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名無しさん@入浴中
懐かしの六花嬢を語ろう

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懐かしの六花嬢を語ろう
792 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 06:40:09.33 ID:SM85IN620
若し之を軽笑すること有らん者は当に世世に牙歯疎欠・醜き脣・平める鼻・手脚繚戻し眼目角〓に身体臭穢にして悪瘡・膿血・水腹・短気諸の悪重病あるべし」文、問うて
云く何なる業を修する者が六道に生じて其の中の王と成るや、答えて云く大乗の菩薩戒を持して之を破る者は色界の梵王・欲界の魔王・帝釈・四輪王・禽獣王・閻魔王
等と成るなり、心地観経に云く「諸王の受くる所の諸の福楽は往昔曾つて三の浄戒を持し戒徳薫修して招き感ずる所人天の妙果・王の身を獲○中品に菩薩戒を受持すれ
ば福徳自在の転輪王として心の所作に随つて尽く皆成じ無量の人天悉く遵奉す、下の上品に持すれば大鬼王として一切の非人咸く率伏す戒品を受持して欠犯すと雖も戒の勝
るるに由るが故に王と為ることを得下の中品に持すれば禽獣の王として一切の飛走皆帰伏す清浄の戒に於て欠犯有るも戒の勝るるに由るが故に王と為ることを得、下の下品に
持すれば〓魔王として地獄の中に処して常に自在なり禁戒を毀り悪道に生ずと雖も戒の勝るるに由るが故に王と為る事を得○若し如来の戒を受けざる事有れ
ば終に野干の身をも得ること能わず何に況んや能く人天の中の最勝の快楽を
懐かしの六花嬢を語ろう
793 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 06:40:54.45 ID:SM85IN620
感じて王位に居せん」文、安然和尚の広釈に云く「菩薩の大戒は持して法王と成
り犯して世王と成る而も戒の失せざること譬えば金銀を器と成すに用ゆるに貴く器を破りて用いざるも而も宝は失せざるが如し」亦云く「無量寿観に云
く劫初より已来八万の王有つて其の父を殺害すと此則ち菩薩戒を受けて国王と作ると雖も今殺の戒を犯して皆地獄に堕れども犯戒の力も王と作るなり」大仏
頂経に云く「発心の菩薩罪を犯せども暫く天神地祇と作る」と、大随求に云く「天帝命尽きて忽ち驢の腹に入れども随求の力に由つて還つて天上に生ず」と、尊勝
に云く「善住天子・死後七返畜生の身に堕すべきを尊勝の力に由つて還つて天の報を得たり」と、昔国王有り千車をもて水を運び仏塔の焼くるを救う自ら〓心を起して阿修
羅王と作る、昔梁の武帝五百の袈裟を須弥山の五百の羅漢に施す、誌公云く「往五百に施すに一りの衆を欠けり罪を犯して暫く人王と作る即ち武帝是なり、昔国王有
つて民を治むること等からず今天王と作れども大鬼王と為る、即ち東南西の三天王是なり拘留孫の末に菩薩と成りて発誓し現に北方毘沙門と作る是なり」
云云、此等の文を以て之を思うに小乗戒を持し
懐かしの六花嬢を語ろう
794 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 06:42:08.58 ID:SM85IN620
て破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり。
第七に声聞道とは此の界の因果をば阿含・小乗・十二年の経に分明に之を明せり、諸大乗経に於ても大に対せんが為に亦之をば明せり、声聞に於て四種有
り一には優婆塞・俗男なり五戒を持し苦・空・無常・無我の観を修し自調自度の心強くして敢て化他の意無く見思を断尽して阿羅漢と成る此くの如くする時
・自然に髪を剃るに自ら落つ、二には優婆夷・俗女なり五戒を持し髪を剃るに自ら落つること男の如し・三には比丘僧なり二百五十戒具足戒なりを持して苦・空・無
常・無我の観を修し見思を断じて阿羅漢と成る此くの如くするの時・髪を剃らざれども生ぜず、四に比丘尼なり五百戒を持す余は比丘の如し、一
代諸経に列座せる舎利弗目連等の如き声聞是なり永く六道に生ぜず亦仏菩薩とも成らず灰身滅智し決定して仏に成らざるなり、小乗戒の手本たる尽
形寿の戒は一度依身を壊れば永く戒の功徳無し、上品を持すれば二乗と成り中下を持すれば人天に生じて民と為る之を破れば三悪道に堕して罪人と成るなり、安然和尚の
広釈に云く「三善は世戒なり因生して果を感じ業尽きて悪に堕
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795 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 09:27:06.86 ID:SM85IN620
す譬えば楊葉の秋至れば金に似れども秋去れば地に落つるが如し、二乗の小戒は持する時は果拙く破る時は永く
捨つ譬えば瓦器の完くして用うるに卑しく若し破れば永く失するが如し」文。
第八に縁覚道とは二有り一には部行独覚・仏前に在りて声聞の如く小乗の法を習い小乗の戒を持し見思を断じて永不成仏の者と成る、二には鱗喩独覚・無仏
の世に在りて飛花落葉を見て苦・空・無常・無我の観を作し見思を断じて永不成仏の身と成る戒も亦声聞の如し此の声聞縁覚を二乗とは云うなり。
第九に菩薩界とは六道の凡夫の中に於て自身を軽んじ他人を重んじ悪を以て己に向け善を以て他に与えんと念う者有り、仏此の人の為に諸の大乗経に於て菩薩戒を説きたま
えり、此の菩薩戒に於て三有り一には摂善法戒所謂八万四千の法門を習い尽さんと願す、二には饒益有情戒・一切衆生を度しての後に自ら成仏せんと欲する是なり、三には摂
律儀戒一切の諸戒を尽く持せんと欲する是なり、華厳経の心を演ぶる梵網経に云く「仏諸の仏子に告げて言く十重の波羅提木叉有り若し菩薩戒を受けて
此の戒を誦せざる者は菩薩に非ず仏の種子に非ず我も亦是くの如く誦す一切の菩薩は已に学し一切の
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796 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 09:28:18.90 ID:SM85IN620
菩薩は当に学し一切の菩薩は今学す」文、菩薩と言うは二
乗を除いて一切の有情なり、小乗の如きは戒に随つて異るなり、菩薩戒は爾らず一切の有心に必ず十重禁等を授く一戒を持するを一分の菩薩と云い具に十分を受くる
を具足の菩薩と名く、故に瓔珞経に云く「一分の戒を受くること有れば一分の菩薩と名け乃至二分・三分・四分・十分なるを具足の受戒と云う」文。問うて云く
