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名無しさん@お腹いっぱい。
【SKE48】佐藤すみれファン倶楽部☆142【すーめろ】

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【SKE48】佐藤すみれファン倶楽部☆142【すーめろ】
90 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/12/28(木) 06:09:52.73 ID:yvMtkQU9
設立経緯[編集]
1963年(昭和38年)、フジテレビと虫プロダクションが日本初の本格的なアニメのテレビシリーズ『鉄腕アトム』を
制作し、放送を開始した。この成功を見たテレビ局と制作会社が続々とテレビアニメに参入して、
テレビアニメブームが起こる。当時はテレビ局と制作会社が系列化しており、フジテレビは虫プロダクションと
竜の子プロダクションおよびピー・プロダクション、NETテレビ(のちテレビ朝日)は同一資本系列の
東映動画(のち東映アニメーション)を抱えていた。TBSは既にTCJ(のちエイケン)制作の『エイトマン』を
放送していた。

TBSテレビはさらにアニメの制作を望んでいたが、TCJに制作を発注したくても、既にフジテレビの
『鉄人28号』を抱えたTCJは週2本の制作体制で余力はなく、別の制作会社に発注するよりなかった。
そこで、広告代理店「萬年社」を仲介役に、1963年(昭和38年)に人形劇『伊賀の影丸』制作のために
人形劇団ひとみ座の映画制作部門として設立された「東京人形シネマ」の藤岡豊に、「人形を動かすのも
絵を動かすのも同じだろう」という理由で、アニメーション制作を委託したことから、1964年(昭和39年)、
アニメーション制作の新会社「株式会社東京ムービー」が発足した。

設立の際TBSの出資を受けており、当初はTBSテレビでの放送が多かった。また初期の演出陣の
長浜忠夫、大隅正秋、文芸担当の今泉篤は藤岡の人脈で人形劇団出身者である。本社はTBS本社の
一室から西新宿へ移転するが、すぐに手狭となり、ほどなく地下鉄南阿佐ケ谷駅に近い杉並区成田東へ
と移った。以後、杉並区は日本におけるアニメーション産業集積地の一角となった。
【SKE48】佐藤すみれファン倶楽部☆142【すーめろ】
92 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/12/28(木) 06:20:13.10 ID:yvMtkQU9
経営危機と外注化[編集]
第1回作品『ビッグX』を制作するも、大赤字を出し経営危機に陥る。人材の多くが人形劇出身者で
占められていたため、アニメーション制作の経験者が少なく、アニメーターの言い値や枚数の
ごまかしがまかりとおったのが原因であった。倒産寸前に陥った東京ムービーは、
テレビ制作会社国際放映(旧新東宝)の傘下となり、経営再建を図ることになる。新社長には国際放映の
阿部鹿三が就任し、創業者の藤岡は取締役制作部長に降格した。

1965年(昭和40年)、藤岡が東映動画の楠部大吉郎に声をかけ、楠部が代表となって
有限会社エイプロダクション(以下Aプロ、現在のシンエイ動画株式会社)を設立。東映動画から
クリエイターを招き入れることに成功する。『ビッグX』での経験から、制作体制の整備が目的であった。
東京ムービーとAプロは業務提携の形をとり、東京ムービーは企画・管理を担当し、作画・撮影など
実制作をAプロに委託する体制となる。以後、『オバケのQ太郎』『巨人の星』『アタックNo.1』等の
ヒット作を飛ばした。1971年(昭和46年)に国際放映から独立し、藤岡が社長に返り咲いた。

