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名無しさん@入浴中
六月の花嫁を語ろう  Part5

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六月の花嫁を語ろう  Part5
641 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 06:36:47.94 ID:i5c+czay0
専ら謗法を重んず、悲いかな皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る、愚なるかな各悪教の綱に懸つて鎮に謗教の網に纒る、此の朦霧の迷彼の盛焔の底に沈む豈愁えざらんや豈苦まざらんや、汝早く信仰の
寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し。
客の曰く、今生後生誰か慎まざらん誰か和わざらん、此の経文を披いて具に仏語を承るに誹謗の科至つて重く毀法の罪誠に深し、我一仏を信じて諸仏を抛ち三部経を仰いで諸経を閣きしは、是れ私曲の思に非ず則ち
先達の詞に随いしなり、十方の諸人も亦復是くの如くなるべし、今の世には性心を労し来生には阿鼻に堕せんこと文明かに理詳かなり疑う可からず、弥よ貴公の慈誨を仰ぎ益愚客の癡心を開けり、速に対治を回して早く泰
平を致し先ず生前を安じて更に没後を扶けん、唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ。立正安国論奥書文応元年太歳庚申之を勘う正嘉より之を始め文応元年に勘え畢る。
去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の尅の大地震
六月の花嫁を語ろう  Part5
642 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 06:38:02.01 ID:i5c+czay0
を見て之を勘う、其の後文応元年太歳庚申七月十六日を以て宿屋禅門に付して故最明寺入道殿に奉れり、其の後文永元年太歳甲
子七月五日大明星の時弥此の災の根源を知る、文応元年太歳庚申より文永五年太歳戊辰後の正月十八日に至るまで九ケ年を経て西方大蒙古国自り我が朝を襲う可きの由牒状之を渡す、又同六年重
ねて牒状之を渡す、既に勘文之に叶う、之に準じて之を思うに未来亦然る可きか、此の書は徴有る文なり是れ偏に日蓮が力に非ず法華経の真文の感応の至す所か。文永六年太歳己巳十二月八日之を写す。安国論御勘由来
正嘉元年太歳丁巳八月廿三日戌亥の時前代に超え大に地振す、同二年戊午八月一日大風・同三年己未大飢饉・正元元年己未大疫病同二年庚申四季に亘つて大疫已まず万民既に大半に超えて死を招き了んぬ、而る間国主之
に驚き内外典に仰せ付けて種種の御祈祷有り、爾りと雖も一分の験も無く還つて飢疫等を増長す。日蓮世間の体を見て粗一切経を勘うるに御祈請験無く還つて凶悪を増長するの由道理文証之を得了
んぬ、終に止むこと無く勘文一通を造り作して其の名を立正安国論と号す、文応元年庚申七月十六日辰時屋戸野入道に付けて古最明寺入道殿に奏進申し
六月の花嫁を語ろう  Part5
643 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 06:38:47.75 ID:i5c+czay0
了んぬ此れ偏に国土の恩を報ぜんが為なり、其勘文の意
は日本国・天神七代・地神五代百王百代・人王第卅代欽明天皇の御宇に始めて百済国より仏法此の国に渡り桓武天皇の御宇に至つて其の中間五十余代・二百六十余年なり、其の間一切経並びに六宗之れ有りと
雖も天台真言の二宗未だ之れ有らず、桓武の御宇に山階寺の行表僧正の御弟子に最澄と云う小僧有り後に伝教大師と号す、已前に渡る所の六宗並に禅宗之を極むと雖も未だ我が意に叶わず、聖武天皇の御宇に大
唐の鑒真和尚渡す所の天台の章疏・四十余年を経て已後始めて最澄之を披見し粗仏法の玄旨を覚り了んぬ、最澄・天長地久の為に延暦四年叡山を建立す桓武皇帝之を崇め天子本命の道場と号し六宗の御帰依を捨て一向に天台円宗に帰伏し給う。
同延暦十三年に長岡の京を遷して平安城を建つ、同延暦廿一年正月十九日高雄寺に於て南都七大寺の六宗の碩学・勤操・長耀等の十四人を召し合せ勝負を決談す、六宗の明匠・一問答にも及ばず口を閉ずること鼻
の如し華厳宗の五教・法相宗の三時・三論宗の二蔵・三時の所立を破し了んぬ但自宗を破らるるのみに非ず皆謗法の者為ることを知る、同じき廿九日皇帝勅宣を下して之を詰る、
六月の花嫁を語ろう  Part5
644 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 07:11:38.61 ID:i5c+czay0
、十四人謝表を作つて皇帝に捧げ奉る、其の後代代の皇帝叡山の御帰依は孝子の父母に仕うるに超え黎民の王威を恐るるに勝れり、或御時は宣明を捧げ或御時は非を以て理に処す等云云、殊に清和天皇は叡山の恵亮和尚の法威に依つて位
に即き帝王の外祖父・九条右丞相は誓状を叡山に捧げ、源の右将軍は清和の末葉なり鎌倉の御成敗是非を論ぜず叡山に違背す天命恐れ有る者か。
然るに後鳥羽院の御宇・建仁年中に法然・大日とて二人の増上慢の者有り悪鬼其の身に入つて国中の上下を誑惑し代を挙げて念仏者と成り人毎に禅宗に趣く、存の外に山門の御帰依浅薄なり国中の法華真言の学者棄て置かれ了んぬ、故に叡
山守護の天照太神・正八幡宮・山王七社・国中守護の諸大善神法味を〓わずして威光を失い国土を捨て去り了んぬ、悪鬼便りを得て災難を致し結句他国より此の国を破る可き先相勘うる所なり、又其の後文永元年甲子七月五日
彗星東方に出で余光大体一国土に及ぶ、此れ又世始まりてより已来無き所の凶瑞なり内外典の学者も其の凶瑞の根源を知らず、予弥よ悲歎を増長す、而るに勘文を捧げて已後九ケ年を経て今年後の正月大蒙古国の国書を見るに日
蓮が勘文に相叶うこと宛かも符
六月の花嫁を語ろう  Part5
645 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 07:12:37.67 ID:i5c+czay0
契の如し、仏記して云く「我が滅度の後一百余年を経て阿育大王出世し我が舎利を弘めん」と、周の第四昭王の御宇・大史蘇由が記に云く「一千年の外・声教此の土に被らしめん」と、聖徳太子の記に云く「
我が滅度の後二百余年を経て山城の国に平安城を立つ可し」と、天台大師の記に云く「我が滅後二百余年の已後東国に生れて我が正法を弘めん」等云云、皆果して記文の如し。