二乗を除くの文如何、答えて云く梵網経に菩薩戒を受くる者を列ねて云く「若し仏戒を受くる者は国王・王子・百官・宰相・比丘・比丘尼・十八梵天・六欲天子・庶民
・黄門・婬男・婬女・奴婢・八部・鬼神・金剛神・畜生・乃至変化人にもあれ但法師の語を解するは尽く戒を受得すれば皆第一清浄の者と名く」文、此の中に於て二乗
無きなり、方等部の結経たる瓔珞経にも亦二乗無し、問うて云く二乗所持の不殺生戒と菩薩所持の不殺生戒と差別如何、答えて云く所持の戒の名は同じと
雖も持する様並に心念永く異るなり、故に戒の功徳も亦浅深あり、問うて云く異なる様如何、答えて云く二乗の不殺生戒は永く六道に還らんと思わず故に化導の
心無し亦仏菩薩と成らんと思わず但灰身滅智の思を
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797 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 09:29:06.61 ID:SM85IN620
成すなり、譬えば木を焼き灰と為しての後に一塵も無きが如し故に此の戒をば瓦器に譬う破れて後用うること無き
が故なり、菩薩は爾らず饒益有情戒を発して此の戒を持するが故に機を見て五逆十悪を造り同く犯せども此の戒は破れず還つて弥弥戒体を全くす、故に瓔珞経に云
く「犯すこと有れども失せず未来際を尽くす」文、故に此の戒をば金銀の器に譬う完くして持する時も破する時も永く失せざるが故なり、問うて云く此の戒を持する人は
幾劫を経てか成仏するや、答えて云く瓔珞経に云く「未だ住前に上らざる○若は一劫二劫三劫乃至十劫を経て初住の位の中に入ることを得」文、文の意は凡夫に於て
此の戒を持するを信位の菩薩と云う、然りと雖も一劫二劫乃至十劫の間は六道に沈輪し十劫を経て不退の位に入り永く六道の苦を受けざるを不退の菩薩と云う未だ仏に成らず還つて六道に入れども苦無きなり。
第十に仏界とは菩薩の位に於て四弘誓願を発すを以て戒と為す三僧祇の間六度万行を修し見思・塵沙・無明の三惑を断尽して仏と成る、故に心地観経に云く「三僧
企耶大劫の中に具に百千の諸の苦行を修し功徳円満にして法界に遍く十地究竟して三身を証す」文、因位に於て諸の戒
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798 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 10:40:49.62 ID:SM85IN620
を持ち仏果の位に至つて仏身を荘厳す三十二相・八十種好は即ち是の戒の功徳の感ずる所なり、但し仏果の位に至れば戒体
失す譬えば華の果と成つて華の形無きが如し、故に天台の梵網経の疏に云く「仏果に至つて乃ち廃す」文、問うて云く梵網経等の大乗戒は現身に七逆を造れ
ると並に決定性の二乗とを許すや、答えて云く梵網経に云く「若し戒を受けんと欲する時は師問い言うべし汝現身に七逆の罪を作らざるやと、菩薩の法師は七逆の人の
与に現身に戒を受けしむることを得ず」文、此の文の如くんば七逆の人は現身に受戒を許さず、大般若経に云く「若し菩薩設い恒河沙劫に妙の五欲を受くるとも菩薩戒に
於ては猶犯と名けず若し一念二乗の心を起さば即ち名けて犯と為す」文、大荘厳論に云く「恒に地獄に処すと雖も大菩提を障ず若し自利の心を起さば是れ大菩提の障な
り」文、此等の文の如くんば六凡に於ては菩薩戒を授け二乗に於ては制止を加うる者なり、二乗戒を嫌うは二乗所持の五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒等を嫌うに非ず
彼の戒は菩薩も持す可し但二乗の心念を嫌うなり、夫れ以みれば持戒は父母・師僧・国王・主君の一切衆生三宝の恩を報ぜんが為なり、父母は養
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799 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 10:42:01.17 ID:SM85IN620
育の恩深し一切衆生は互に相助くる恩重し国王は正法を以て世を治むれば自他安穏なり、此に依つて善を修すれば恩重し主君も亦彼の恩を蒙りて父母・妻子・眷属・所従・牛馬等を養う、設い爾らずと
雖も一身を顧る等の恩是重し師は亦邪道を閉じ正道に趣かしむる等の恩是深し仏恩は言うに及ばず是くの如く無量の恩分之有り、而るに二乗は此等の報恩皆欠けたり
故に一念も二乗の心を起すは十悪五逆に過ぎたり一念も菩薩の心を起すは一切諸仏の後心の功徳を起せるなり、已上四十余年の間の大小乗の戒なり、法華経の戒と言
うは二有り、一には相待妙の戒・二には絶待妙の戒なり、先ず相待妙の戒とは四十余年の大小乗の戒と法華経の戒と相対して爾前を〓戒と云い法華経
を妙戒と云うて諸経の戒をば未顕真実の戒・歴劫修行の戒・決定性の二乗戒と嫌うなり、法華経の戒は真実の戒・速疾頓成の戒・二乗の成仏を嫌わざる戒等を相対して〓妙を論ずるを相対妙の戒と云うなり。
問うて云く梵網経に云く「衆生・仏戒を受くれば即ち諸仏の位に入る位大覚に同じ已に実に是諸仏の子なり」文。華厳経に云く「初発心の時便ち正覚を成ず」文、大品経に云く「初発心の時即
ち道場に坐す」文、此
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800 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 10:42:46.48 ID:SM85IN620
等の文の如くんば四十余年の大乗戒に於て法華経の如く速疾頓成の戒有り何ぞ但歴劫修行の戒なりと云うや、答えて云く此れに於て二義有り一義に云く四十余年の間に於
て歴劫修行の戒と速疾頓成の戒と有り法華経に於ては但一つの速疾頓成の戒のみ有り、其の中に於て四十余年の間の歴劫修行の戒に於ては法華経の戒に劣ると雖も四十余年の間の速疾頓成の
戒に於ては法華経の戒に同じ、故に上に出す所の衆生仏戒を受れば即ち諸仏の位に入る等の文は法華経の須臾聞之・即得究竟の文に之同じ、但し無量義経に四十余年の経を挙げて
歴劫修行等と云えるは四十余年の内の歴劫修行の戒計りを嫌うなり速疾頓成の戒をば嫌わざるなり、一義に云く四十余年の間の戒は一向に歴劫修行の戒・法華経の戒は速疾頓成の
戒なり、但し上に出す所の四十余年の諸経の速疾頓成の戒に於ては凡夫地より速疾頓成するに非ず凡夫地より無量の行を成じて無量劫を経最後に於て凡夫地より即身成仏す、故に最
後に従えて速疾頓成とは説くなり、委悉に之を論ぜば歴劫修行の所摂なり、故に無量義経には総て四十余年の経を挙げて仏・無量義経の速疾頓成に対して宣説菩薩歴劫修行と嫌いた
