並に訳者人師を破するや、答えて云く敢て此の難を致すこと勿れ摂論師並に善導等の釈は権実二教を弁えずして猥りに法華経を以て別時意
趣と立つ故に天台妙楽の釈と水火を作す間・且らく人師の相違を閣いて経論に付て是非を〓うる時権実の二教は仏説より出でたり天親・竜樹重ねて之を定む、此の義に順ずる人師をば且らく之を仰ぎ此の
義に順ぜざる人師をば且らく之を用いず敢て自義を以て是非を定むるに非ず但相違を出す計りなり。
大文の第四に謗法の者を対治すべき証文を出さば、此れに二有り、一には仏法を以て国王大臣並に四衆に付属することを明し、二には正しく謗法の人・王地に処るをば対治す可き証文を明す、第一に仏法を
以て国王大臣並に四衆に付属することを明さば、仁王経に云く「仏・波斯匿王に告わく、乃至・是の故に諸の国王に付属して
比丘・比丘尼・清信男・清信女に付属せず何を以ての故に王の威力無きが故に、乃至・此の経の三宝をば諸の国王・四部の弟子に付属す」已上大集経二十八に云く「若し国王有つて我が法の滅せんことを見
                           
六月の花嫁を語ろう  Part5
687 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/27(土) 06:42:08.26 ID:OMiDag3C0
て捨てて擁護せずんば無量世に於て施戒慧を修すとも悉く皆滅失し其の国に三種の不祥の事を出さん、乃至・命終して大地獄に生ぜん」已上仁王経の文の如くならば仏法を以て先ず国王に付属し次に四衆に
及ぼす王位に居る君・国を治むる臣は仏法を以て先と為し国を治む可きなり、大集経の文の如くならば王臣等・仏道の為に無量劫の間・頭目等の施を施し八万の戒行を持ち無量の仏法を学ぶと雖も国に流布する
所の法の邪正を直さざれば国中に大風・旱〓・大雨の三災起りて万民を逃脱せしめ王臣定めて三悪に堕せん、又雙林最後の涅槃経の第三に云く「今正法を以て諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆
夷に付属す、乃至・法を護らざる者をば禿居士と名く」又云く「善男子・正法を護持せん者は五戒を受けず威儀を修せずして応に刀剣・弓箭・鉾槊を持つべし」又云く「五戒を受けざれども正法を護るを為て乃
ち大乗と名く正法を護る者は応に刀剣・器杖を執持すべし」云云四十余年の内にも梵網等の戒の如くならば国王大臣の諸人等も一切刀杖・弓箭・矛斧闘戦の具を畜うることを得ず、若し此を畜うる者は定めて
現身に国王の位・比丘・比丘尼の位を失い            
六月の花嫁を語ろう  Part5
688 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/27(土) 06:43:17.67 ID:OMiDag3C0
後生は三悪道の中に堕つ可しと定め了んぬ。而るに今の世は道俗を択ばず弓箭・刀杖を帯せり梵網経の文の如くならば必ず三悪道に堕せんこと疑無き者なり、涅槃経の文無くんば如何にしてか之を救わん亦涅槃経の先後の文の如くならば弓箭・刀杖を
帯して悪法の比丘を治し正法の比丘を守護せん者は先世の四重五逆を滅して必ず無上道を証せんと定め給う。
亦金光明経の第六に云く「若し人有つて其の国土に於て此の経有りと雖も未だ嘗て流布せず捨離の心を生じ聴聞せんことを楽わず亦供養し尊重し讃歎せず四部の衆の持経の人を見て亦復尊重し乃至供養
すること能わず、遂に我等及び余の眷属・無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ざらしめん甘露の味に背き正法の流れを失い威光及以び勢力有ること無く悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜ちて涅槃の路に乖かん世尊・我
等四王並に諸の眷属及び薬叉等斯くの如き事を見て其の国土を捨てて擁護の心無からん但我等のみ是の王を捨棄するに非ず亦無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉く捨去せん既に捨離し已りなば其の国当に種種の災禍
有つて国位を喪失すべし一切の人衆皆善心無けん唯繋縛殺害瞋諍のみ有つて互に相讒諂し
