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名無しさん@入浴中
懐かしの六花嬢を語ろう
クラブアムール 15発目

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懐かしの六花嬢を語ろう
713 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 05:01:07.53 ID:knJwZuN70
地餓畜修人天の内の因果の道理を明す、但し正報は十界を明すなり地・餓・畜・修・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏なり依報が六にて有れば六界と申
すなり、此の教の意は六道より外を明さざれば三界より外に浄土と申す生処ありと言わず又三世に仏は次第・次第に
出世すとは云へども横に十方に並べて仏有りとも云わず、三蔵とは一には経蔵亦云定蔵二には律蔵亦云
戒蔵三には論蔵亦云慧蔵なり但し経律論の定戒慧・戒定慧・慧定戒と云う事あるなり、戒蔵
とは五戒・八戒・十善戒・二百五十戒・五百戒なり・定蔵とは味禅定名・浄
禅・無漏禅なり・慧蔵とは・苦・空・無常・無我の智慧なり、戒定慧の勝劣と云うは但上の戒計り
を持つ者は三界の内の欲界の人天に生を受くる凡夫なり、但し上の定計りを修する人は戒を持たざれども定
の力に依つて上の戒を具するなり、此の定の内に味禅・浄禅は三界の内・色無色界へ生ず無漏禅は声聞
・縁覚と成つて見思を断じ尽し灰身滅智するなり、慧は又苦・空・無常・無我と我が色心を観ずれば
上の戒・定を自然に具足して声聞・縁覚とも成るなり、故に戒より定は勝れ定より慧は勝れたり、而れども此の三蔵教の意は戒が本体にて
懐かしの六花嬢を語ろう
714 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 05:03:05.58 ID:knJwZuN70
あるなり、されば阿含経を総結する遺教経には戒を説けるなり、此の教の意は依報には六界・正報には十
界を明せども而も依報
に随つて六界を明す経と名くるなり、又正報に十界を明せども縁
覚・菩薩・仏も声聞の悟に過ぎざれば但声聞教とも申す、されば仏も菩薩も縁覚も灰身滅智する教なり、声聞に付いて七賢七聖の位あり、六道は凡夫なり。一に五停心
三賢 二に別想念処 外凡三に総想念処七賢 智と言う事なり一に〓法
四善根 二に頂法 内凡三に忍法
四に世第一法此の七賢の位は六道の凡夫より賢く生死を厭ひ煩悩を具しながら煩悩を発さざる賢人なり、例せば外典の許由巣父が如し。
一に数息 息を数えて散乱を治す二に不浄 身の不浄を観じて貪欲を治す五停心 三に慈悲 慈悲を観じて嫉妬を治す四に因縁 十二因縁を観じて愚癡を治す
五に界方便 地水火風空識の六界を観じて障道を治す又は念仏と云う一に身 外道は身を浄と言い仏は不浄と説き給う
別想念処 二に受 外道は三界を楽と言い仏は苦と説き給う
三に心 外道は心を常と言い仏は無常と説き給う四に法 外道は一切衆生に我有りと云い仏は無我と説き給う
外道は常心楽受我
懐かしの六花嬢を語ろう
715 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 05:03:47.99 ID:knJwZuN70
法浄身仏は苦・不浄・無常・無
我と説く総想念処とは先の苦・不浄・無常・無我を調練して観ずるなり〓法は智慧の火・煩悩の薪を蒸せば煙の立つなり故に〓法と云う、頂法は山の頂に登つて四方を
見るに雲無きが如し、世間出世間の因果の道理を委く知つて闇き事無きに譬えたるなり、始め五停心より此の頂法に至るまで退位と申して悪縁に値へば悪道
に堕つ而れども此の頂法の善根は失せずと習うなり、忍法は此の位に入る人は永く悪道に堕ちず、世第一法は此の位に至る賢人なり但今聖人と成る可きなり。
七聖三 正と言う事なり一に見道 二 随信行 鈍根
随法行 利根信解 鈍根二に修道 三 見得 利根身証 利鈍に亘る三に無学道 阿羅漢二 慧解脱 鈍根
倶解脱 利根
見・思の煩悩を断ずる者を聖と云う、此の聖人に三道あり、見道とは見・思の内の見惑を断じ尽くす、此の見惑を尽くす人をば初果の聖者と申す、此の人は欲界の