まえり、大荘厳菩薩の
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801 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 11:54:10.34 ID:SM85IN620
此の義を承けて領解して云く「無量無辺・不可思議阿僧祇劫を過れども終に無上菩提を成ずることを得ず、何を以ての故に菩提の大直道を知らざるが故に険逕を行くに
留難多きが故に、乃至大直道を行くに留難無きが故に」文、若し四十余年の間に無量義経・法華経の如く速疾頓成の戒之れ有れば仏猥りに四十余年の実義を隠し給うの失之れ有
り云云、二義の中に後の義を作る者は存知の義なり、相待妙の戒是なり、次に絶待妙の戒とは法華経に於ては別の戒無し、爾前の戒即ち法華経の戒なり其の故は爾前の人天の楊葉戒・小乗阿
含経の二乗の瓦器戒・華厳・方等・般若・観経等の歴劫菩薩の金銀戒の行者法華経に至つて互に和会して一同と成る、所以に人天の楊葉戒の人は二乗の瓦器・菩薩の金銀戒を具し菩薩の
金銀戒に人天の楊葉・二乗の瓦器を具す余は以て知んぬ可し、三悪道の人は現身に於て戒無し過去に於て人天に生れし時人天の楊葉・二乗の瓦器菩薩の金銀戒を持ち退して三悪
道に堕す、然りと雖も其の功徳未だ失せず之有り三悪道の人・法華経に入る時其の戒之を起す故に三悪道にも亦十界を具す、故に爾前の十界の人法華経に来至すれば皆持戒なり、故に法華経に
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802 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 11:54:45.18 ID:SM85IN620
云く「是を持戒と名く」文、安然和尚の広釈に云く「法華に云く能く法華を説く是を持戒と名く」文、爾前経の如く師に随つて、戒を持せず但此の経を信ずるが即ち持戒なり、爾前の経には十
界互具を明さず故に菩薩無量劫を経て修行すれども二乗・人天等の余戒の功徳無く但一界の功徳を成ず故に一界の功徳を以て成仏を遂げず、故に一界の功徳も亦成ぜず、爾前の人・
法華経に至りぬれば余界の功徳を一界に具す、故に爾前の経即ち法華経なり法華経即ち爾前の経なり、法華経は爾前の経を離れず爾前の経は法華経を離れず是を妙法と言う、此の覚り
起りて後は行者・阿含・小乗経を読むとも即ち一切の大乗経を読誦し法華経を読む人なり、故に法華経に云く「声聞の法を決了すれば是諸経の王なり」文、阿含経即ち法華経と云う文なり、
「一仏乗に於て分別して三と説く」文、華厳・方等・般若即ち法華経と云う文なり、「若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも皆正法に順ず」文、一切の外道・老子・孔子等の経は即
ち法華経と云ふ文なり、梵網経等の権大乗の戒と法華経の戒とに多くの差別有り、一には彼の戒は二乗七逆の者を許さず二には戒の功徳に仏果を具せず三には
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803 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 11:55:50.37 ID:SM85IN620
彼は歴劫修行の戒なり是くの如き等の多くの失有り、法華経に於ては二乗七逆の者を許す上・博地の凡夫・一生の中に仏位に入り妙覚に至つて因果の功徳を具する
なり。正元二年庚申四月二十一日 日 蓮 花押華厳経に云く「初発心の時便ち正覚を成ず」文、大品経に云く「初発心の時即ち道場に坐す」文、此等の文の如くんば四十余
年の大乗戒に於て法華経の如く速疾頓成の戒有り何ぞ但歴劫修行の戒なりと云うや、答えて云く此れに於て二義有り一義に云く四十余年の間に於て歴劫修行の
戒と速疾頓成の戒と有り法華経に於ては但一つの速疾頓成の戒のみ有り、其の中に於て四十余年の間の歴劫修行の戒に於ては法華経の戒に劣ると雖も四十余年の間
の速疾頓成の戒に於ては法華経の戒に同じ、故に上に出す所の衆生仏戒を受れば即ち諸仏の位に入る等の文は法華経の須臾聞之・即得究竟の文に之同じ、但し無
量義経に四十余年の経を挙げて歴劫修行等と云えるは四十余年の内の歴劫修行の戒計りを嫌うなり速疾頓成の戒をば嫌わざるなり、一義に云く四十余年の間の戒は
一向に歴劫修行の戒・法華経の戒は速疾頓成の戒なり、但し上に出す所の四十余年の諸経の速疾頓成の戒に於て
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804 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 12:59:25.79 ID:SM85IN620
は凡夫地より速疾頓成するに非ず凡夫地より無量の
行を成じて無量劫を経最後に於て凡夫地より即身成仏す、故に最後に従えて速疾頓成とは説くなり、委悉に之を論ぜば歴劫修行の所摂なり、故に無量義経には総て四十余
年の経を挙げて仏・無量義経の速疾頓成に対して宣説菩薩歴劫修行と嫌いたまえり、大荘厳菩薩の此の義を承けて領解して云く「無量無辺・不可思議阿僧祇劫を過れども
終に無上菩提を成ずることを得ず、何を以ての故に菩提の大直道を知らざるが故に険逕を行くに留難多きが故に、乃至大直道を行くに留難無きが故に」文、若し四十余年の間
に無量義経・法華経の如く速疾頓成の戒之れ有れば仏猥りに四十余年の実義を隠し給うの失之れ有り云云、二義の中に後の義を作る者は存知の義なり、相待妙の戒是なり、
次に絶待妙の戒とは法華経に於ては別の戒無し、爾前の戒即ち法華経の戒なり其の故は爾前の人天の楊葉戒・小乗阿含経の二乗の瓦器戒・華厳・方等・般若・観経等の歴
劫菩薩の金銀戒の行者法華経に至つて互に和会して一同と成る、所以に人天の楊葉戒の人は二乗の瓦器・菩薩の金銀戒を具し菩薩の金銀戒に人天の楊葉・二乗の
瓦器を具す余は以て知ん
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805 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 13:00:31.85 ID:SM85IN620
ぬ可し、三悪道の人は現身に於て戒無し過去に於て人天に生れし時人天の楊葉・二乗の瓦器菩薩の金銀戒を持ち退して三悪道に堕す、然りと雖も其の
功徳未だ失せず之有り三悪道の人・法華経に入る時其の戒之を起す故に三悪道にも亦十界を具す、故に爾前の十界の人法華経に来至すれば皆持戒なり、故に法華経に云く「是を持