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384 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/27(土) 07:50:25.33 ID:OMiDag3C0
ゆ可からず法華経は三世不壊の経なる故なり是五、又大日経等の諸経の中に法華経に勝るる経文之無し是六、釈尊御入滅より已後天竺の論師二十四人の付法蔵・其の外大権の垂迹・震旦の人師・
南三北七の十師・三論法相の先師の中に天台宗より外に十界互具・百界千如・一念三千と談ずる人之無し、若し一念三千を立てざれば性悪の義之無し性悪の義無くば仏菩薩の
普現色身・真言両界の漫荼羅・五百七百の諸尊は本無今有の外道の法に同ぜんか、若し
十界互具・百界千如を立てば本経何れの経にか十界皆成の旨之を説けるや、天台円宗見聞の後・邪智荘厳の為に盗み取れる法門なり、才芸を誦し浮言を吐くには依る可からず正しき経文・金言を尋ぬ可きなり是七。
涅槃経の三十五に云く「我処処の経の中に於て説いて言く一人出世すれば多人利益す一国土の中に二の転輪王あり一世界の中に二仏出世すといわば是の処有ること無し」文、大論の九に云く「十方恒河沙の三千大千
世界を名づけて一仏世界と為す是の中に更に余仏無し実には一りの釈迦牟尼仏なり」文、記の一に云く「世には二仏無く国には二主無し一仏の境界には二の尊号無し」文、持地論に云く「世に二仏無く国に二主無く一仏の境 
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385 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/27(土) 07:51:23.39 ID:OMiDag3C0
界に二の尊号無し」文。七月 日日 蓮 花 押蓮盛抄蓮盛抄 / 建長七年 三十四歳御作禅宗云く涅槃の時・世尊座に登り拈華して衆に示す迦葉・破顔微笑せり、仏の言く吾に正法眼蔵・涅槃の妙心・実相無相・微妙の法門有り文字を
立てず教外に別伝し摩訶迦葉に付属するのみと、問うて云く何なる経文ぞや、禅宗答えて云く大梵天王問仏決疑経の文なり、問うて云く件の経何れの三蔵の訳ぞや貞元・開元の録の中に曾つて此の経無し如何、禅宗
答えて云く此の経は秘経なり故に文計り天竺より之を渡す云云、問うて云く何れの聖人何れの人師の代に渡りしぞや跡形無きなり此の文は上古の録に載せず中頃より之を載す此の事禅宗の根源なり尤も古録に載すべ
し知んぬ偽文なり、禅宗云く涅槃経の二に云く「我今所有の無上の正法悉く以て摩訶迦葉に付属す」云云此の文如何、答えて云く無上の言は大乗に似たりと雖も是れ小乗を指すなり外道の邪法に対すれば小乗をも
正法といはん、例せば大法東漸と云えるを妙楽大師解釈の中に「通じて仏教を指す」と云いて大小権実をふさねて大法と云うなり云云、外道に対すれば小乗も大乗と云われ下〓なれども分には殿と云はれ上〓と云はるるが
ごとし、   
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386 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/27(土) 07:51:57.41 ID:OMiDag3C0
涅槃経の三に云く「若し法宝を以て阿難及び諸の比丘に付属せば久住を得じ何を以ての故に一切の声聞及び大迦葉は悉く当に無常なるべし彼の老人の他の寄物を受くるが如し、是の故に応に無上の仏法を以て諸
の菩薩に付属すべし諸の菩薩は善能問答するを以て是くの如きの法宝則ち久住することを得・無量千世増益熾盛にして衆生を利安せん彼の壮なる人の他の寄物を受くるが如し是の義を以ての故に諸大菩薩乃ち能く問う
のみ」云云、大小の付属其れ別なること分明なり、同経の十に云く「汝等文殊当に四衆の為に広く大法を説くべし今此の経法を以て汝に付属す乃至迦葉阿難等も来らば復当に是くの如き正法を付属すべし」云云故に知んぬ文殊
迦葉に大法を付属すべしと云云、仏より付属する処の法は小乗なり悟性論に云く「人心をさとる事あれば菩提の道を得る故に仏と名づく」菩提に五あり何れの菩提ぞや得道又種種なり何れの道ぞや余経に明す
