- 【汚ポジゼル】キム・ヨナアンチスレ328【足アガラン】
72 :氷上の名無しさん@実況厳禁[]:2011/03/10(木) 01:07:58.51 ID:tlMOYlVG0 - >訓練をしてると必ず限界が来る。
筋肉が張り裂けそうな瞬間,息が喉まで詰まって来る瞬間,そのまま座ってしまいたくなる瞬間…。 こんな瞬間になると心の奥から何かが声をかけてくる。 ‘この位でいいよ’,‘充分だよ’という囁きだ。 こんな誘惑になんとなく諦めたくなる時があった。 しかしこんな時,諦めたら,やらなかったのと同じ。 99度まで頑張って温度を上げといて最後の1度を越えられないと水は永遠に沸騰出来ない。 水を沸騰させるのは最後の1度,諦めたくなるその1分を我慢することだ。 この瞬間を乗り越えてこそ次の扉が開く。そうやって私が目指す世界に行ける。 時々あまりに辛くて私の中のハードルを低くしたくなった時も,近寄って来たチャンスを知らんぷりしたくなった時もあった。 しかしそんなことはどうしても出来なかった。やると決めたことは必ずやらなきゃいけない完璧主義者の性格のせいもあったが,あまりに早くその差を知ってしまったせいだ。 99度と100度の差。常に頑張ってやって来ても最後1度の限界を耐えられなかったら結果は明らかに違って来る。 本当に小さい差なんだけど,それは水が沸騰するかしないかの本当に大きな差だ。頑張って努力して来て最後の瞬間に諦めて全てをゼロにしたくはない。世の中で一番辛くて大事なのは,最後の1分その限界の瞬間ではないかな
|
- 【汚ポジゼル】キム・ヨナアンチスレ328【足アガラン】
73 :氷上の名無しさん@実況厳禁[]:2011/03/10(木) 01:10:00.76 ID:tlMOYlVG0 - >韓国のスケートリンクは選手が訓練するにはかなり寒い方だ。
さらに練習は朝からだからもっと寒くてウォーミング・アップも難しいし、寒さのせいで体が固くなってしまい練習する度に本当に辛かった。 初めて外国へ転地訓練に行った時、羨ましくも珍しくも思った唯一のことはリンクが全く寒くなかったことだ。 「半袖Tシャツだけで全然寒くない!練習すると汗が出るよ!」 転地訓練から戻って来て、興奮していた私はお母さんに何度も言ってたと思う。 今はテヌンアイスリンクの施設も良くなってきたが、何年前まではかなり古くてボロボロだった。 暖房施設もろくに出来てなくて冬は特に寒さに震えながら練習をしてた。 空気があまりに冷たくてどんなに頑張って訓練してても体は固いままで、少し暖まって来てもちょっと休んだだけですぐ寒くなってしまった。 体は服で隠しても顔は出したままなので鼻と口、特に耳は千切れそうに寒かった。 いつも凍りついたまま練習してたのに凍傷にならなっかったのが不思議に思えるほどだ。ククク^^
|
- 【汚ポジゼル】キム・ヨナアンチスレ328【足アガラン】
74 :氷上の名無しさん@実況厳禁[]:2011/03/10(木) 01:11:48.34 ID:tlMOYlVG0 - >私は体が鈍くなるのが嫌でやったことはないけど、先輩達はタイツを二つも履いたりしてた。
また、ほとんどが首の長いTシャツにジャンパーまで重ね着した完全武装の姿で練習をしていた。 時々ココアとか暖かい飲み物を持ってきて、練習の合間、鼻をかむ時飲んだりした。 こんなに体が固くなったり寒さに緊張したまま練習をすると怪我の恐れも大きくなる。 今振り返ってみると今までどうやって練習してきたか思い出すだけでぞっとする。 しかし、環境のせいにして不満ばかり言ってる場合ではなかった。 こういう環境だというのは承知の上で始めたことだから。 残念でも不便でもあり、時々腹が立つ位、私のことが可哀想に思われた時もあったが、何かのせいにして諦めることは出来なかった。 厳しくて険しいとは知っててもその道をあえて進むこと、それもまた意味のあることかも知れないからだ。 お母さんは疲れてる私にこういうふうに声をかけてくれた。 「綺麗に作られた道を進むのはもちろんもっと楽かも知れない。しかし、ない道を作りながら進んでいくことよりはやり甲斐はないと思うよ。」
|
- 【汚ポジゼル】キム・ヨナアンチスレ328【足アガラン】
75 :氷上の名無しさん@実況厳禁[]:2011/03/10(木) 01:13:47.31 ID:tlMOYlVG0 - >私がフィギュアスケート選手の道を歩むことにした翌年の冬季オリンピックのことだった。