戒と名く」文、安然和尚の広釈に云く「法華に云く能く法華を説く是を持戒と名く」文、爾前経の如く師に随つて、戒を持せず但此の経を信ずるが即ち持戒なり、爾前の経には十界互具を明さず
故に菩薩無量劫を経て修行すれども二乗・人天等の余戒の功徳無く但一界の功徳を成ず故に一界の功徳を以て成仏を遂げず、故に一界の功徳も亦成ぜず、爾前の人・法華経に至りぬれば余
界の功徳を一界に具す、故に爾前の経即ち法華経なり法華経即ち爾前の経なり、法華経は爾前の経を離れず爾前の経は法華経を離れず是を妙法と言う、此の覚り起りて後は行者・阿含・小乗
経を読むとも即ち一切の大乗経を読誦し法華経を読む人なり、故に法華経に云く「声聞の法を決了すれば是諸経の王なり」文、阿含経即ち法華経と云う文なり、「一仏乗に於て分別して三と説
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806 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 13:01:28.06 ID:SM85IN620
く」文、華厳・方等・般若即ち法華経と云う文なり、「若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも皆正法に順ず」文、一切の外道・老子・孔子等の経は即ち法華経と云ふ文なり、梵網
経等の権大乗の戒と法華経の戒とに多くの差別有り、一には彼の戒は二乗七逆の者を許さず二には戒の功徳に仏果を具せず三には彼は歴劫修行の戒なり是くの如き等の多く
の失有り、法華経に於ては二乗七逆の者を許す上・博地の凡夫・一生の中に仏位に入り妙覚に至つて因果の功徳を具するなり。正元二年庚申四月二十一日 日 蓮 花押/弘長二年二月十日 四十一歳御作
本朝沙門日蓮之を註す一に教とは釈迦如来所説の一切の経・律・論・五千四十八巻・四百八十帙・天竺に流布すること一千年・仏の滅後一千一十五年に当つて震旦国に仏経渡る、後漢の孝明皇帝・永平十年丁卯より唐の玄宗皇帝・開
元十八年庚午に至る六百六十四歳の間に一切経渡り畢んぬ、此の一切の経・律・論の中に小乗・大乗・権経・実経・顕経・密経あり此等を弁うべし、此の名目は論師人師よりも出でず仏説より起る十方世界の
一切衆生一人も無く之を用うべし之を用いざる者は外道と知るべきなり、阿含経を小乗と説く事は
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807 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 15:44:56.70 ID:SM85IN620
方等・般若・法華・涅槃等の諸大乗経より出でたり、法華経には一向に小乗を説きて法華経を説かざれば仏慳貪に堕すべしと説きたもう、涅槃経には一向に小乗経を用いて仏を無常なりと云わん人は舌口中に爛るべしと云云。
二に機とは仏教を弘むる人は必ず機根を知るべし舎利弗尊者は金師に不浄観を教え浣衣の者には数息観を教うる間九十日を経て所化の弟子仏法を一分も覚らずして還つて邪見を
起し一闡提と成り畢んぬ、仏は金師に数息観を教え浣衣の者に不浄観を教えたもう故に須臾の間に覚ることを得たり、智慧第一の舎利弗すら尚機を知らず何に況や末代の凡師機を知り難し但し機を知ら
ざる凡師は所化の弟子に一向に法華経を教うべし、問うて云く無智の人の中にして此の経を説くこと莫れとの文は如何、答えて云く機を知るは智人の説法する事なり又謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒
鼓の縁と成さんが為なり、例せば不軽菩薩の如し亦智者と成る可き機と知らば必ず先ず小乗を教え次に権大乗を教え後に実大乗を教う可し、愚者と知らば必ず先ず実大乗を教う可し信謗共に下種と為ればなり。
三に時とは仏教を弘めん人は必ず時を知るべし、譬えば農人の秋冬田を作るに
懐かしの六花嬢を語ろう
808 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 15:45:45.02 ID:SM85IN620
種と地と人の功労とは違わざれども一分も益無く還つて損す一段を作る者は少損なり、一町二町等の者は大損なり、春夏耕作すれば上中下に随つて皆分分に益有るが如し、仏法も亦復是くの如し、時を知らず
して法を弘めば益無き上還つて悪道に堕するなり、仏出世したもうて必ず法華経を説かんと欲するに縦い機有れども時無きが故に四十余年には此の経を説きたまわず故に経に云く「説時未だ至らざるが故なり」等と云
云、仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の
者は多し、正法には破戒・無戒を捨てて持戒の者を供養すべし像法には無戒を捨てて破戒の者を供養すべし、末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし但し法華経を謗ぜん者をば正像末の三時に亘りて持戒
の者をも無戒の者をも破戒の者をも共に供養すべからず、供養せば必ず国に三災七難起り供養せし者も必ず無間大城に堕すべきなり、法華経の行者の権経を謗ずるは主君・親・師の所従・子息・弟子等を罰するが
如し、権経の行者の法華経を謗ずるは所従・子息・弟
懐かしの六花嬢を語ろう
809 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 15:46:51.55 ID:SM85IN620
子等の主君・親・師を罰するが如し、又当世は末法に入つて二百一十余年なり、権経・念仏等の時か法華経の時か能く能く時刻を勘うべきなり。
四に国とは仏教は必ず国に依つて之を弘むべし国には寒国・熱国・貧国・富国・中国・辺国・大国・小国・一向偸盗国・一向殺生国・一向不孝国等之有り、又一向小乗の国・一向大乗の国・大小兼学の
国も之有り、而るに日本国は一向に小乗の国か一向に大乗の国か大小兼学の国なるか能く之を勘うべし。
五に教法流布の先後とは未だ仏法渡らざる国には未だ仏法を聴かざる者あり既に仏法渡れる国には仏法を信ずる者あり必ず先に弘まれる法を知つて後の法を弘むべし先に小乗・権大乗弘らば後に必ず実大乗を弘む
べし先に実大乗弘らば後に小乗・権大乗を弘むべからず、瓦礫を捨てて金珠を取るべし金珠を捨てて瓦礫を取ること勿れ。已上の此の五義を知つて仏法を弘めば日本国の国師と成る可きか所以に法華経は一切
経の中の第一の経王なりと知るは是れ教を知る者なり、但し光宅の法雲・道場の慧観等は涅槃経は法華経に勝れたりと、清涼山の澄観・高野の弘法等は華厳経・大日経等は法華経に勝れたりと、嘉祥寺の吉
蔵・慈恩寺の基法師等は般