人・天には生るれども永く地・餓・畜・修の四悪趣には堕ちず、天台云く「見惑を破るが故に四悪趣を離る」文、此の人は未だ思惑を断ぜず貪・瞋・癡・有り、身に貪欲ある
故に妻を帯す、而れども他人の妻を犯さず、瞋恚あれども物を殺さず、鋤
懐かしの六花嬢を語ろう
716 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 06:07:42.51 ID:knJwZuN70
を以て地をすけば虫・自然に四寸去る、愚癡なる故に我が身・初果の聖者と知らず、婆娑論に云く「初果の聖者は妻を八十一度・一夜に犯すと
」取意天台の解釈に云く「初果地を耕すに虫四寸を離るるは道共の力なり」と、第四果の聖者・阿羅漢を無学と云ひ亦は不生と云う、
永く見思を断じ尽して三界六道に此の生の尽きて後生ずべからず見思の煩悩無きが故なり、又此の教
の意は三界六道より外に処を明さざれば生処有りと知らず・身に煩悩有りとも知らず又生因なく
但灰身滅智と申して身も心もうせ虚空の如く成るべしと習う、法華経にあらずば永く仏になるべからずと云うは二乗是な
り、此の教の修行の時節は声聞は三生鈍根六十劫利根又一類の最上利根の声聞一生の内に阿羅漢の位に登る事あり、
縁覚は四生鈍根百劫利根菩薩は一向凡夫にて見思を断ぜず而も四弘誓願を発し六度万行を修し三僧祇・百大劫を経
て三蔵教の仏と成る仏と成る時始めて見思を断尽するなり、見惑とは一には身見亦我見と云う二には辺見亦断見常見と
懐かしの六花嬢を語ろう
717 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 06:08:51.95 ID:knJwZuN70
云う三には邪見亦撥無見と云う四には見取見亦劣謂勝見と云う五には戒禁取見亦非因計因非道計道見と云うなり見惑
は八十八有れども此の五が根本にて有るなり、思惑とは一には貪・二には瞋・三には癡・四には慢なり思惑は八十一有れども此
の四が根本にて有るなり、此の法門は阿含経四十巻・婆沙論二百巻・正理論・顕宗論・倶舎論に具に明せり、別して倶舎
宗と申す宗有り又諸の大乗に此の法門少少明す事あり・謂く方等部の経・涅槃経等なり但し華厳・般若・法華には此の法門無し。
次に通教とは大乗の始なり又戒定慧の三学あり、此の教の意のおきて大旨は六道を出でず少分利根なる菩薩
六道より外に推し出すことあり、声聞・縁覚・菩薩・共に一の法門を習い見思を三人共に断じ而も声聞・縁覚・灰身滅
智の意に入る者もあり入らざる者もあり、此の教に十地あり。一 乾慧地 三賢二 性地 四善根 賢人三 八人
地 見道位聖人見惑を断ず四 見地 初果の聖人十地 五 薄地六 離欲地 思惑を断ず七 已弁地 阿羅漢 見思を断じ尽す
懐かしの六花嬢を語ろう
718 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 06:10:01.31 ID:knJwZuN70
八 辟支仏地 習気を尽す九 菩薩地 誓つて習を扶けて生ずるなり
十 仏地 見思を断じ尽す此通教の法門は別して一経に限らず方等経般若経心経観経阿弥
陀経雙観経金剛般若等の経に散在せり、此通教の修行の時節は動踰塵劫を経て仏に成ると習
うなり、又一類の疾く成ると云う辺もあり・已上・上の蔵通二教には六道の凡夫・本より仏性ありとも談ぜず始めて
修すれば声聞・縁覚・菩薩・仏とおもひおもひに成ると談ずる教なり。
次に別教又戒定慧の三学を談ず此の教は但菩薩計りにて声聞縁覚を雑えず、菩薩戒とは三聚浄戒なり五戒・八
戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・梵網の五十八の戒・瓔珞の十無尽戒・華厳の十戒・涅槃経の自行の五支戒・
護佗の十戒・大論の十戒・是等は皆菩薩の三聚浄戒の内・摂律儀戒なり、摂善法戒とは八万四千の法門を摂す、饒
益有情戒とは四弘誓願なり定とは観練熏修の四種の禅定なり慧とは心生十界の法門なり、五十二位を立つ五十二位
とは一に十信・二に十住・三に十行・四に十回向・五に十地等覚一位妙覚二位なり、已上五十二位。
十信 退位 凡夫菩薩未だ見思を断ぜず十住 不退位五十二位 十行十回向 見思塵沙を断ぜる菩薩
クラブアムール 15発目
56 :名無しさん@入浴中[sage]:2014/08/06(水) 09:56:35.37 ID:knJwZuN70
今日はテンパった物言いじゃないですね
調子良いのですか?