日蓮正嘉の大地震同じく大風同じく飢饉・正元元年の大疫等を見て記して云く他国より此の国を破る可き先相なりと、自讃に似たりと雖も若し此の国土を毀壊せば復た仏法の破滅疑い無き者なり。
而るに当世の高僧等謗法の者と同意の者なり復た自宗の玄底を知らざる者なり、定めて勅宣御教書を給いて此の凶悪を祈請するか、仏神弥よ瞋恚を作し国土を破壊せん事疑い無き者なり。
日蓮復之を対治するの方之を知る叡山を除いて日本国には但一人なり、譬えば日月の二つ無きが如く聖人肩を並べざるが故なり、若し此の事妄言ならば日蓮が持つ所の法華経守護の十羅刹の治罰之を蒙らん、但偏に国の為法の
為人の為にして身の為に之を申さず、復禅門に対面を遂ぐ故に之を告ぐ之を用いざれば定めて後悔有る可し、恐恐謹
六月の花嫁を語ろう  Part5
646 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 07:14:04.49 ID:i5c+czay0
言。文永五年太歳戊辰四月五日法鑒御房 日蓮 花押安国論別状立正安国論の正本、富木殿に候、かきて給び候はん、ときどのか、又。
五月廿六日 日蓮 花押/正元元年 三十八歳御作夫れ以んみれば偶十方微塵の三悪の身を脱れて希に閻浮日本の爪上の生を受け亦閻浮日域・爪上の生を捨てて十方
微塵・三悪の身を受けんこと疑い無き者なり、然るに生を捨てて悪趣に堕つるの縁・一に非ず或は妻子眷属の哀憐に依り或は殺生悪逆の重業に依り或は国主と成つて民衆の歎きを知らざるに
依り或は法の邪正を知らざるに依り或は悪師を信ずるに依る、此の中に於ても世間の善悪は眼前に在り愚人も之を弁うべし仏法の邪正・師の善悪に於ては証果の聖人・尚之を知らず況や末代の凡夫に於ておや。
しかのみならず仏日・西山に隠れ余光・東域を照してより已来・四依の慧灯は日に減じ三蔵の法流は月に濁る実教に迷える論師は真理の月に雲を副え権経に執する訳者は実経の珠を砕きて権経
の石と成す、何に況や震旦の人師の宗義其の誤り無からんや何に況や日本辺土の末学誤りは多く実は少き者か、随つて其の教を学する人数は竜鱗よりも多く得道の者は麟角よりも希なり、或は権
教に依るが故に或
六月の花嫁を語ろう  Part5
647 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 07:56:52.70 ID:i5c+czay0
は時機不相応の教に依るが故に或は凡聖の教を弁えざるが故に或は権実二教を弁えざるが故に或は権教を実教と謂うに依るが故に或は位の高下を知らざるが故に、凡夫の習い仏法に就て生死の業を増すこと其の縁・一に非ず。
中昔・邪智の上人有つて末代の愚人の為に一切の宗義を破して選択集一巻を造る、名を鸞・綽・導の三師に仮つて一代を二門に分ち実経を録して権経に入れ法華真言の直道を閉じて浄土三部の隘路を開く、亦浄土
三部の義にも順ぜずして権実の謗法を成し永く四聖の種を断じて阿鼻の底に沈む可き僻見なり、而るに世人之に順うこと譬えば大風の小樹の枝を吹くが如く門弟此の人を重んずること天衆の帝釈を敬うに似たり。
此の悪義を破らんが為に亦多くの書有り所謂・浄土決義鈔・弾選択・摧邪輪等なり、此の書を造る人・皆碩徳の名一天に弥ると雖も恐くは未だ選択集謗法の根源を顕わさず故に還つて悪法の流布を増す、譬えば盛なる
旱〓の時に小雨を降せば草木弥枯れ兵者を打つ刻に弱兵を先んずれば強敵倍力を得るが如し。
予此の事を歎く間・一巻の書を造つて選択集謗法の縁起を顕わし名づけて守護国家論と号す、願わくば一切の道俗一時の世事を止めて永劫の善苗を種
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648 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 07:58:03.34 ID:i5c+czay0
えよ、今経論を以て邪正を直す信謗は仏説に任せ敢て自義を存する事無かれ。
分ちて七門と為す、一には如来の経教に於て権実二教を定むることを明し、二には正像末の興廃を明し、三には選択集の謗法の縁起を明し、四には謗法の者を対治すべき証文を出すことを明し、五には善知識並に真実の
法には値い難きことを明し、六には法華涅槃に依る行者の用心を明し、七には問に随つて答うることを明す。
大文の第一に如来の経教に於て権実二教を定むることを明すとは此れに於て四有り、一には大部の経の次第を出して流類を摂することを明し、二には諸経の浅深を明し、三には大小乗を定むることを明し、四には且らく権を捨てて実に就くべきことを明す。
第一に大部の経の次第を出して流類を摂することを明さば、問うて云く仏最初に何なる経を説きたまうや、答えて云く華厳経なり、問うて云く其の証如何、答えて云く六十華厳経の離世間浄眼品に云く「是の如く我聞く一時
・仏・摩竭提国・寂滅道場に在つて始めて正覚を成ず」と、法華経の序品に放光瑞の時・弥勒菩薩・十方世界の諸仏の五時の次第を見る時文殊師利菩薩に問うて云く、「又諸仏聖主師子の経典の微妙第一なることを演   
六月の花嫁を語ろう  Part5
649 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 07:59:10.66 ID:i5c+czay0
説し給うに其の声清浄に柔軟の音を出して諸の菩薩を教え給うこと無数億万なることを覩る」亦方便品に仏自ら初成道の時を説いて云く「我始め道場に坐し樹を観じ亦経行す、乃至・爾の時に諸の梵王及び諸天帝釈・護世四天王及び
大自在天並に余の諸の天衆・眷属百千万・恭敬合掌し礼して我に転法輪を請ずと」此等の説は法華経に華厳経の時を指す文なり、故に華厳経の第一に云く毘沙門天王略月天子略日天子略釈提桓因略大梵略摩醯首羅等略已上。
涅槃経に華厳経の時を説いて云く「既に成道し已つて梵天勧請すらく唯願わくば如来当に衆生の為に広く甘露の門を開き給うべし、乃至・梵王復言く世尊・一切衆生に凡そ三種有り所謂・利根・中根・鈍根なり利根は能く受く唯願わ
くば為に説き給え、仏言く梵王諦に聴け我今当に一切衆生の為に甘露の門を開くべし」亦三十三に華厳経の時を説いて云く「十二部経・修多羅の中の微細の義を我先に已に諸の菩薩の為に説くが如し」。
此くの如き等の文は皆諸仏・世に出で給いて一切経の初めには必ず華厳経を説き給いし証文なり。
問うて云く無量義経に云く「初めに四諦を説き、乃至・次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く」此くの如き文は