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810 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 17:06:25.62 ID:SM85IN620
若・深密等の二経は法華経に勝れたりと云う、天台山の智者大師只一人のみ一切経の中に法華経を勝れたりと立つるのみに非ず法華経に勝れたる経之れ有りと云わん者を諌暁せよ
止まずんば現世に舌口中に爛れ後生は阿鼻地獄に堕すべし等と云云、此等の相違を能く能く之を弁えたる者は教を知れる者なり、当世の千万の学者等一一に之に迷えるか、若し爾らば
教を知れる者之れ少きか教を知れる者之れ無ければ法華経を読む者之れ無し法華経を読む者之れ無ければ国師となる者無きなり、国師となる者無ければ国中の諸人・一切経の大・小・
権・実・顕・密の差別に迷うて一人に於ても生死を離るる者之れ無く、結句は謗法の者と成り法に依つて阿鼻地獄に堕する者は大地の微塵よりも多く法に依つて生死を離るる者は爪上の土よ
りも少し、恐る可し恐る可し、日本国の一切衆生は桓武皇帝より已来四百余年一向に法華経の機なり、例せば霊山八箇年の純円の機為るが如し天台大師・聖徳太子・鑒真和尚・根本
大師・安然和尚・慧心等の記に之有り是れ機を知れるなり、而るに当世の学者の云く日本国は一向に称名念仏の機なり等と云云、例せば舎利弗の機に迷うて所化の衆を一闡提と成せしが如し。
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811 :名無しさん@入浴中[sage]:2014/08/10(日) 17:07:52.23 ID:SM85IN620
日本国の当世は如来の滅後二千二百一十余年後五百歳に当つて妙法蓮華経広宣流布の時刻なり是れ時を知れるなり、而るに日本国の当世の学者或は法華経を抛ちて一向に称名
念仏を行じ或は小乗の戒律を教えて叡山の大僧を蔑り或は教外を立てて法華の正法を軽しむ此等は時に迷える者か、例せば勝意比丘が喜根菩薩を謗じ徳光論師が弥勒菩薩を蔑りて阿鼻の大
苦を招きしが如し、日本国は一向に法華経の国なり例せば舎衛国の一向に大乗なりしが如し、又天竺には一向に小乗の国・一向に大乗の国・大小兼学の国も之有り、日本国は一向大乗の国なり大乗
の中にも法華経の国為る可きなり瑜伽論・肇公の記・聖徳太子・伝教大師・安然等の記之有り是れ国を知れる者なり、而るに当世の学者日本国の衆生に向つて一向に小乗の戒律を授け一向に念仏者等
と成すは「譬えば宝器に穢食を入れたるが如し」等云云宝器の譬・伝教大師の守護章に在り、日本国には欽明天皇の御宇に仏法百済国より渡り始めしより桓武天皇に至るまで二百四十
余年の間此の国に小乗・権大乗のみ弘まり法華経有りと雖も其の義未だ顕れず、例せば震旦国に法華経渡つて三百余年の間・法華経有りと雖も其の義未だ顕れざりしが
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812 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 17:08:33.64 ID:SM85IN620
如し、桓武天皇の御宇に伝教大師有して小乗・権大乗の義を破して法華経の実義を顕せしより已来又異義無く純一に法華経を信ず、設い華厳・般若・深密・阿含・大小の六宗を学する者も法華経を以て所詮と為す、況
や天台・真言の学者をや何に況や在家の無智の者をや、例せば崑崙山に石無く蓬莱山に毒無きが如し、建仁より已来今に五十余年の間・大日・仏陀・禅宗を弘め、法然・隆寛・浄土宗を興し実大乗を
破して権宗に付き一切経を捨てて教外を立つ、譬えば珠を捨てて石を取り地を離れて空に登るが如し此は教法流布の先後を知らざる者なり。
仏誡めて云く「悪象に値うとも悪知識に値わざれ」等と云云、法華経の勧持品に後の五百歳・二千余年に当つて法華経の敵人・三類有る可しと記し置きたまえり当世は後五百歳に当れり、日蓮・仏語の実否
を勘うるに三類の敵人之有り之を隠さば法華経の行者に非ず之を顕さば身命定めて喪わんか、法華経第四に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」等と云云、同じく第
五に云く「一切世間怨多くして信じ難し」と、又云く「我身命を愛せず但無上道を惜む」と、同第六に云く「自ら身命を惜まず」と云云、涅槃経
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813 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 18:26:11.11 ID:SM85IN620
第九に云く「譬えば王使の善能談論し方便に巧みなる命を他国
に奉け寧ろ身命を喪うとも終に王の所説の言教を匿さざるが如し、智者も亦爾なり凡夫の中に於て身命を惜まずして要必大乗方等を宣説すべし」と云云、章安大師釈して云く「寧喪身命不匿教とは身は軽
く法は重し身を死して法を弘めよ」等と云云、此等の本文を見れば三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず之を顕すは法華経の行者なり、而れども必ず身命を喪わんか、例せば師子尊者・提婆菩薩等の如くならん云云。
二月十日 日蓮花押/弘長二年 四十一歳御作本朝沙門 日 蓮 撰第一に八大地獄の因果を明し、第二に無間地獄の因果の軽重を明し、第三に問答料簡を明し、第四に行者弘経の用心を明す。
第一に八大地獄の因果を明さば、第一に等活地獄とは此の閻浮提の地の下・一千由旬にあり此の地獄は縦広斉等にして一万由旬なり、此の中の罪人は・たがいに害心をいだく若たまたま相見れば犬と〓との
あえるがごとし、各鉄の爪をもて互につかみさく血肉既に尽きぬれば唯骨のみあり、或は獄卒手に鉄杖を取つて頭より足にいたるまで皆打くだく身体くだけて沙のごとし、或は利刀をもつて分分に肉をさく然れども又よ
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814 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 18:27:35.90 ID:SM85IN620
みがへり・よみがへりするなり・此の地獄の寿命は人間の昼夜五十年をもつて第一・四王天の一日一夜として四王天の天人の寿命五百歳なり、四王天の五百歳を此れ等活地獄の一日一夜として其の寿命五百
歳なり、此の地獄の業因をいはば・ものの命をたつもの此の地獄に堕つ螻蟻蚊〓等の小虫を殺せる者も懺悔なければ必ず此の地獄に堕つべし、譬へばはりなれども水の上にをけば沈まざることなきが如し、又懺悔すれ