懐かしの六花嬢を語ろう
721 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 19:03:04.74 ID:knJwZuN70
十地 無明を断ぜる菩薩等覚妙覚 無明を断じ尽せる仏なり此の教は大乗なり戒定慧を明す・戒は前の
蔵通二教に似ず尽未来際の戒・金剛宝戒なり、此の教の菩薩は三悪道を恐しとせず二乗道を恐る地・餓・畜等
の三悪道は仏の種子を断ぜず二乗の道は仏の種子を断ずればなり、大荘厳論に云く「恒に地獄に処すと雖も大菩提を
障えず若し自利の心を起さば是れ大菩提の障なり」と、此の教の習は真の悪道とは三無為の火〓なり真の悪人とは二乗を云うなり、されば悪
を造るとも二乗の戒をば持たじと談ず、故に大般若経に云く「若し菩薩設い恒河沙劫に妙なる五欲を受くるとも菩薩戒に於ては猶
犯と名けずと・若し一念二乗の心を起さば即ち名けて犯と為す」文、此の文に妙なる五欲とは色・声・香・味・触の五欲なり・色欲とは青黛・珂
雪・白歯等声欲とは絲竹管絃・香欲とは沈檀芳薫・味欲とは猪鹿等の味・触欲とは〓膚等なり、此に恒河沙劫に著
すれども菩薩戒は破れず一念の二乗の心を起すに菩薩戒は破ると云える文なり、太賢の古迹
に云く「貪に汚さるると雖も大心尽きざるをもつて無余の犯無し起せども無犯と
名く」文、二乗戒に趣くを菩薩の破戒とは申すなり華
懐かしの六花嬢を語ろう
722 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 19:05:40.92 ID:knJwZuN70
厳・般若・方等総じて爾前の経には
あながちに二乗をきらうなり定慧此れを略す、梵網経に云く「戒をば謂いて大地と
為し定をば謂いて室宅と為す智慧は為灯明なり」文、此の菩薩戒は人・畜・黄門・二形の四種を嫌わ
ず但一種の菩薩戒を授く、此の教の意は五十二位を一一の位に多倶低劫を経て衆生界を尽して仏に成るべ
し一人として一生に仏に成る者無し、又一行を以て仏に成る事無し一切行を積んで仏と成る微塵を積んで須弥山と成
すが如し、華厳・方等・般若・梵網・瓔珞等の経に此の旨分明なり、但し二乗界の此の戒を受くる事を嫌ふ、妙楽の釈に云く「〓く法華已前の諸経を尋ぬるに実に二乗作仏の文無し」文。
次に円教とは此の円教に二有り一には爾前の円・二には法華・涅槃の円なり、爾前の円に五十二位・又戒
定慧あり、爾前の円とは華厳経の法界唯心の法門・文に云く「初発心の時便ち正覚を成ずと」又云く「円満修多羅」文、浄名経に云く「無我無造にして
受者無けれども善悪の業敗亡せず」文、般若経に云く「初発心より即ち道場に坐す」文、観経に云く「韋提希時に応じて即ち無生法忍を得」文、梵網経に云く「
衆生仏戒を受くれば位大覚に同じ
懐かしの六花嬢を語ろう
723 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 19:06:38.06 ID:knJwZuN70
即ち諸仏の位に入り真に是れ諸仏の子なり」文、此は皆爾前の円の証文なり、此の教の意は又五十二位を明す名は別教の五十二位の如し但し義はかはれり、其の故は五十二位が互
に具して浅深も無く勝劣も無し、凡夫も位を経ずとも仏にも成り又往生するなり、煩悩も断ぜざれども仏に成る障り無く一善一戒を以ても仏に成る少少開会の法門を説く処
もあり、所謂浄名経
には凡夫を会し煩悩悪法も皆会す但
し二乗を会せず、般若経の中には二乗の所学の法門をば開会して二乗の人と悪人をば開会せず、観経等の経に凡夫一毫の煩悩をも断ぜず往生すと説くは皆爾前の円教の意なり、法華経の円経は後に至つて書く可し已上四教。
次に五時、五時とは一には華厳経結経梵網経別円二教を説く、二には阿含結経遺教経但三蔵教の小乗の法門を説く、三には方等経・宝積経・観経等の説時
を知らざる権大乗経なり結経瓔珞経、但し蔵・通・別・円の四教を皆説く、四には般若経結経仁王経通教・別教・円教の後三教を説く三蔵教を説かず、華厳経は三七日の間
の説・阿含経は十二年の説・方等・般若は三十年の説、已上華厳より般若に至る四十二年なり、山門の義には方等は説時定まらず説処定まら
懐かしの六花嬢を語ろう