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650 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 08:32:22.53 ID:i5c+czay0
般若経の後に華厳経を説くと相違如何、答えて云く浅深の次第なるか或は後分の華厳経なるか、法華経の方便品に一代の次第浅深を列ねて云く「余乗有ること無し華厳経なり若は二般若経なり若は三方等経なり」と此の意なり。
問うて云く華厳経の次に何の経を説き給うや、答えて云く阿含経を説き給うなり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く法華経の序品に華厳経の次の経を説いて云く「若し人・苦に遭うて老病死を厭うには為に涅槃を説く」
方便品に云く「即・波羅奈に趣き、乃至・五比丘の為に説く」涅槃経に華厳経の次の経を定めて云く「即・波羅奈国に於て正法輪を転じて中道を宣説す」此等の経文は華厳経より後に阿含経を説くなり。
問うて云く阿含経の後に何の経を説き給うや、答えて云く方等経なり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く無量義経に云く「初に四諦を説き乃至・次に方等十二部経を説く」涅槃経に云く「修多羅より方等を出す」
問うて云く方等とは天竺の語・此には大乗と云う華厳・般若・法華・涅槃等は皆方等なり何ぞ独り方等部に限り方等の名を立つるや、答えて云く実には華厳・般若・法華等皆方等なり然りと雖も今方等部に於て別して方等の名を
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651 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 08:33:11.04 ID:i5c+czay0
立つることは私の義に非ず無量義経・涅槃経の文に顕然たり、阿含の証果は一向小乗なり次に大乗を説く方等より已後皆大乗と云うと雖も大乗の始なるが故に初に従つて方等部を方等と云うなり、例せば十八界の十半は色なりと雖も初に従つて色境の名を立つるが如し。
問うて云く方等部の諸経の後に何の経を説き給うや、答えて云く般若経なり、問うて云く何を以て之を知るや答えて云く涅槃経に云く「方等より般若を出す」
問うて云く般若経の後には何の経を説き給うや、答えて云く無量義経なり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く仁王経に云く「二十九年中」無量義経に云く「四十余年」問うて云く無量義経には般若経の後に華厳経を
列ね涅槃経には般若経の後に涅槃経を列ぬ、今の所立の次第は般若経の後に無量義経を列ぬる相違如何、答えて云く涅槃経第十四の文を見るに涅槃経已前の諸経を列ねて涅槃経に対して勝劣を論じ而も法華経を
挙げず、第九の巻に於て法華経は涅槃経より已前なりと之を定め給う、法華経の序品を見るに無量義経は法華経の序分なり、無量義経には般若の次に華厳経を列ぬれども華厳経を初時に遣れば般若経の後は無量義経なり。
問うて云く無量義経の
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652 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 08:34:26.90 ID:i5c+czay0
後に何の経を説き給うや、答えて云く法華経を説き給うなり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く法華
経の序品に云く「諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名づくるを説き給う、仏此の経を説き已つて結跏趺坐し無量義処三昧に入る」
問うて云く法華経の後に何の経を説き給うや、答えて云く普賢経を説き給うなり、問うて云く何を以て之
を知るや、答えて云く普賢経に云く「卻て後・三月我当に般涅槃すべし、乃至・如来昔・耆闍崛山及び余の住処に於て已に広く一実の道を分別し今も此の処に於てす」問うて云く普賢経
の後に何の経を説き給うや、答えて云く涅槃経を説き給うなり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く普賢経に云く「卻て後・三月我当に般涅槃すべし」涅槃経三十に云く「如来何
が故ぞ二月に涅槃し給うや、亦・如来は初生・出家・成道・転法輪皆八日を以てす何ぞ仏の涅槃独り十五日なるやと云う」と大部の経大概是くの如し此より已外諸の大小乗
経は次第不定なり、或は阿含経より已後に華厳経を説き法華経より已後に方等般若を説く皆義類を以て之を収めて一処に置くべし。
第二に諸経の浅深を明さば、無量義経に云    
六月の花嫁を語ろう  Part5
653 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 09:45:34.90 ID:i5c+czay0
く「初に四諦を説き阿含次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説き菩薩の歴劫修行を宣説す」亦云く「四十余年には未だ真
実を顕わさず」又云く「無量義経は尊く過上無し」此等の文の如くんば四十余年の諸経は無量義経に劣ること疑い無き者なり。
問うて云く密厳経に云く「一切経の中に勝れたり」大雲経に云く「諸経の転輪聖王なり」金光明経に云く「諸経の中の王なり」と此等の文を見るに諸大乗経の常の習なり何ぞ一文
を瞻て無量義経は四十余年の諸経に勝ると云うや、答えて云く教主釈尊若し諸経に於て互に勝劣を説かずんば・大小乗の差別・権実の不同有るべからず、若し実に差別無きに互に差別浅深
等を説かば諍論の根源・悪業起罪の因縁なり、爾前の諸経の第一は縁に随つて不定なり或は小乗の諸経に対して第一と或は報身の寿を説くに諸経の第一なり或は俗諦・真諦・中諦等を説
くに第一なりと一切の第一に非ず、今の無量義経の如きは四十余年の諸経に対して第一なり。
問うて云く法華経と無量義経と何れが勝れたるや、答えて云く法華経勝れたり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く無量義経には未だ二乗作仏と久遠実成とを明さず
に法華経に嫌われて今
六月の花嫁を語ろう  Part5
654 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 09:47:03.21 ID:i5c+czay0