ども懺悔の後に重ねて此の罪を作れば後の懺悔には此の罪きえがたし、譬へばぬすみをして獄に入りぬるものの・しばらく経て後に御免を蒙りて獄を出ずれども又重ねて盗をして獄に入りぬれば出ゆるされがたきが
如し、されば当世の日本国の人は上一人より下万民に至まで此の地獄をまぬがるる人は一人もありがたかるべし、何に持戒のをぼへを・とれる持律の僧たりとも蟻虱なんどを殺さず蚊〓をあやまたざるべきか、況
や其外山野の鳥鹿・江海の魚鱗を日日に殺すものをや、何に況や牛馬人等を殺す者をや。第二に黒繩地獄とは等活地獄の下にあり縦広は等活地獄の如し、獄卒・罪人をとらえて熱鉄の地にふせて熱鉄の
繩をもつて身にすみうつて熱鉄の斧を
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815 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 18:28:14.59 ID:SM85IN620
もつて繩に随つてきり・さきけづる又鋸を以てひく・又左右に大なる鉄の山あり山の上に鉄の幢を立て鉄の繩をはり罪人に鉄の山をををせて繩の上よりわたす繩より落ちてくだけ或
は鉄のかなえに堕し入れてにらる此の苦は上の等活地獄の苦よりも十倍なり、人間の一百歳は第二の〓利天の一日一夜なり其の寿一千歳なり此の天の寿一千歳を一日一夜として此の第二の地獄の寿命一
千歳なり、殺生の上に偸盗とて・ぬすみを・かさねたるもの此の地獄にをつ、当世の偸盗のもの・ものをぬすむ上・物の主を殺すもの此の地獄に堕つべし。
第三に衆合地獄とは黒繩地獄の下にあり縦広は上の如し多くの鉄の山二つづつに相向へり、牛頭・馬頭等の獄卒・手に棒を取つて罪人を駈りて山の間に入らしむ、此の時・両の山迫り来て合せ押す身体くだけ
て血流れて地にみつ、又種種の苦あり、人間の二百歳を第三の夜摩天の一日一夜として此の天の寿二千歳なり此の天の寿を一日一夜として此の地獄の寿命二千歳なり、殺生・偸盗の罪の上に邪婬とて他
人のつまを犯す者此の地獄の中に堕つべし、而るに当世の僧・尼・士・女・多分は此の罪を犯す殊に僧にこの罪多し、士女は各各互にまほり又
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816 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 19:35:55.10 ID:SM85IN620
人目をつつまざる故に此の罪ををかさず僧は一人ある故に婬欲とぼ
しきところに若し有身ば父ただされ・あらはれぬべきゆへに独ある女人を・をかさず、もしや・かくるると他人の妻をうかがひ・ふかく・かくれんと・をもうなり、当世のほかたうとげなる僧の中にことに此の罪又多くあるらんと・を
ぼゆ、されば多分は当世たうとげなる僧・此の地獄に堕つべし。第四に叫喚地獄とは衆合の下にあり縦広前に同じ獄卒悪声出して弓箭をもつて罪人をいる、又鉄の棒を以て頭を打つて熱鉄の地をはしらしむ、或は熱
鉄のいりだなにうちかへし・うちかへし此の罪人をあぶる、或は口を開て・わける銅のゆを入るれば五臓やけて下より直に出ず、寿命をいはば人間の四百歳を第四の都率天の一日一夜とす、又都率天の四千歳なり都率
天の四千歳の寿を一日一夜として此の地獄の寿命四千歳なり、此の地獄の業因をいはば殺生・偸盗・邪婬の上に飲酒とて酒のむもの此の地獄に堕つべし、当世の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆の大酒な
る者・此の地獄の苦免れがたきか、大論には酒に三十六の失をいだし梵網経には酒盃をすすめる者・五百生に手なき身と生るととかせ給う人師の釈にはみみずていの者
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817 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 19:36:39.67 ID:SM85IN620
と・なるとみへたり、況や酒をうりて人にあたえたる
者をや・何に況や酒に水を入れてうるものをや・当世の在家の人人この地獄の苦まぬがれがたし。第五に大叫喚地獄とは叫喚の下にあり縦広前に同し、其の苦の相は上の四の地獄の諸の苦に十倍して重くこれをうく、寿命の長
短を云わば人間の八百歳は第五の化楽天の一日一夜なり此の天の寿八千歳なり此の天の八千歳を一日一夜として此の地獄の寿命八千歳なり、殺生・偸盗・邪婬・飲酒の重罪の上に妄語とてそらごとせる者・此の地獄
に堕つべし、当世の諸人は設い賢人・上人なんどいはるる人人も妄語せざる時はありとも妄語を・せざる日はあるべからず、設い日は・ありとも月は・あるべからず設い月は・ありとも年は・あるべからず設い年は・ありとも一期生・
妄語せざる者はあるべからず、若ししからば当世の諸人・一人もこの地獄を・まぬがれがたきか。第六に焦熱地獄とは大叫喚地獄の下にあり縦広前にをなじ、此の地獄に種種の苦あり若し此の地獄の豆計りの火
を閻浮提にをけらんに一時にやけ尽きなん況や罪人の身の〓なること・わたのごとくなるをや、此の地獄の人は前の五つの地獄の火を見る事雪の如し、譬へば人間の
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818 :名無しさん@入浴中[sage]:2014/08/10(日) 19:37:46.87 ID:SM85IN620
火の薪の火よりも鉄銅の火の熱きが如し、寿命
の長短は人間の千六百歳を第六の他化天の一日一夜として此の天の寿千六百歳なり此の天の千六百歳を一日一夜として此の地獄の寿命一千六百歳なり、業因を云わば殺生・偸盗・邪婬・飲酒・妄語の上・邪見とて因果なしという者・此の
中に堕つべし、邪見とは有人の云く人飢えて死ぬれば天に生るべし等と云云、総じて因果をしらぬ者を邪見と申すなり世間の法には慈悲なき者を邪見の者という、当世の人人此の地獄を免れがたきか。
第七に大焦熱地獄とは焦熱の下にあり縦広前の如し、前の六つの地獄の一切の諸苦に十倍して重く受るなり、其の寿命は半中劫なり、業因を云わば殺生・偸盗・邪婬・飲酒・妄語・邪見の上に浄戒の比丘尼を・をかせるもの此の中に堕つべし、又比丘酒をも
つて不邪婬戒を持てる婦女をたぼらかし或は財物をあたへて犯せるもの此の中に堕つべし、当世の僧の中に多く此の重罪あるなり、大悲経の文に末代には士女は多くは天に生じ僧尼は多くは地獄に堕つべしと・とかれたるは・これていの事か、心あらん人人ははづべし・はづべし。