アメリカ進出[編集]
1975年(昭和50年)、アメリカ市場への進出を狙って新たに株式会社テレコム・アニメーションフィルムを設立する。
1976年(昭和51年)、営業部門として株式会社東京ムービー新社(とうきょうムービーしんしゃ)を設立、
株式会社東京ムービーを制作部門として分離した。同年、Aプロとの業務提携を解消した。Aプロは
シンエイ動画株式会社として改組・商号変更して独立した。1984年(昭和59年)、アメリカABCテレビで
『マイティ・オーボッツ』を放送した。アメリカの製作会社を通じた下請けではなく、アメリカのテレビ局から
直接発注を受けたのはこれが日本初であった。以後、精力的に海外向けアニメの制作に乗り出す。
社運をかけたプロジェクトである長編作品『NEMO/ニモ』は、制作費55億円、制作期間に10年を費やしたが、
その制作費と制作期間に比して商業的失敗に終わり、その責任をとる形で藤岡は東京ムービーから退いた。
【SKE48】佐藤すみれファン倶楽部☆142【すーめろ】
93 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/12/28(木) 06:29:39.45 ID:yvMtkQU9
セガ傘下へ[編集]
1992年(平成4年)、東京ムービー新社の株式をセガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が取得して、
同社の傘下となる。1993年(平成5年)2月、株式会社東京ムービーを解散。1995年(平成7年)11月1日、
セガグループで、名古屋を拠点とする株式会社キョクイチを存続会社として、株式会社東京ムービー新社を
吸収合併した。アニメーション制作部門は東京支店東京ムービー事業本部
(とうきょうしてんとうきょうムービーじぎょうほんぶ)となる。
当時制作されていた作品のクレジット表記は「キョクイチ東京ムービー」(キョクイチとうきょうムービー)となる。
一部の作品(例:『名探偵コナン』)では再び「東京ムービー」の表記に戻された。

ブランド名としての東京ムービー[編集]
2000年1月1日、株式会社トムス・エンタテインメントに商号を変更した。「東京ムービー」の名は、
アニメーション制作事業部門の名称、アニメーション制作ブランド名として残った。東京ムービー時代の作品は
「製作・著作:トムス・エンタテインメント、アニメーション制作:東京ムービー」等と表記を差し替えて再放送される
場合がある。しかし、2007年頃から『名探偵コナン』等を除けばクレジットに
「(放送局・広告代理店)トムス・エンタテインメント」や「(放送局・広告代理店)TMSトムス・エンタテインメント」が
多くなり、「東京ムービー」は消滅しつつあった。
【SKE48】佐藤すみれファン倶楽部☆142【すーめろ】
94 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/12/28(木) 06:34:24.56 ID:yvMtkQU9
2011年8月からは『名探偵コナン』も「(ytv・)トムス・エンタテインメント」のクレジット表記に変わったことで、
「東京ムービー」名義での制作作品は廃止された。アニメーション制作名義においても「それいけ!アンパンマン」が
2011年クリスマスSPから表記変更したことでTVアニメでは「東京ムービー」ブランドは消滅した。
劇場版『名探偵コナン 11人目のストライカー』では従来通り「アニメーション制作:東京ムービー」と
発表されていたが、実際のクレジットは「TMS/V1Studio」だった。

現在の「アニメーション制作」のクレジットは、トムスが出資している作品は制作スタジオ名
(V1Studio、Po10tial等)が表示され、他の会社の出資や共同制作の場合は会社名がそのまま
クレジットされている。

作品履歴[編集]
「トムス・エンタテインメントの作品一覧」を参照

参考文献[編集]
東京ムービー新社監修「東京ムービー・アニメ大図鑑」竹書房、1986年 (ISBN 4-88475-013-6)
キョクイチ東京支店東京ムービー事業本部監修「東京ムービーアニメ大全史」辰巳出版、1999年 (ISBN 4-88641-409-5)
大塚康生「作画汗まみれ 増補改訂版」徳間書店、2001年 (ISBN 4-19-861361-3)
大塚康生「リトル・ニモの野望」徳間書店、2004年 (ISBN 4-19-861890-9)
【SKE48】佐藤すみれファン倶楽部☆142【すーめろ】
96 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/12/28(木) 06:45:28.78 ID:yvMtkQU9
『ビッグX』(ビッグエックス)は、1963年11月から1966年2月まで集英社『少年ブック』に連載されていた
手塚治虫の漫画作品、およびそれを原作とするテレビアニメである。また「ビッグX」は、薬品または
エネルギーの名称であると共に、それにより変身した主人公を指す場合もある。