説の中に入るなり。問うて云く法華経と涅槃経と何れが勝れたるや、答えて云く法華経勝るるなり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く涅槃経に自ら如法華中等と説き更無所作と云う、法華経に当説を指して難信難解と云わざるが故なり。
問うて云く涅槃経の文を見るに涅槃経已前をば皆邪見なりと云う如何、答えて云く法華経は如来出世の本懐なる故に「今者已満足・今正是其時・然善男子我実成仏已来」等と説く、但し諸経の勝劣に於ては仏自ら「我所説経典無量千万
億」なりと挙げ了つて「已説・今説・当説」等と説く時、多宝仏・地より涌現して皆是真実と定め分身の諸仏は舌相を梵天に付け給う是くの如く諸経と法華経との勝劣を定め了んぬ、此の外・釈迦一仏の所説なれば先後の諸経に対して法
華経の勝劣を論ずべきに非ざるなり、故に涅槃経に諸経を嫌う中に法華経を入れず法華経は諸経に勝るる由・之を顕わす故なり、但し邪見の文に至つては法華経を覚知せざる一類の人・涅槃経を聞いて悟を得
る故に迦葉童子・自身並に所引を指して涅槃経より已前を邪見等と云うなり経の勝劣を論ずるには非ず。
第三に大小乗を定むることを明さば、問うて云く大小乗の差別如何、    
六月の花嫁を語ろう  Part5
655 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 11:30:13.36 ID:i5c+czay0
答えて云く常途の説の如くんば阿含部の諸経は小乗なり華厳・方等・般若・法華・涅槃等は大乗なり、或は六界を明すは小乗・十界を明すは大乗なり、其の外・法
華経に対して実義を論ずる時・法華経より外の四十余年の諸大乗経は皆小乗にして法華経は大乗なり。
問うて云く諸宗に亘て我所拠の経を実大乗と謂い余宗所拠の経を権大乗と云うこと常の習いなり末学に於ては是非定め難し、未だ聞知せず法華経に対して諸大乗経を小乗と称する証文如何、答えて云く宗宗の立義互に是非を論
ず就中末法に於て世間出世に就て非を先とし是を後とす自ら是非を知らず愚者の歎くべき所なり、但し且く我等が智を以て四十余年の現文を観るに此の言を破する文無ければ人の是非を信用すべからざるなり、其の上・法華経に対
して諸大乗経を小乗と称することは自答を存すべきに非ず、法華経の方便品に云く「仏は自ら大乗に住し給えり、乃至・自ら無上道大乗平等の法を証しき若し小乗を以て化すること乃至一人に於てせば我即ち慳貪に堕せん
、此の事は為て不可なり」此の文の意は法華経より外の諸経を皆小乗と説けるなり、亦寿量品に云く「小法を楽う」と此等の文は法華経より外の四十余年の諸経を皆小
六月の花嫁を語ろう  Part5
656 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 11:31:20.12 ID:i5c+czay0
乗と説けるなり、天台・妙楽の釈に於て四十余年の諸経を小乗なりと釈すとも他師之を許すべからず故に但経文を出すなり。第四に且らく権経を閣いて実経に就くことを明さば、問うて云く証
文如何、答えて云く十の証文有り法華経に云く「但大乗経典を受持することを楽て乃至余経の一偈をも受けざれ」是一涅槃経に云く「了義経に依つて不了義経に依らざれ」四十余年を不
了義経と云う、是二法華経に云く「此の経は持ち難し若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり是の如き人は諸仏の歎めたもう所なり、是れ則ち勇猛なり是れ則ち精進なり是を戒を持ち頭
陀を行ずる者と名く」末代に於て四十余年の持戒無し、唯法華経を持つを持戒と為す是三涅槃経に云く「乗に緩なる者に於ては乃ち名けて緩と為す戒緩の者に於ては名けて緩と為さず菩
薩摩訶薩・此の大乗に於て心懈慢せずんば是を奉戒と名づく正法を護らんが為に大乗の水を以て而も自ら澡浴す是の故に菩薩・破戒を現ずと雖も名づけて緩と為さず」此の文は法華経の
戒を流通する文なり是四法華経第四に云く「妙法華経・乃至・皆是真実」此の文は多宝の証明なり是五法華経第八普賢菩薩の誓に云く「如来の滅後に於て閻浮提の内に
六月の花嫁を語ろう  Part5
657 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 12:29:31.95 ID:i5c+czay0
広く流布せしめて断絶せざらしめん」是六法華経第七に云く「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に於て断絶せしむること無けん」釈迦如来の誓なり是七法華経第四に多宝並に十方諸仏来集の意趣を説いて
云く「法をして久しく住せしめんが故に此に来至し給えり」是八法華経第七に法華経を行ずる者の住処を説いて云く「如来の滅後に於て応に一心に受持・読・誦・解説・書写して説の如く修行
すべし所在の国土に乃至・若は経巻所住の処若は園の中に於ても若は林の中に於ても若は樹の下に於ても若は僧坊に於ても若は白衣の舎にても若は殿堂に在つても若は山谷曠野にても是の
中に皆塔を起て供養すべし所以は何ん当に知るべし是の処は即ち是れ道場なり諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得給う」是九法華経の流通たる涅槃経の第九に云く「我涅槃の後正法未だ滅
せず余の八十年・爾時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし是の時当に諸の悪比丘有るべし是の経を抄掠して分つて多分と作し能く正法の色香美味を滅す是の諸の悪人復是の如き経典を読誦
すと雖も如来深密の要義を滅除して世間荘厳の文を安置し無義の語を飾り前を抄て後に著け後を抄て前に著け前後を中に著け中を前後に
六月の花嫁を語ろう  Part5
658 :名無しさん@入浴中[sage]:2014/09/21(日) 12:31:29.10 ID:i5c+czay0
著けん当に知るべし是くのき諸の悪比丘は是魔の伴侶なり、乃至・譬えば牧牛女の多く水を乳に加うるが如く諸の悪比丘も亦復是の如し雑るに世語を以てし錯りて是の経を定む多くの衆生をして正説・正写・正
取・尊重・讃歎・供養・恭敬することを得ざらしむ是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能わず分流すべき所少く言うに足らず彼の牧牛の貧窮の女人展転して乳を売るに乃至糜と成して乳
味無きが如し、是の大乗経典・大涅槃経も亦復是の如く展転薄淡にして気味有ること無し気味無しと雖も猶余経に勝る是れ一千倍なること彼の乳味の諸の苦味に於て千倍勝ると為すが如し何を以ての