総じて上の七大地獄の業因は諸経論をもつて勘え当世日本国の四衆にあて見るに此の七
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819 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 20:29:18.12 ID:SM85IN620
大地獄をはなるべき人を見ず又きかず、涅槃経に云く末代に入りて人間に生ぜん者は爪上の土の如し三悪道に堕つるものは十方世界の微塵の如しと説
かれたり、若爾らば我等が父母・兄弟等の死ぬる人は皆上の七大地獄にこそ堕ち給いては候らめ・あさましともいうばかりなし、竜と蛇と鬼神と仏・菩薩・聖
人をば未だ見ずただ・をとにのみ・これをきく当世に上の七大地獄の業を造らざるものをば未だ見ず又をとにも・きかず、而るに我が身よりはじめて一切衆生・七大
地獄に堕つべしとをもえる者・一人もなし、設い言には堕つべきよしを・さえづれども心には堕つべしとも・をもわず、又僧・尼・士・女・地獄の業をば犯すとは・をもえ
ども或は地蔵菩薩等の菩薩を信じ或は阿弥陀仏等の仏を恃み或は種種の善根を修したる者もあり、皆をもはく我はかかる善根をもてれば・なんど・うちをもひて地
獄をもをぢず、或は宗宗を習へる人人は各各の智分を・たのみて又地獄の因ををぢず、而るに仏菩薩を信じたるも愛子・夫婦なんどをあいし父母主君なんどを・うや
まうには雲泥なり、仏・菩薩等をばかろくをもえるなり、されば当世の人人の仏・菩薩を恃ぬれば宗宗を学したれば地獄の苦はま
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820 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 20:30:27.93 ID:SM85IN620
ぬがれなん・なんど・をもえるは僻案にや心あらん人人はよくよく・はかりをもうべきか。第八に大阿鼻地獄とは又は無間地獄と申すなり欲界の最底大焦熱地獄の下にあり此の地
獄は縦広八万由旬なり、外に七重の鉄の城あり地獄の極苦は且く之を略す前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として大阿鼻地獄の苦一千倍勝れたり、此の地獄の罪人は大焦熱
地獄の罪人を見る事他化自在天の楽みの如し、此の地獄の香のくささを人かくならば四天下・欲界・六天の天人・皆ししなん、されども出山・没山と申す山・此の地獄の臭き気を・をさへて人
間へ来らせざるなり、故に此の世界の者死せずと見へぬ、若し仏・此の地獄の苦を具に説かせ給はば人聴いて血をはいて死すべき故にくわしく仏説き給はずとみへたり、此の無間地獄の寿命の長短は一
中劫なり一中劫と申すは此の人寿・無量歳なりしが百年に一寿を減じ又百年に一寿を減ずるほどに人寿十歳の時に減ずるを一減と申す、又十歳より百年に一寿を増し又百年に一寿を増する程に八
万歳に増するを一増と申す、此の一増・一減の程を小劫として二十の増減を一中劫とは申すなり、此の地獄に堕ちたる者・これ程久しく無間地獄に住
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821 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 20:31:38.24 ID:SM85IN620
して大苦をうくるなり、業因を云わば五逆罪を造る
人・此の地獄に堕つべし、五逆罪と申すは一に殺父・二に殺母・三に殺阿羅漢・四に出仏身血・五に破和合僧なり、今の世には仏ましまさず・しかれば出仏身血あるべからず、和合僧なければ破和合
僧なし、阿羅漢なければ殺阿羅漢これなし、但殺父・殺母の罪のみありぬべし、しかれども王法のいましめきびしく・あるゆへに此の罪をかしがたし、若爾らば当世には阿鼻地獄に堕つべき人すくなし但し相
似の五逆罪これあり木画の仏像・堂塔等をやきかの仏像等の寄進の所をうばいとり率兜婆等をきりやき智 人を殺しなんどするもの多し、此等は大阿鼻地獄の十六の別処に堕つべし、されば当世の衆生
十六の別処に堕つるもの多きか又謗法の者この地獄に堕つべし。第二に無間地獄の因果の軽重を明さば、問うて云く五逆罪より外の罪によりて無間地獄に堕んことあるべしや、答えて云く誹謗正法の重罪なり、
問うて云く証文如何、答えて云く法華経第二に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」等と云云、此の文に謗法は阿鼻地獄の業と見へたり、問うて云く五逆
と謗法と罪の軽重如何、答て云く大
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822 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 21:40:26.33 ID:SM85IN620
品経に云く「舎利弗仏に白して言く世尊五逆罪と破法罪と相似するや、仏舎利弗に告わく相似と言うべからず所以は何ん若し般
若波羅蜜を破れば則ち十方諸仏の一切智一切種智を破るに為んぬ、仏宝を破るが故に法宝を破るが故に僧宝を破るが故に三宝を破る
が故に則ち世間の正見を破す世間の正見を破れば○則ち無量無辺阿僧祇の罪を得るなり無量無辺阿僧祇の罪を得已つて則ち無量無辺阿僧祇の憂苦を
受るなり」文又云く「破法の業因縁集るが故に無量百千万億歳大地獄の中に堕つ、此の破法人の輩一大地獄より一大地獄に至る若し劫火起る時は他方の大
地獄の中に至る、是くの如く十方に〓くして彼の間に劫火起る故に彼より死し破法の業因縁未だ尽きざるが故に是の間の大地獄の中に還来す」等と云云、法
華経第七に云く「四衆の中に瞋恚を生じ心不浄なる者あり悪口罵詈して言く是れ無智の比丘と、或は杖木瓦石を以て之れを打擲す乃至千劫阿鼻地獄に於て
大苦悩を受く」等と云云、此の経文の心は法華経の行者を悪口し及び杖を以て打擲せるもの其の後に懺悔せりといえども罪いまだ滅せずして千劫・阿鼻地獄に
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823 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 21:41:26.52 ID:SM85IN620
堕ちたりと見えぬ、懺悔せる謗法の罪すら五逆罪に千倍せり況や懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出ずる期かたかるべし、故に法華経第二に云く「経を読誦