1964年8月3日から1965年9月27日までTBS系列局で放送。放送時間は毎週月曜 19:00 - 19:30 (日本標準時)。

東京ムービー(現・トムス・エンタテインメント)の初制作作品である。また、TBSでは『エイトマン』に次ぐ
国産アニメにして、初の19時台での放送である。国産アニメでは唯一の花王石鹸(現・花王)の一社提供で、
オープニングのラストには宇宙空間に浮かぶ同社の商標「月のマーク」に腰掛ける朝雲昭(声 - 太田淑子)が
映され、昭が「この番組を提供するのは、僕の大好きな月のマークの花王石鹸です」とコメントすると、
画面が「提供(月のマーク)花王石鹸」と描かれた提供クレジットに変わる。

手塚治虫テレビアニメとしては初めて、手塚と直接関わりの無い外部のプロダクションの元請によって
制作された作品である[注釈 1]。当初はTBSからピー・プロダクションに企画が持ち込まれたが、
既に制作中のテレビアニメ『0戦はやと』などで手一杯だったため、社内の反対で話が流れた[1][2]。
このため、TBSでテレビの人形劇を制作していた藤岡豊にアニメの制作プロダクション設立を促し、
藤岡は間借りしたTBS社屋の4階で本作を制作した。このときに設立された東京ムービーは本作制作の
ためのプロダクションであり、会社登記も第1話の放送後であった[3]。
【SKE48】佐藤すみれファン倶楽部☆142【すーめろ】
101 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/12/28(木) 22:59:01.36 ID:yvMtkQU9
本作は同時期に放送されていた同じ手塚作品の鉄腕アトムなどの作品と比べて著しく作画力や動きが劣っている。
これは、当初の東京ムービーが経験のない素人が大多数のスタッフであった故である。

1966年、ピー・プロダクションが手塚作品の実写化を企画した際には本作と『マグマ大使』が候補に上がったが、
結果的には『マグマ大使』が実写映像化された。

原作では主人公・朝雲昭は薬液「ビッグX」をシャープペンシル型[注釈 2]の注射器で自ら打って
(後に経口薬により)変身するが、アニメ版の「ビッグX」はシャープペンシル型の装置から出る光線状の
エネルギーで、それを昭が胸に当てて、目盛1で鋼鉄の体に、目盛2で20倍の巨体に変身するという設定となった。

原作のストーリーは、ビッグX(朝雲昭)が超能力少女ニーナらと共にナチス同盟と戦う連続物語となっていたが、
アニメ版は1話完結で、多くはナチス同盟と無関係の敵と戦う話になっている。ビッグXの宿敵・ハンスは、
原作では中盤以降、ナチス同盟の兵器であるロボット・V3号に酷似したロボット
(頭部の形状、カラーリングは異なる)に脳を移し変えるが、アニメ版では最後まで人間であり、最終回では、
科学者である実妹のイリーナの制止を振り切って専用円盤でビッグXと戦い、最後は「俺は遂に降伏しなかった」と
叫んで円盤と自爆して果て、墓に埋められる最期だった。

本作は大部分のフィルムが所在不明となっており、2014年時点で現存が確認されているのは全59話のうち、
第1話、第11話、第40話 - 第59話の計22話分のみである。
【SKE48】佐藤すみれファン倶楽部☆142【すーめろ】
102 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/12/28(木) 23:03:45.53 ID:yvMtkQU9
1987年7月26日放送のTBS『テレビ探偵団』(夏休みアニメ特集)では、番組コメンテーター・朝井泉の思い出の
作品として本作が取り上げられ、第11話の一部が放送された。