故に是の大乗経典・大涅槃経は声聞の経に於て最上首為り」是十。
問うて云く不了義経を捨てて了義経に就くとは、大円覚修多羅了義経・大仏頂如来密因修証了義経是の如き諸大乗経は皆了義経なり依用と為す可きや、答えて云く了義・不了義は所対に随つて不同なり
二乗菩薩等の所説の不了義に対すれば一代の仏説皆了義なり仏説に就て小乗経は不了義・大乗経は了義なり大乗に就て又四十余年の諸経は不了義経・法華・涅槃・大日経等は了義経なり而るに円覚
・大仏頂等の諸経は
六月の花嫁を語ろう  Part5
659 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 13:20:52.52 ID:i5c+czay0
小乗及び歴劫修行の不了義経に対すれば了義経なり法華経の如き了義には非ざるなり。
問うて云く華厳・法相・三論等の天台真言より已外の諸宗の高祖・各其の依憑の経経に依つて其の経経の深義を極めたりと欲えり是れ爾る可しや如何、答えて云く華厳宗の如きは華厳経に依つて諸経を判じ
て華厳経の方便と為すなり、法相宗の如きは阿含・般若等を卑しめ華厳・法華・涅槃を以て深密経に同じ同じく中道教と立つると雖も亦法華・涅槃は一類の一乗を説くが故に不了義経なり深密経には五性各
別を論ずるが故に了義経と立つるなり、三論宗の如きは二蔵を立てて一代を摂し大乗に於て浅深を論ぜず而も般若経を以て依憑と為す、此等の諸宗の高祖・多分は四依の菩薩なるか定めて所存有らん是非に及ばず。
然りと雖も自身の疑を晴らさんが為に且らく人師の異解を閣いて諸宗の依憑の経経を開き見るに華厳経は旧訳は五十・六十・新訳は八十・四十・其の中に法華涅槃の如く一代聖教を集めて方便と為すの文無し、四乗を説
くと雖も其の中の仏乗に於て十界互具・久遠実成を説かず但し人師に至つては五教を立てて先の四教に諸経を収めて華厳経の方便と為す、法相宗の如きは三時教を立つる時・法 
六月の花嫁を語ろう  Part5
660 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 13:21:34.87 ID:i5c+czay0
華等を以て深密経に同ずと雖も深密経五巻を開き見るに全く法華等を以て中道の内に入れず。
三論宗の如きは二蔵を立つる時・菩薩蔵に於て華厳法華等を収め般若経に同ずと雖も新古の大般若経を開き見るに全く大般若を以て法華涅槃に同ずるの文無し華厳は頓教・法華は漸教等とは人師の意楽にして仏説に非ざるなり。
法華経の如きは序分無量義経に慥に四十余年の年限を挙げ華厳・方等・般若等の大部の諸経の題名を呼んで未顕真実と定め正宗の法華経に至つて一代の勝劣を定むる時・我が所説の経典・無量千万億・已説
・今説・当説の金言を吐いて、而も其の中に於て此の法華経は最も難信難解なりと説き給う時・多宝仏・地より涌出し妙法蓮華経皆是真実と証誠し分身の諸仏十方より悉く一処に集つて舌を梵天に付け給う。
今此の義を以て余推察を加うるに唐土・日本に渡れる所の五千七千余巻の諸経・以外の天竺・竜宮・四王天・過去の七仏等の諸経並に阿難の未結集の経・十方世界の塵に同ずる諸経の勝劣・浅深・難易・掌中に
在り無量千万億の中に豈釈迦如来の所説の諸経を漏らす可けんや已説・今説・当説の年限に入らざる諸経之れ有るべきや願わくば末代の諸人且らく諸宗の高祖の弱 
六月の花嫁を語ろう  Part5
661 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 14:16:48.29 ID:i5c+czay0
文・無義を閣きて釈迦多宝十方諸仏の強文有義を信ず可し、何に況や諸宗の末学・偏執を先と為し末代の愚者人師を本と為して経論を抛つ者に依憑すべきや、故に法華の
流通たる雙林最後の涅槃経に仏・迦葉童子菩薩に遺言して言く「法に依つて人に依らざれ義に依つて語に依らざれ智に依つて識に依らざれ了義経に依つて不了義経に依らざれ」と云云。
予世間を見聞するに自宗の人師を以て三昧発得智慧第一と称すれども無徳の凡夫として実経に依つて法門を信ぜしめず不了義の観経等を以て時機相応の教と称し了義の法
華涅槃を閣いて譏つて理深解微の失を付け如来の遺言に背いて「人に依つて法に依らざれ・語に依つて義に依らざれ・識に依つて智に依らざれ・不了義経に依つて了義経に依らざれ」と談
ずるに非ずや、請い願わくば心有らん人は思惟を加えよ如来の入滅は既に二千二百余の星霜を送れり文殊・迦葉・阿難・経を結集して已後・四依の菩薩重ねて出世し論を造り経の意を
申ぶ末の論師に至つて漸く誤り出来す亦訳者に於ても梵漢未達の者・権教宿習の人有つて実の経論の義を曲げて権の経論の義を存せり、之に就て亦唐土の人師・過去の権教の宿習の故
に権の        
六月の花嫁を語ろう  Part5
662 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 14:17:27.36 ID:i5c+czay0
経論心に叶う間・実経の義を用いず或は少し自義に違う文有れば理を曲げて会通を構え以て自身の義に叶わしむ、設い後に道理と念うと雖も或は名利に依り或は檀
那の帰依に依つて権宗を捨てて実宗に入らず、世間の道俗亦無智の故に理非を弁えず但・人に依つて法に依らず設い悪法たりと雖も多人の邪義に随つて一人の実説に依らず、而るに衆
生の機多くは流転に随う設い出離を求むとも亦多分は権経に依る、但恨むらくは悪業の身・善に付け悪に付け生死を離れ難きのみ、然りと雖も今の世の一切の凡夫設い今生を損すと雖も上
に出す所の涅槃経第九の文に依つて且らく法華・涅槃を信ぜよ其の故は世間の浅事すら展転多き時は虚は多く実は少し況や仏法の深義に於てをや、如来の滅後二千
余年の間・仏法に邪義を副え来り万に一も正義無きか一代の聖教多分は誤り有るか、所以に心地観経の法爾無漏の種子・正法華経の属累の経末・婆沙論の一十六字・摂論の識の八九・法
華論と妙法華経との相違・涅槃論の法華煩悩所汚の文・法相宗の定性無性の不成仏・摂論宗の法華経の一称南無の別時意趣・此等は皆訳者人師の誤りなり、此の外に亦四十余年の経経に於
て多くの誤り有るか設い法華涅槃
六月の花嫁を語ろう  Part5
663 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 16:51:42.92 ID:i5c+czay0
に於て誤有るも誤無きも四十余年の諸経を捨てて法華涅槃に随う可し其の証上に出し了んぬ況や誤り有る諸経に於て信心を致す者・生死を離るべきや。