し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生れん、是くの如く展転して無数劫に至らん」等と云云。
第三に問答料簡を明さば問うて云く五逆罪と謗法罪との軽重はしんぬ謗法の相貌如何、答えて云く天台智者大師の梵網経の疏に云く謗とは背なり等と云云、
法に背くが謗法にてはあるか天親の仏性論に云く若し憎は背くなり等と云云、この文の心は正法を人に捨てさせるが謗法にてあるなり、問うて云く委細に相貌をしらんとを
もうあらあら・しめすべし、答えて云く涅槃経第五に云く「若し人有りて如来は無常なりと言わん云何ぞ是の人舌堕落せざらん」等云云、此の文の心は仏を無常といはん人は舌堕落
すべしと云云、問うて云く諸の小乗経に仏を無常と説かるる上又所化の衆皆無常と談じき若爾らば仏・並に所化の衆の舌堕落すべしや、答えて云く小乗経の仏を小乗経の人が無常と
とき談ずるは舌ただれざるか、大乗経に向つて仏を無常と
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824 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 21:42:03.94 ID:SM85IN620
談じ小乗経に対して大乗経を破するが舌は堕落するか、此れをもつて・をもうにをのれが依経には随えども依経より・すぐれたる経
を破するは破法となるか、若爾らば設い観経・華厳経等の権大乗経の人人・所依の経の文の如く修行すともかの経にすぐれたる経経に随はず又すぐれざる由を談ぜば謗法となる
べきか、されば観経等の経の如く法をえたりとも観経等を破せる経の出来したらん時・其の経に随わずば破法となるべきか、小乗経を以て・なぞらえて心うべし。
問うて云く雙観経等に乃至十念・即得往生なんと・とかれて候が彼のけうの教の如く十念申して往生すべきを後の経を以て申しやぶらば謗法にては候まじきか、答えて云く仏・観経
等の四十余年の経経を束て未顕真実と説かせ給いぬれば此の経文に随つて乃至十念・即得往生等は実には往生しがたしと申す此の経文なくば謗法となるべし、問うて云く或人
云く無量義経の四十余年未顕真実の文はあえて四十余年の一切の経経・並に文文・句句を皆未顕真実と説き給にはあらず、但四十余年の経経に処処に決定性の二乗
を永不成仏ときらはせ給い釈迦如来を始成正覚と説き給しを其の言ばかりをさして未顕真実とは申すなりあえて
懐かしの六花嬢を語ろう
826 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 22:58:25.16 ID:SM85IN620
余事にはあらず、而るをみだりに四十余年の文を見て観経等の凡夫のため
に九品往生なんぞを説きたるを妄りに往生はなき事なりなんど押し申すあに・をそろしき謗法の者にあらずや・なんど申すはいかに、答えて云く此の料簡は東土の得一が料簡に似た
り、得一が云く未顕真実とは決定性の二乗を仏・爾前の経にして永不成仏ととかれしを未顕真実とは嫌はるるなり前四味の一切には亘るべからずと申しき、伝教大師は前四味に
亘りて文文句句に未顕真実と立て給いき、さればこの料簡は古の謗法者の料簡に似たり、但し且く汝等が料簡に随て尋ね明らめん、問う法華已
前に二乗作仏を嫌いけるを今未顕真実というとならば先ず決定性の二乗を仏の永不成仏と説かせ給し処処の経文ばかりは未顕真実の仏の妄語な
りと承伏せさせ給うか、さては仏の妄語は勿論なり若し爾らば妄語の人の申すことは有無共に用いぬ事にてあるぞかし、決定性の二乗・永不成仏の語ば
かり妄語となり若し余の菩薩・凡夫の往生成仏等は実語となるべきならば信用しがたき事なり、譬へば東方を西方と妄語し申さん人は西方を東方
と申すべし二乗を永不成仏と説く仏は余の菩薩の成仏をゆるすも又妄語にあらず
懐かしの六花嬢を語ろう
827 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 22:59:06.09 ID:SM85IN620
や、五乗は但一仏性なり二乗の仏性をかくし菩薩・凡夫の仏性をあらはすは返つて菩薩・凡夫の仏性をかくすなり。
有人云く四十余年未顕真実とは成仏の道ばかり未顕真実なり往生等は未顕真実にはあらず、又難じて云く四十余年が間の説の成仏を未顕真実と承伏せさせ
給はば雙観経に云う不取正覚成仏已来凡歴十劫等の文は未顕真実と承伏せさせ給うか、若し爾らば四十余年の経経にして法蔵比丘の阿弥陀仏になり給はず
ば法蔵比丘の成仏すでに妄語なり、若し成仏妄語ならば何の仏か行者を迎え給うべきや、又かれ此の難を通して云ん四十余年が間は成仏はなし阿弥陀仏は今の成仏に
はあらず過去の成仏なり等と云云、今難じて云く今日の四十余年の経経にして実の凡夫の成仏を許されずば過去遠遠劫の四十余年の権経にても
成仏叶いがたきか、三世の諸仏の説法の儀式皆同きが故なり、或は云く不得疾成・無上菩提ととかるれば四十余年の経経にては疾くこそ仏にはならねども遅く劫を
経てはなるか、難じて云く次下の大荘厳菩薩等の領解に云く「不可思議無量無辺阿僧祇劫を過るとも終に無上菩提を成ずることを得ず」等と云云、此の文の如くならば劫を経ても爾前の経計りにては成仏
懐かしの六花嬢を語ろう
828 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/10(日) 23:00:17.96 ID:SM85IN620
はかたきか。有は云う華厳宗の料簡に云く四十余年の内には華厳経計りは入るべからず、華厳経にすでに往生成仏此ありなんぞ華厳経を行じて往生成仏をとげざらん、答えて云く四十余年
の内に華厳経入るべからずとは華厳宗の人師の義なり、無量義経には正く四十余年の内に華厳海空と名目を呼び出して四十余年の内にかずへ入れられたり、人師を本とせば仏に背くになりぬ。
問うて云く法華経をはなれて往生成仏をとげずば仏世に出させ給ては但法華経計をこそ説き給はめ、なんぞ・わづらはしく四十余年の経経を説かせ給うや、答えて云く此の難は仏自ら答え給えり「若し但
仏乗を讃せば衆生苦に没在して法を破して信ぜざるが故に三悪道に墜ちなん」等の経文これなり、問うて云くいかなれば爾前の経をば衆生謗せざるや、答えて云く爾前の経経は万差なれども束ねて此れを
論ずれば随他意と申して衆生の心をとかれてはんべり故に違する事なし、譬へば水に石を・なぐるに・あらそうこと・なきがごとし・又しなじなの説教はんべれども九界の衆生の心を出でず衆生の心は皆善につけ悪に
つけて迷を本とするゆへに仏にはならざるか、問うて云く衆生謗ずべきゆへに仏・最初に法華経をとき給


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