1990年7月28日放送のNHK BS2の企画「夏休み・手塚治虫アニメ・メドレー[4]」では第11話と第30話が、
同時期にBS局で第5話が放送された。

1999年のLD-BOXおよびVHSソフト化の際には、当時現存が確認されていた第40話 - 最終話(第59話)の
計20話分が収録された。この際、オープニングのフィルムが所在不明であったため、出崎統の監修で
本編を再編集して新規制作された。同年発売された歴代東京ムービー作品の主題歌映像を収録した
ビデオソフト「東京ムービーアニメ主題歌大全集」(LD・VHS)第1巻にも、この新規制作のオープニング映像
および第40話のエンディング映像が収録されている。

その後、アメリカのフィルムコレクターが所有していたオリジナルのオープニング[注釈 3]を含む第1話のフィルムが
発見され、2003年8月31日にアニマックスで放送された。2006年に発売されたDVD-BOXにも第1話が
第40話 - 最終話と共に収録された。

2013年7月9日には、NHK BSプレミアムの企画『手塚治虫×石ノ森章太郎 TV作品 初回・最終回大集合!』で
第1話と最終話が放送された。DVD版と同じ素材での放送であったが、第1話オープニングの提供読み部分は
カットされた。
【SKE48】佐藤すみれファン倶楽部☆142【すーめろ】
103 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/12/28(木) 23:05:50.08 ID:yvMtkQU9
1990年頃までテレビで映像が流れるなどして存在が確認されていた[注釈 4]第11話は、その後永らく
映像ソフトに収録されることが無かった[注釈 5]が、2014年になってフィルムが再び発見され、同年8月3日の
アニマックスの特番『TMSアニメ50年のDNA』内で放送された。ただし、オープニングとエンディング映像は
欠落しており、放送では第1話のものが流用された。

2016年1月30日に、ベストフィールドより、『想い出のアニメライブラリー 第48集』として
HDリマスター DVD-BOXが発売される。こちらには、2006年発売時には発見されていなかった11話が、
特典映像として収録される。 第11話と同じく1990年頃まで存在が確認されていた第5話「ビッグXの危機」
および第30話「あの耳を狙え」については、近年は表に出ていない。

^ うしおそうじ 『手塚治虫とボク』 草思社、2007年、244 - 248頁。
^ 但馬オサム「うしおそうじ&ピープロダクション年表」、『別冊映画秘宝 特撮秘宝』vol.3、洋泉社、2016年3月13日、 pp.102-109、 ISBN 978-4-8003-0865-8。
^ 「大きいことはいいことだの60年代 『ビッグX』はビッグなヒーローとして誕生した!!」、『アニメージュ』1981年9月、徳間書店、 59 - 66頁。
^ “番組表検索結果詳細”. NHKアーカイブス. 日本放送協会. 2015年4月10日閲覧。
^ アフレコ台本には山本恵三・小沢協と表記
^ アフレコ台本には「どれい狩り」と表記
【SKE48】佐藤すみれファン倶楽部☆142【すーめろ】
105 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/12/28(木) 23:16:03.45 ID:yvMtkQU9
各アニメ版の相違点[編集]
アニメ版を制作したのは、1作目と2作目が東京ムービー、3作目は東京ムービーの流れを組む
シンエイ動画であるが、それぞれの間には様々な点で違いが存在する。1作目は当時のテレビ事情から
全話がモノクロであった。カラーテレビが普及した2作目以降はカラーである。