大文の第二に正像末に就て仏法の興廃有ることを明すとは、之に就て二有り、一には爾前四十余年の内の諸経と浄土の三部経と末法に於て久住・不久住を明す、二には法華涅槃と浄土の三部経並に諸経との久住・不久住を明す。
第一に爾前四十余年の内の諸経と浄土の三部経と末法に於て久住・不久住を明すとは、問うて云く如来の教法は大小・浅深・勝劣を論ぜず但時機に依つて之を行ぜば定めて利益有るべきなり、
然るに賢劫・大術・大集等の諸経を見るに仏滅後二千余年已後は仏法皆滅して但・教のみ有つて行証有るべからず、随つて伝教大師の末法灯明記を開くに我延暦二十年辛巳一千七百五十歳一
説なり延暦二十年より已後亦四百五十余歳なり既に末法に入れり、設い教法有りと雖も行証無けん、然るに於ては仏法を行ずる者・万が一も得道有り難きか、然るに雙観経の「当来の世・経道滅尽せんに我慈悲
哀愍を以て特り此の経を留め止住せんこと百歳ならん其れ衆生の斯の経に値うこと有らん者は意の所願に随つて皆得道す可し」等の   
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664 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 16:52:14.32 ID:i5c+czay0
文を見るに釈迦如来一代の聖教皆滅尽の後・唯特り雙観経の念仏のみを留めて衆生を利益す可しと見え了んぬ。
此の意趣に依つて粗浄土家の諸師の釈を勘うるに其の意無きに非ず、道綽禅師は「当今末法は是れ五濁悪世なり唯浄土の一門のみ通入すべき路なり」と書し、善導和尚は「万年に三宝滅して此の
経のみ住すること百年なり」と宣べ、慈恩大師は「末法万年に余経悉く滅し弥陀の一教利物偏に増さん」と定め、日本国の叡山の先徳慧心僧都は一代聖教の要文を集めて末代の指南を教ゆる往生要集の
序に云く「夫れ往生極楽の教行は濁世末代の目足なり道俗貴賤誰か帰せざる者あらん但し顕密の教法は其の文一に非ず事理の業因其の行惟れ多し利智精進の人は未だ難しと為ず予が如き頑魯の者豈敢
てせんや」乃至・次下に云く「就中念仏の教は多く末代経道滅尽の後の濁悪の衆生を利する計りなり」と、総じて諸宗の学者も此の旨を存す可し殊に天台一宗の学者誰か此の義に背く可けんや如何、答えて云く
爾前四十余年の経経は各時機に随つて而も興廃有るが故に多分は浄土の三部経より已前に滅尽
有る可きか、諸経に於ては多く三乗現身の得道を説く故に末代に於ては現身得道の者之   
六月の花嫁を語ろう  Part5
665 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 17:25:54.82 ID:i5c+czay0
少きなり十方の往生浄土は多くは末代の機に蒙らしむ、之に就て西方極楽は娑婆隣近なるが故に最下の浄土なるが
故に日輪東に出で西に没するが故に諸経に多く之を勧む、随つて浄土の祖師のみ独り此の義を勧むるのみに非ず天台妙楽等も亦爾前の経に依るの日は且らく此の筋あり、亦独り人師のみに非ず竜樹・天親も
此の意有り、是れ一義なり、亦仁王経等の如きは浄土の三部経より尚久く末法万年の後・八千年住す可しとなり、故に爾前の諸経に於ては一定すべからず。
第二に法華涅槃と浄土の三部経との久住・不久住とを明さば、問うて云く法華・涅槃と浄土の三部経と何れが先に滅すべきや、答えて云く法華涅槃より已前に浄土の三部経は滅す可きなり、問うて云く何を以て
之を知るや、答えて云く無量義経に四十余年の大部の諸経を挙げ了つて「未顕真実」と云う故に雙観経等の「特り此の経を留む」の言は皆方便なり虚妄なり、華厳・方等・般若・観経等の速疾歴劫の往生成
仏は無量義経の実義を以て之を検うるに無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども終に無上菩提を成ずることを得ず、乃至・険き逕を行くに留難多きが故にと云う経なり、往生成仏倶に別時意趣なり、大集・雙     
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666 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 17:27:14.55 ID:i5c+czay0
観経等の住滅の先後は皆随宜の一説なり、法華経に来らざる已前は彼の外道の説に同じ、譬えば江河の大海に趣かず民臣の大王に随わざるが如し、身を苦しめ行を作すとも法華涅槃に至らずんば一分の利益無く
有因無果の外道なり、在世滅後倶に教有つて人無く行有つて証無きなり諸木は枯るると雖も松柏は萎まず衆草は散ると雖も鞠竹は変ぜず法華経も亦復是くの如し釈尊の三説・多宝の証明・諸仏の舌相偏に令法久住に在るが故なり。
問うて云く諸経滅尽の後特り法華経のみ留る可き証文如何、答えて云く法華経の法師品に釈尊自ら流通せしめて云く「我が所説の経典無量千万億已に説き今説き当に説かん而も其の中に於て此の法華経
最も為れ難信難解なり」と云云、文の意は一代五十年の已今当の三説に於て最第一の経なり、八万聖教の中に殊に未来に留めんと欲して説き給えるなり、故に次の品に多宝如来は地より涌出し分身の諸仏は十方より一処に来
集し釈迦如来は諸仏を御使として八方・四百万億那由佗の世界に充満せる菩薩・二乗・人天・八部等を責めて多宝如来並に十方の諸仏・涌出来集の意趣は偏に令法久住の為なり、各三説の諸経滅尽の後・慥に未
来五濁難信の世界に於て此の経を 
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667 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 19:02:13.48 ID:i5c+czay0
弘めんとの誓言を立てよと云える時に二万の菩薩・八十万億那由佗の菩薩・各誓状を立てて云く「我身命を愛せず但無上道を惜む」と、千世界の微塵の菩薩・文殊等皆誓つて云く「我等
仏の滅後に於て、乃至・当に広く此の経を説くべし」と云云、其の後・仏十喩を挙げ給う、其の第一の喩は川流江河を以て四十余年の諸経に譬え法華経を以て大海に譬う、末代濁悪の無慚無愧の大旱〓の時・四味の川流
江河は渇ると雖も法華経の大海は減少せず等と説き了つて、次下に正しく説いて云く「我滅度の後・後の五百歳の中に広宣流布し閻浮提に於て断絶せしむること無けん」と定め了んぬ。
倩文の次第を案ずるに我滅度後の次の後の字は四十余年の諸経滅尽の後の後の字なり、故に法華経の流通たる涅槃経に云く「応に無上の仏法を以て諸の菩薩に付すべし諸の菩薩は善能く問答するを以てなり是くの如き法宝