所は大菩提にあらず又無上道にあらず経に云く「四十余年未顕真実」云云。
問うて云く法華は貴賤男女何れの菩提の道を得べきや、答えて云く「乃至一偈に於ても皆成仏疑い無し」云云、又云く「正直に方便を捨て但無上道を説く」云云、是に知んぬ
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387 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/27(土) 11:18:19.19 ID:OMiDag3C0
無上菩提なり「須臾も之を聞いて即ち阿耨菩提を究竟することを得るなり」此の菩提を得ん事須臾も此の法門を聞く功徳なり、問うて云く須臾とは三十須臾を一日一夜と云う「須臾聞之」の須臾は之を指すか如何、答う件の如し天
台止観の二に云く「須臾も廃すること無かれ」云云、弘決に云く「暫くも廃することを許さざる故に須臾と云う」故に須臾は刹那なり。
問うて云く本分の田地にもとづくを禅の規模とす、答う本分の田地とは何者ぞや又何れの経に出でたるぞや法華経こそ人天の福田なればむねと人天を教化し給ふ故に仏を天人師と号す此の経を信ずる者は己身の仏を見る
のみならず過・現・未の三世の仏を見る事・浄頗梨に向ふに色像を見るが如し、経に云く「又浄明鏡に悉く諸の色像を見るが如し」云云。
禅宗云く是心即仏・即身是仏と、答えて云く経に云く「心は是れ第一の怨なり此の怨最も悪と為す此の怨能く人を縛り送つて閻羅の処に到る汝独り地獄に焼かれて悪業の為に養う所の妻子兄弟等・親属も救う
こと能わじ」云云、涅槃経に云く「願つて心の師と作つて心を師とせざれ」云云、愚癡無懺の心を以て即心即仏と立つ豈未得謂得・未証謂証の人に非ずや。          
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388 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/27(土) 11:18:57.71 ID:OMiDag3C0
問う法華宗の意如何、答う経文に「具三十二相・乃是真実滅」云云、或は「速成就仏身」云云、禅宗は理性の仏を尊んで己れ仏に均しと思ひ増上慢に堕つ定めて是れ阿鼻の罪人なり、故に法華経に
云く「増上慢の比丘は将に大坑に墜ちんとす」禅宗云く毘盧の頂上を〓むと、云く毘盧とは何者ぞや若し周遍法界の法身ならば山川・大地も皆是れ毘盧の身土なり是れ理性の毘盧なり、此の身土に於て
は狗・野干の類も之を〓む禅宗の規模に非ず・若し実に仏の頂を〓まんか梵天も其の頂を見ずと云えり薄地争でか之を〓む可きや、夫れ仏は一切衆生に於いて主師親の徳有り若し恩徳広き慈父を〓まん
は不孝逆罪の大愚人・悪人なり、孔子の典籍尚以て此の輩を捨つ況んや如来の正法をや豈此の邪類・邪法を讃めて無量の重罪を獲んや云云、在世の迦葉は頭頂礼敬と云う滅後の闇禅は頂上を〓むと云う恐る可し。
禅宗云く教外別伝不立文字、答えて云く凡そ世に流布の教に三種を立つ、一には儒教此れに二十七種あり、二には道教此れに二十五家あり、三には十二分教・天台宗には四教・八教を立つるなり此
等を教外と立つるか、医師の法には本道の外を外経師と云う人間の言には姓のつづかざるをば外戚と云
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389 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/27(土) 11:19:38.63 ID:OMiDag3C0
う仏教には経論にはなれたるをば外道と云う、涅槃経に云く「若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり」云云、弘決九に云く「法
華已前は猶是れ外道の弟子なり」云云、禅宗云く仏祖不伝云云、答えて云く然らば何ぞ西天の二十八祖東土の六祖を立つるや、付属摩訶迦葉の立義已に破るるか自語相
違は如何、禅宗云く向上の一路は先聖不伝云云、答う爾らば今の禅宗も向上に於ては解了すべからず若し解らずんば禅に非ざるか凡そ向上を歌つて以て〓慢に住し未だ妄心を治せずして見性に