1回目の放送内容
1作目ではQ太郎が大原家に既に住んでいるところから始まっている(この本放送前には、前夜祭のような
特番『オバQ誕生』が組まれた。ここでは、舞台劇としてQ太郎誕生のエピソードが放送されている。
公開は杉並公会堂で行われた)。2作目からはQ太郎誕生から描かれたが、忍者ごっこをしているという
部分は省かれ、正太がQ太郎の卵を拾い、自宅に持ち帰り孵したという設定になった。3作目では、
正太が野球をしている最中にボールを追いかけて転び、草むらに落ちていたQ太郎の卵を偶然割って
孵したというもの。
キャラクター設定
1作目では正太やP子など、キャラクター設定が原作と大幅に異なっている。2作目は原作よりの絵に
近づいたが、U子の口元がドロンパのような口に修正された。3作目はほぼ原作に近い顔付き
(どちらかというと『新オバケのQ太郎』)だが、ハカセの目が縦長の藤子調の黒目にされている。
他にもキャラクターの服装や、美術設定などが時代に合わせてリニューアルされた。
【SKE48】佐藤すみれファン倶楽部☆142【すーめろ】
107 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/12/28(木) 23:26:48.05 ID:yvMtkQU9
声優
メインキャラクターの声優で3作通して同一キャラクターを担当した人物は存在しない。3作目については
他の2作と声優が共通するメインキャラクターはなく、比較的間隔の短い1作目と2作目でもゴジラ役の
肝付兼太、ママ役の北浜晴子と神成さん役の野本礼三のみである(肝付は3作目でハカセ役を演じ、
3作すべてでメインキャラクターを担当した唯一の声優)。

主題歌・挿入歌
3作で別の楽曲が制作されており、流用曲もない。このため、絵描き歌や音頭が複数作られている。
オバケのQ太郎[編集]
1作目の放送後半からスタジオ・ゼロがアニメ制作協力として関わっているとされていることがあるが、
鈴木伸一によると制作したのは『オバQ』のパイロットフィルムのみで、現場では能力不足と言われ
関われなかったということである。このパイロットフィルムの内容は、『鉄腕アトム』風の未来的な街に
住んでいるという設定にされた。その映像を見た藤子両人は内容の改変に違和感を覚えたという。
後に東京ムービーで制作が決まり、原作通りの設定で作られた。ヒーローものアニメがまだ全盛期の
時代であったため、放送初期はQ太郎の性格が多少好戦的なものになっていた。

本作は不二家が一社独占のスポンサーに付いたため、本作を含む一連の藤子アニメは、
オープニングとエンディングでペコちゃん(声:斉藤尚子)と共演していた
(『東京ムービー主題歌大全集』収録の映像はペコちゃん登場部分がカットされたものであるため
見ることはできない)。エンディングで使用された『オバQ音頭』のシネテープでは共演していることが伺える。
また、次作『パーマン』のエンディング、次々作『怪物くん』でも共演した。
【SKE48】佐藤すみれファン倶楽部☆142【すーめろ】
109 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/12/28(木) 23:42:16.25 ID:yvMtkQU9
エンディングテーマ
『オバケのQ太郎』(放送開始直後)
作詞 - 東京ムービー企画部 / 作曲 - 広瀬健次郎 / 歌 - 石川進
『ぼくとQちゃん』(前期)
作詞 - 遠藤隆智 / 作曲 - 広瀬健次郎 / 歌 - 吉田亜矢
『オバQ音頭』(後期)
作詞 - 藤子不二雄 / 作曲・編曲 - 広瀬健次郎 / 歌 - 石川進&曽我町子
「アニメ主題歌大全集」に収録されているのは、前期オープニングと放送開始直後エンディングのみ。
曽我町子は、日本コロムビアのスタジオでのレコーディングの際、風邪をこじらせていたのでスケジュールの
延期を申し出ていた[23]。しかしデュオ相手の歌手、石川進のスケジュールの都合と、スタッフ(当時の
コロムビアの社員がストライキを起こしていたために、立ち会ったスタッフのほとんどが管理職であったという)が
やる気満々でその熱意に押され曽我は渋々歌ったという[23]。これら主題歌、挿入歌はコロムビア盤と
朝日ソノラマ、ケイブンシャなどのソノシート盤でカバーやテイク違いが数多く存在しており、この『オバQ音頭』も
例外ではない。
ソノシートは、不二家の乳酸飲料「ハイカップ」の懸賞としても使われた(「ハイカップ」の王冠と切手20円分を
送るともれなく貰えた)が、そのCMには幼少時代の中田喜子が出演していた[24]。


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