は則ち久住することを得・無量千世にも増益熾盛にして衆生を利安すべし」已上此の如き等の文は法華涅槃は無量百歳にも絶ゆ可からざる経なり、此の義を知らざる世間の学者・大集権門の五五百歳の
文を以て此の経に同じ浄土の三部経より已前に滅尽す可しと存ずる立義は一経の先後起尽    
六月の花嫁を語ろう  Part5
668 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 19:03:15.28 ID:i5c+czay0
を忘れたるなり。問うて云く上に挙ぐる所の曇鸞・道綽・善導・慧心等の諸師は皆法華・真言等の諸経に於て末代不相応の釈を作る之に依つて源空並に所化の弟子・法華・真言等を以て雑行と立て難行道と疎み、行者をば群賊・悪衆・悪見の
人等と罵り、或は祖父が履に類し聖光房の語或は絃歌等にも劣ると云う南無房の語其の意趣を尋ぬれば偏に時機不相応の義を存するが故なり、此等の人師の釈をば如何に之を会すべきや、答えて云く釈迦如来一代五十年の説教・一仏の金言
に於て権実二教を分ち権経を捨てて実経に入らしむる仏語顕然たり、此に於て若但讃仏乗・衆生没在苦の道理を恐れ且らく四十二年の権経を説くと雖も若以小乗化・乃至於一人我則堕慳貪の失を脱れんが為に入大乗為本の義を存し本意
を遂げ法華経を説き給う。
然るに涅槃経に至つて我滅度せば必ず四依を出して権実二教を弘通せしめんと約束し了んぬ、故に竜樹菩薩は如来の滅後八百年に出世して十住毘婆沙等の権論を造りて華厳・方等・般若等の意を宣べ大論を造りて般若法華の差別を分ち
、天親菩薩は如来の滅後・九百年に出世して倶舎論を造りて小乗の意を宣べ唯識論を造りて方等部の意を宣べ最後に仏性論を    
六月の花嫁を語ろう  Part5
669 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 19:24:50.89 ID:i5c+czay0
造りて法華涅槃の意を宣べ了教不了教を分ちて敢て仏の遺言に違わず、末の論師並に訳者の時に至つては一向
に権経に執するが故に実経を会して権経に入れ権実雑乱の失・出来せり、亦人師の時に至つては各依憑の経を以て本と為すが故に余経を以て権経と為す是より弥仏意に背く。
而るに浄土の三師に於ては鸞・綽の二師は十住毘婆沙論に依つて難易・聖浄の二道を立つ若し本論に違して法華真言等を以て難易の内に入れば信用に及ばじ、随つて浄土論註並に安楽集を見るに多分は本論の意に違わず、善導和尚は亦
浄土の三部経に依つて弥陀称名等の一行一願の往生を立つる時・梁・陳・隋・唐の四代の摂論師総じて一代聖教を以て別時意趣と定む、善導和尚の存念に違するが故に摂論師を破する時・彼の人を群賊等に譬う順次生の功徳を賊するが故
に其の所行を難行と称することは必ず万行を以て往生の素懐を遂ぐる故に此の人を責むる時に千中無一と嫌えり、是の故に善導和尚も雑行の言の中に敢えて法華真言等を入れず。
日本国の源信僧都は亦叡山第十八代の座主・慈慧大師の御弟子なり多くの書を造れることは皆法華を弘めんが為なり、而るに往生要集を造る意は爾前四十余年の諸経に於て往 
六月の花嫁を語ろう  Part5
670 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 19:26:21.86 ID:i5c+czay0
生・成仏の二義有り成仏の難行に対して往生易行の義を存し往生の業の中に於て菩提心観念の念仏を以て最上と為す、故に大文第十の問答料簡の中・第七の諸行勝劣門
に於ては念仏を以て最勝と為し次下に爾前最勝の念仏を以て法華経の一念信解の功徳に対して勝劣を判ずる時・一念信解の功徳は念仏三昧より勝るる百千万倍なりと定め給えり、当に知るべし往生要集
の意は爾前最上の念仏を以て法華最下の功徳に対して人をして法華経に入らしめんが為に造る所の書なり、故に往生要集の後に一乗要決を造つて自身の内証を述ぶる時・法華経を以て本意と為すなり。
而るに源空並に所化の衆此の義を知らざるが故に法華真言を以て三師並に源信所破の難聖雑並に往生要集の序の顕密の中に入れて三師並に源信を法華真言の謗法の人と為す、其の上日本国の一切の道
俗を化して法華真言に於て時機不相応の旨を習わしめ在家出家の諸人に於て法華真言の結縁を留む豈仏の記し給う所の「悪世中比丘邪智心諂曲」の人に非ずや、亦則ち一切世間の仏種を断ずの失を免る可けんや。
其の上・山門・寺門・東寺・天台並に日本国中に法華真言を習う諸人を群賊・悪衆・悪見の人等に譬うる源          
六月の花嫁を語ろう  Part5
671 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 22:05:12.93 ID:i5c+czay0
空が重罪何れの劫にか其の苦果を経尽す可きや、法華経の法師品に持経者を罵る罪を説いて
云く「若し悪人有つて不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん其の罪尚軽し若し人・一つの悪言を以て在家出家の法華経を読誦する者を毀〓せん其の罪甚だ重し」已上経文一人の
持者を罵る罪すら尚是くの如し況や書を造り日本国の諸人に罵らしむる罪をや、何に況や此の経を千中無一と定めて法華経を行ずる人に疑を生ぜしむる罪をや、何に況や此の経を捨てて観経等の権経に遷らしむ
る謗法の罪をや、願わくば一切の源空が所化の四衆頓に選択集の邪法を捨てて忽に法華経に遷り今度阿鼻の炎を脱れよ。
問うて云く正しく源空が法華経を誹謗する証文如何、答えて云く法華経の第二に云く「若し人信ぜずして斯の経を毀謗せば則一切世間の仏種を断ぜん」経文不信の相貌は人をして法華経を捨てしむればな
り、故に天親菩薩の仏性論の第一に此の文を釈して云く「若し大乗に憎背する者此は是れ一闡提の因なり衆生をして此の法を
捨てしむるを為の故に」論文謗法の相貌は此の法を捨てしむるが故なり、選択集は人をして法華経を捨てしむる書に非ずや閣抛の二字は仏性論の憎 
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672 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 22:05:55.83 ID:i5c+czay0
背の二字に非ずや、亦法華経誹謗の相貌は四十余年の諸経の如く小善成仏を以て別時意趣と定むる等なり。
故に天台の釈に云く「若し小善成仏を信ぜずんば則世間の仏種を断ずるなり」妙楽重ねて此の義を宣べて云く「此の経は遍く六道の仏種を開す若し此の経を謗ぜば義・断に当るなり」釈迦多宝十方の諸仏・天親・天台・妙