奢り機と法と相乖くこと此の責尤も親し旁がた化儀を妨ぐ其の失転多し謂く教外と号し剰さえ教外を学び文筆を嗜みながら文字を立てず言と心と相応せず豈天魔の部類・外道の弟子に非ずや、仏は文字に
依つて衆生を度し給うなり、問う其の証拠如何、答えて云く涅槃経の十五に云く「願わくは諸の衆生悉く皆出世の文字を受持せよ」文、像法決疑経に云く「文字に依るが故に衆生を度し菩提を得」云云、若し文字
を離れば何を以てか仏事とせん禅宗は言語を以て人に示さざらんや若し示さずといはば南天竺の達磨は四巻の楞伽経に依つて五巻の疏を作り慧可に伝うる時我漢地を見るに
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390 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/27(土) 12:39:35.68 ID:OMiDag3C0
但此の経のみあつて人を度す可し汝此れに依つて世を度す可し云云、若し爾れば猥に教外別伝と号せんや、次に不伝の言に至つては冷煖二途・唯自覚了と云つて文字に依るか其れ
も相伝の後の冷煖自知なり是を以て法華に云く「悪知識を捨て善友に親近せよ」文、止観に云く「師に値わざれば邪慧日に増し生死月に甚し稠林に曲木を曵くが如く出づる期有こと無けん」
云云、凡そ世間の沙汰尚以て他人に談合す況んや出世の深理寧ろ輙く自己を本分とせんや、故に経に云く「近きを見る可からざること人の睫の如く遠きを見る可からざること空中の鳥の跡の如し」云
云、上根上機の坐禅は且く之を置く当世の禅宗は瓮を蒙つて壁に向うが如し、経に云く「盲冥にして見る所無し大勢の仏及び断苦の法を求めず深く諸の邪見に入つて苦を以て苦を捨てんと欲す」云云、弘決に云
く「世間の顕語尚識らず況んや中道の遠理をや円常の密教寧ろ当に識る可けんや」云云、当世の禅者皆是れ大邪見の輩なり、就中三惑未断の凡夫の語録を用いて四智円明の如来の言教を軽んずる返す返す
過てる者か、疾の前に薬なし・機の前に教なし・等覚の菩薩すら尚教を用いき                       
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391 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/27(土) 12:40:06.39 ID:OMiDag3C0
底下の愚人何ぞ経を信ぜざる云云、是を以て漢土に禅宗興ぜしかば其の国忽ちに亡びき本朝の滅す可き瑞相に闇証の禅師充満す、止観に云く「此れ則ち法滅の妖怪なり亦是れ時代の妖怪なり」云云。
禅宗云く法華宗は不立文字の義を破す何故ぞ仏は一字不説と説き給うや、答う汝楞伽経の文を引くか本法自法の二義を知らざるか学ばずんば習うべし其の上彼の経に於いては未顕真実と破られ畢んぬ何ぞ指南と為ん。
問うて云く像法決疑経に云く「如来の一句の法を説きたもうを見ず」云云如何、答う是は常施菩薩の言なり法華経には「菩薩是の法を聞いて疑網皆已に除く千二百の羅漢悉く亦当に作仏すべし」と云つて八万の菩
薩も千二百の羅漢も悉く皆列座し聴聞随喜す、常施一人は見えず何れの説に依る可き法華の座に挙ぐる菩薩の上首の中に常施の名之無し見えずと申すも道理なり、何に況や次下に「然るに諸の衆生出没有るを
見て法を説いて人を度す」云云、何ぞ不説の一句を留めて可説の妙理を失う可き、汝が立義一一大僻見なり執情を改めて法華に帰伏す可し、然らずんば豈無道心に非ずや。
八宗違目抄八宗違目抄 /文永九年二月 五十一歳御作与富木常忍記の九に云く「若し其       
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392 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/27(土) 13:35:27.04 ID:OMiDag3C0
れ未だ開せざれば法報は迹に非ず若し顕本し已れば本迹各三なり」文句の九に云く「仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」