724 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 22:16:52.12 ID:knJwZuN70
ず般若経三十年と申す、寺門の義には方等十六年・般若十四年と申す、秘蔵の大事の義には方等般若は説時三十年・但し方等は前・般若は後と申すなり、仏は十九出家・三十成道と定むる事は大論に見えたり、一代聖教五
十年と申す事は涅槃経に見えたり、法華経已前・四十二年と申す事は無量義経に見えたり、法華経・八箇年と申す事は涅槃経の五十年の文と無量義経の四十二年の文の間を勘うれば八箇年なり、已上十九出家・三十成道・五十年の転法輪・
八十入滅と定む可し、此等の四十二年の説教は皆法華経の汲引の方便なり、其の故は無量義経に云く「我先に道場菩提樹下に端坐すること六年阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり○方
便力を以てす、四十余年には未だ真実を顕さず初に四諦を説き阿含経なり次に方等十二部経摩訶般若華厳海空を説く」文。
私に云く説の次第に順ずれば華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃なり、法門の浅深の次第を列ぬれば阿含・方等・般若・華厳・涅槃・法華と列ぬべし、されば法華経・涅槃経には爾くの如く見えたり華厳
宗と申す宗は智厳法師・法蔵法師・澄観法師等の人師・華厳経に依つて立てたり
、倶舎宗・成実宗・律宗は宝
懐かしの六花嬢を語ろう
725 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 22:17:34.41 ID:knJwZuN70
法師・光法師・道宣等の人師・阿含経に依つて立てたり、法相宗と申す宗は玄奘三蔵・慈恩法師等・方等部の内に上生経・下生経・成仏経・解深密経・瑜伽論・唯識論
等の経論に依つて立てたり、三論宗と申す宗は般若経・百論・中論・十二門論・大論等の経論に依つて吉蔵大師立て給へり、華厳宗と申すは華厳と法華涅槃は同じく円教と立つ余は皆劣と云うなる可し、
法相宗には解深密経と華厳・般若・法華・涅槃は同じ程の経と云う、三論宗とは般若経と華厳・法華・涅槃は同じ程の経なり、但し法相の依経・諸の小乗経は劣なりと立つ、此等は皆法華已前の諸経に依
つて立てたる宗なり、爾前の円を極として立てたる宗どもなり、宗宗の人人の諍は有れども経経に依つて勝劣を判ぜん時はいかにも法華経は勝れたるべきなり、人師の釈を以て勝劣を論ずる事無し。
五には法華経と申すは開経には無量義経一巻法華経八巻・結経には普賢経一巻上の四教・四時の経論を書き挙ぐる事は此の法華経を知らん為なり、法華経の習としては前の諸経を習わずしては永く心を
得ること莫きなり、爾前の諸経は一経・一経を習うに又余経を沙汰せざれども苦しからず、故に天台の御釈に云く「若し余経を弘むるに
懐かしの六花嬢を語ろう
726 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 22:18:26.61 ID:knJwZuN70
は教相を明さざれども義に於て傷むこと無し若し法華を
弘むるには教相を明さずんば文義闕くること有り」文、法華経に云く「種種の道を示すと雖も其れ実には仏乗の為なり」文、種種の道と申すは爾前一切の諸経なり仏乗の
為とは法華経の為に一切の経を説くと申す文なり。
問う諸経の如きは或は菩薩の為或は人天の為或は声聞・縁覚の為機に随つて法門もかわり益もかわる此の経は何なる人の
為ぞや、答う此の経は相伝に有らざれば知り難し所詮悪人・善人・有智・無智・有戒・無戒・男子・女子・四趣・八部総じて十界
の衆生の為なり、所謂悪人は提婆達多・妙荘厳王・阿闍世王善人は韋提希等の人天の人・有智は舎利弗・無智は須利槃特・有戒は声聞・菩薩
・無戒は竜・畜なり女人は竜女なり、総じて十界の衆生・円の一法を覚るなり此の事を知らざる学者・法華経は我等凡夫の為には有らずと申す仏意恐れ有り、此の経
に云く「一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は皆此の経に属せり」文、此の文の菩薩とは九界の衆生・善人・悪人・女人・男子・三蔵教の声聞・縁覚・菩薩・通教の三乗