楽の意の如くんば源空は謗法の者なり所詮選択集の意は人をして法華真言を捨てしめんと定めて書き了んぬ謗法の義疑い無き者なり。
大文の第三に選択集謗法の縁起を出さば、問うて云く何れの証拠を以て源空を謗法の者と称するや、答えて云く選択集の現文を見るに一代聖教を以て二つに分つ一には聖道・難行・雑行・二には浄土・易行・正行なり、其の
中に聖・難・雑と云うは華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃・大日経等なり取意浄・易・正とは浄土の三部経の称名念仏等なり取意聖・難・雑の失を判ずるには末代の凡夫之を行ぜば百の時に希に一二を得・千の時に希
に三五を得ん或は千が中に一も無し或は群賊・悪衆・邪見・悪見・邪雑の人等と定むるなり、浄・易・正の得を判ずるには末代の凡夫之を行ぜば十は即十生し百は即百生せん等なり謗法の邪義是なり。 
六月の花嫁を語ろう  Part5
673 :名無しさん@入浴中[sage]:2014/09/21(日) 22:44:34.92 ID:i5c+czay0
問うて云く一代聖教を聖道・浄土・難行・易行・正行・雑行と分ち其の中に難・聖・雑を以て時機不相応と称すること源空一人の新義に非ず曇鸞・道綽・善導の三師の義なり、此亦此等の人師の私の案に非ず其の源は
竜樹菩薩の十住毘婆沙論より出でたり、若し源空を謗法の者と称せば竜樹菩薩並に三師を謗法の者と称するに非ずや、答えて云く竜樹菩薩並に三師の意は法華已前の四十余年の経経に於て難易等の義を存す、而るに
源空より已来竜樹並に三師の難行等の語を借りて法華真言等を以て難・雑等の内に入れぬ、所化の弟子・師の失を知らずして此の邪義を以て正義と存じ此の国に流布せしむるが故に国中の万民悉く法華・真言に於て時機
不相応の想を作す、其の上世間を貪る天台真言の学者世の情に随わんが為に法華真言に於て時機不相応の悪言を吐いて選択集の邪義を扶け、一旦の欲心に依つて釈迦多宝並に十方諸仏の御評定の「令法久住・於閻浮
提広宣流布」の誠言を壊り一切衆生をして三世十方の諸仏の舌を切る罪を得せしむ、偏に是れ悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為得たりと謂い、乃至・悪鬼其の身に入り仏の方便随宜所説の法を知らざる故なり。     
  
六月の花嫁を語ろう  Part5
674 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 22:45:08.17 ID:i5c+czay0
問うて云く竜樹菩薩並に三師は法華真言等を以て難・聖・雑の中に入れざりしを源空私に之を入るるとは何を以て之を知るや、答えて云く遠く余処に証拠を尋ぬ可きに非ず即選択集に之を見たり、問うて云く其の証文如何、答えて
云く選択集の第一篇に云く道綽禅師・聖道浄土の二門を立て而して聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文と約束し了つて、次下に安楽集を引いて私の料簡の段に云く「初に聖道門とは之に就て二有り・一には大乗・二には小乗
なり大乗の中に就て顕密権実等の不同有りと雖も今此の集の意は唯顕大及以び権大を存す故に歴劫迂回の行に当る之に準じて之を思うに応に密大及以び実大をも存すべし」已上選択集の文なり、此の文の意は道綽禅師の
安楽集の意は法華已前の大小乗経に於て聖道浄土の二門を分つと雖も我私に法華・真言等の実大・密大を以て四十余年の権大乗に同じて聖道門と称す「準之思之」の四字是なり、此の意に依るが故に亦曇鸞の難易の二道を
引く時亦私に法華真言を以て難行道の中に入れ善導和尚の正雑二行を分つ時も亦私に法華真言を以て雑行の内に入る総じて選択集の十六段に亘つて無量の謗法を作す根源は偏に此の四字より起る誤れるかな畏しきかな。 
六月の花嫁を語ろう  Part5
675 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 23:42:50.91 ID:i5c+czay0
爰に源空の門弟・師の邪義を救つて云く諸宗の常の習い設い経論の証文無しと雖も義類の同じきを聚めて一処に置く而も選択集の意は法華真言等を集めて雑行の内に入
れ正行に対して之を捨つ偏に経の法体を嫌うに非ず但風勢無き末代の衆生を常没の凡夫と定め此の機に易行の法を撰ぶ時・称名の念仏を以て其の機に当て易行の法を
以て諸教に勝ると立つ権実浅深の勝劣を詮ずるに非ず、雑行と云うも嫌つて雑と云うに非ず雑と云うは不純を雑と云う其の上諸の経論並に諸師も此の意無きに非ず故に叡山の先徳の往生要集の意偏に是の義なり。
所以に往生要集の序に云く「顕密の教法は其の文一に非ず事理の業因其の行惟れ多し利智精進の人は未だ難しと為ず予が如き頑魯の者豈敢てせんや是の故に念仏の一門に依る」と云
云、此の序の意は慧心先徳も法華真言等を破するに非ず但偏に我等頑魯の者の機に当つて法華真言は聞き難く行じ難きが故に我身鈍根なるが故なり敢て法体を嫌うに非ず、其の上序より已外正
宗に至るまで十門有り大文第八の門に述べて云く「今念仏を勧むること是れ余の種種の妙行を遮するに非ず只是れ男女・貴賤・行住坐臥を簡ばず時処諸縁を論ぜず之を修するに難からず乃至・
六月の花嫁を語ろう  Part5
676 :名無しさん@入浴中[]:2014/09/21(日) 23:43:39.81 ID:i5c+czay0
臨終には
往生を願求するに其の便宜を得ること念仏には如かず」已上此等の文を見るに源空の選択集と源信の往生要集と一巻三巻の不同有りと雖も一代聖教の中には易行を撰んで末代の愚人を救わんと欲す
る意趣は但同じ事なり、源空上人・法華真言を難行と立てて悪道に堕せば慧心先徳も亦此の失を免るべからず如何、答えて云く汝・師の謗法の失を救わんが為に事を源信の往生要集に寄せて謗法の上に弥重
罪を招く者なり其の故は釈迦如来五十年の説教に総じて先き四十二年の意を無量義経に定めて云く「険逕を行くに留難多き故に」と無量義経の已後を定めて云く「大直道を行くに留難無きが故に
」と仏自ら難易・勝劣の二道を分ちたまえり、仏より外等覚已下末代の凡師に至るまで自義を以て難易の二道を分ち此の義に背く者は外道魔王の説に同じきか、随つて四依の大士・竜樹菩薩の十住
毘婆沙論には法華已前に於て難易の二道を分ち敢て四十余年已後の経に於て難行の義を存せず、其の上若し修し易きを以て易行と定めば法華経の五十展転の行は称名念仏より行じ易きこと百千万億倍
なり、若し亦勝を以て易行と定めば分別功徳品に爾前四十余年の八十万億劫の間の檀・戒・忍・進・念


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