法身如来 正因仏性仏 報身如来 衆生 了因仏性応身如来 縁因仏性小乗経には仏性の有無を論ぜず。衆生の仏性 華厳・方等・般若・大日経等には衆生本より正因仏性有つて了因・縁因無し。
法華経には本より三因仏性有り。文句の十に云く「正因仏性法身の性なりは本当に通亙す、縁・了仏性は種子本有なり今に適むるに非ざるなり」今此の三界は皆是れ我が有なり 主国王世尊なり
法華経第二に云く其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり 親父なり而も今此の処は諸の患難多し導師なり唯我一人のみ能く救護をなす主 国王 報身如来寿量品に云く我も亦為世の父文 師 応身如来
親 法身如来五百問論に云く「若し父の寿の遠を知らずして復父統の邦に迷わば徒らに才能と謂うとも全く人の子に非ず」又云く「但恐らくは才一国に当るとも父母の年を識らざらんや」
古今仏道論衡道宣の作に云く「三皇已前は未だ文字有らず但其の母を識つて其の父を識らず禽獣に同じ鳥等なり」等云云、慧遠法師周の武帝を詰る語なり
倶舎宗成実宗 一向に釈尊を以て本尊
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393 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/27(土) 13:39:14.42 ID:OMiDag3C0
と為す爾りと雖も但応身に限る。律宗華厳宗三論宗 釈尊を以て本尊と為すと雖も法身は無始無終・報身は有始無終・応身は有始有終なり。
法相宗一義に云く大日如来は釈迦の法身なり。真言宗 一向に大日如来を以て本尊と為す二義有り一義に云く大日如来は釈迦の法身には非ず。
但し大日経には大日如来は釈迦牟尼仏なりと見えたり人師よりの僻見なり。浄土宗 一向に阿弥陀如来を以て本尊と為す。法華宗より外の真言等の七宗・並
に浄土宗等は釈迦如来を以て父と為すことを知らず、例せば三皇已前の人・禽獣に同ずるが如し鳥の中に鷦鷯鳥も鳳凰鳥も父を知らず獣の中には兎も師子も父
を知らず、三皇以前は大王も小民も共に其の父を知らず天台宗よりの外真言等の諸宗の大乗宗は師子と鳳凰の如く小乗宗は鷦鷯と兎等の如く共に父を知らざるなり。
華厳宗に十界互具一念三千を立つること澄観の疏に之有り。真言宗に十界互具一念三千を立つること大日経の疏に之を出す。天台宗と同異如何、天台宗已前にも十界互
具・一念三千を立つるや、記の三に云く「然るに衆釈を攅むるに既に三乗及び一乗・三一倶に性相等の十有りと許す何すれぞ六道の十を語らざるや」此の釈の如くんば天台已
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394 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/27(土) 13:40:05.34 ID:OMiDag3C0
前五百余年の人師三蔵等の法華経に依る者一念三千の名目を立てざるか。
問うて云く華厳宗は一念三千の義を用いるや華厳宗は唐の則天皇后の御宇に之を立つ、答えて云く澄観の疏三十三清涼国師に云く「止観の第五に十法成乗を明す中の
第二に真正発菩提心○釈して云く然も此の経の上下の発心の義は文理淵博にして其の撮略を見る故に取つて之を用い引いて之を証とす」と、二十九に云く「法華経に云く
唯仏与仏等と天台云く○便ち三千世間を成すと彼の宗には此れを以つて実と為す○一家の意理として通ぜざる無し」文。
華厳経に云く旧訳には功徳林菩薩之を説くと、新訳には覚林菩薩之を説くと、弘決には如来林菩薩と引く「心は工なる画師の種種の五陰を画くが如く一切世間の中に法とし
て造らざること無し心の如く仏も亦爾なり仏の如く衆生も然なり心と仏と及び衆生と是の三差別無し若し人三世一切の仏を了知せんと欲せば当に是くの如く観ずべし心は諸の如来を造ると」
法華経に云く此れは略開三の文なり仏の自説なり「所謂諸法とは如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等」又云く「唯一大事の因縁
を以ての故に世に


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