・別教の菩薩・爾前の円教の菩薩・皆此の経の力に有らざれば仏に成るまじと申す文なり
懐かしの六花嬢を語ろう
727 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 23:23:07.38 ID:knJwZuN70
、又此の経に云く「薬王多く人有りて在家出家の菩薩の道を行ぜんに若し是の法華経を見聞し読誦し書持し供養することを得ること能わずんば当
に知るべし是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜず、若し是の経典を聞くことを得ること有らば乃ち能く菩薩の道を行ずるなりと」文、此の文は顕然
に権教の菩薩の三祇・百劫・動踰塵劫・無量阿僧祇劫の間の六度万
行・四弘誓願は此の経に至らざれば菩薩の行には有らず善根を修したるにも有らず
と云う文なり、又菩薩の行無ければ仏にも成らざる事も顕然なり。
天台妙楽の末代の凡夫を勧進する文、文句に云く「好堅・地に処して牙已に百囲せ
り頻伽〓に在つて声衆鳥に勝れたり」文、此の文は法華経の五
十展転の第五十の功徳を釈する文なり、仏苦に校量を説き給うに権教の多劫の修行・又
大聖の功徳よりも此の経の須臾・結縁の愚人の随喜の功徳百千
万億勝れたる事経に見えつれば此の意を大師譬を以て顕し給えり、好堅樹と申す木は一日に百囲にて高くをう、頻伽と申す鳥は
幼だも諸の大小の鳥の声に勝れたり、権教の修行の久きに諸の草木の遅く生長するを譬へ、法華の行の速に仏に成る事を一日
に百囲なるに
懐かしの六花嬢を語ろう
728 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 23:24:14.94 ID:knJwZuN70
譬へ、権教の大小の聖人をば諸鳥に譬へ法華の凡夫のはかなきを〓の声の衆鳥に勝るるに譬う、妙楽大師重ねて釈して云く「恐らく
ば人謬りて解せる者初心の功徳の大なることを測らずして功を上位に推り此の初心を蔑る故に今彼の行浅く功深きことを示して以て
経力を顕す」文、末代の愚者は法華経は深理にして・いみじけれども我等が下機に叶わずと言つて法を挙げ機を下して退する者を釈する文なり。
又妙楽大師末代に此の法の捨てられん事を歎いて云く「此の円頓を聞きて崇重せざる者は良に近代に大乗を習える者の雑濫するに由
るが故なり、況や像末に情澆く信心寡薄に円頓の教法・蔵に溢れ函に盈れども暫くも思惟せず便ち目を瞑ぐに至る・徒に生じ徒に死す
一に何ぞ痛ましきや有る人云く聞いて行ぜずんば汝に於て何ぞ預らん此れは未だ深く久遠の益を知らず、善住天子経の如き文殊舎利
弗に告ぐ法を聞き謗を
生じて地獄に堕つるは恒沙の仏を供養する者に勝れたり地獄に堕つと雖も地獄より出でて還つて法を聞くことを得ると、此れは仏を供し法
を聞かざる者を以て校量と為り聞いて謗を生ずる尚遠種と為す況や聞いて思惟し勤めて修習せんをや」と、又云く「一
懐かしの六花嬢を語ろう
729 :名無しさん@入浴中[]:2014/08/06(水) 23:25:11.86 ID:knJwZuN70
句も神に染ぬれば咸
く彼岸を資く思惟修習永く舟航に用
いたり随喜見聞
恒に主伴と為る、若は取・
若は捨・耳に経て縁と
成り或は順・或は違・終に斯れ
に因つて脱すと」文、私に云く若取・若捨・或順・或違の文
は肝に銘ずるなり。
法華翻経の後記に云く釈僧
肇記「什羅什三蔵なり姚興王に対
して曰く予昔天竺
国に在りし時〓く五竺に遊びて大乗を尋討し大師
須梨耶
蘇摩に従つて理味を餐受するに頂を摩
でて此の経を属累して言く、仏日
西に隠れ遺光東北を
照らす〓の典東北
諸国に有縁な
り汝慎んで伝
弘せよ」と文、私に云く天竺よりは此の日
本は東北の州なり、慧心の一乗
要決に云く「
日本一州・円機純熟・朝野遠近
・同じく一乗に帰し緇素貴賤悉く成仏を期す
・唯一師等あつて若し信受せ
ず権とや為ん実とや為ん権為らば責む可し」浄
名に云く「衆
の魔事を覚知して其行に随わず善力方便を
以て意に随つて度すと実為らば
憐む可し」此経に云く「当来世の悪
人は仏説の一乗を聞いて
迷惑して信受せず法を破し


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