1998年2月に行われた長野冬季オリンピック。この時のフィギュアの試合を録画したビデオを繰り返して見るのが私の一日の日課の一つだった。 私はその試合から私の目指す夢そのものを見つけることが出来た。 私の心を一気に奪われた選手に出会ったのだ。当時銀メダルを取ったミッセル・クァン。 彼女は他のスケーターからは感じとれない特別なオーラがあった。 「あ〜,私もあのような素敵なスケートが滑りたい。」 漠然とフィギュア選手になりたいと思ってた私に目指したい選手が現れたのだ。 私はビデオを見た後は必ずリビングをリンクに見立て賑やかな「スケート祭」をやったりした。 よく思い出せないがお母さん言わば,まるで私がミッセル・クァン選手にもなったような感じで周りは気にもせず彼女を真似するのに夢中だったそうだ。 体中が汗まみれになるのもしらず…。練習のない週末もお母さんにおねだりしてスケートリンクへ遊びに行ったりした。 今のように大会への緊張感や良い成績へのプレッシャーもない純粋にスケートを楽しめた頃だった。 特に同じレッスンを受けてた友達と「冬季オリンピックごっこ」をするのが楽しかった。 それぞれ好きな選手になりきってフィギュアをする遊びで,本当の試合のように自分の名前が呼ばれたら皆の前に出てその選手の演技をしなきゃいけなかった。
|
- 【汚ポジゼル】キム・ヨナアンチスレ328【足アガラン】
76 :氷上の名無しさん@実況厳禁[]:2011/03/10(木) 01:15:20.95 ID:tlMOYlVG0 - >私はいつも「ミッセル・クァン」になって今まで家で練習してきたプログラムの動作と表情演技を真似したりした。
その中でも試合の始まる時に選手が場内アナウンサーの呼び出しとともに観客の歓声を浴びながらリンクの中央まで出る所が好きだった。 試合直前,コーチと短いサインのやりとりをしながら震える心をただ一回の長い呼吸で抑えながらも観客の歓声に微笑みで答えなきゃいけない息の詰まる緊張感。 お母さん言わば,試合にもろくに出たことのない子供がどうやってそれらしく表現出来たのか不思議だったそうだ。私ってそうだったっけ? 試合の直前は今の私にとっても緊張する瞬間だ。 しかしこういう遊びを通じて得た経験のお陰なのか,子供の頃の私は他の人と比べて本番の時あんまり緊張しない方だった。 だからか結果はいつも予想以上だった。こういう私を見て当時のコーチは「ヨナは本番に強い。」とよく言ってた。 この言葉は不思議と自分に自信感を持たせてくれた。 「そう!私は本番にはもっと強い!うまく出来る!」 こういう考え方で試合に出ると自分も驚くほど練習にはよく出来なかったジャンプも成功出来たりしてた。 しかしもっと大きい大会に出るにつれ,私にも体中の毛が逆立ちする位の緊張感が訪れるようになった。 そしてそういう感情をいかに上手くコントロールし生かすかによってコンディションが左右されることだとも解るようになってきた。 いつも落ち着いた姿で試合に臨むミッセル・クァンを思い出しながら,フィギュア選手への私の夢はどんどん成長していた。
|
- 【汚ポジゼル】キム・ヨナアンチスレ328【足アガラン】
77 :氷上の名無しさん@実況厳禁[]:2011/03/10(木) 01:16:47.36 ID:tlMOYlVG0 - >小学校六年,私にも思春期というやつがやって来た。
学校に通いながら塾にも通ってるせいでお母さんとは一緒に過ごす時間があんまりない友達とは違って,私は寝る時間以外は一日中お母さんと一緒じゃなければならなかった。 私の思春期のピークの2〜3年の時間の間,叱られたり喧嘩したり怒ったり泣いたりしながらお母さんと長い戦いをしてきた。 たった一日も平穏な日はなくほぼ毎日トラブル一つは起きた。 「何でそんなにいい加減なの?もう一度ちゃんとやってみなさい!」 いつも言われたことなのに,急にお母さんと監督に言われるのが凄く嫌になってしまった。 「私は運動する機械なの?毎日命令ばっかされて!」 いつも苦労して練習してるのに温かい言葉ではなく,むしろ「駄目だ!もう一度!これはこういう風に,あれはああいう風に……」 私の行動一つ一つ監視されながら指摘されてるような気がして息が詰まりイライラがたまってきた。さらに当時は怪我も多かった時期だったので体も心も倍に辛く,体が自分の思うままに出来なかったのでもって苦しかった。なのにお母さんは私の心も知らず叱るばかりだった。 「私も上手くやりたいけど,それが思い通りにいかないのよ!」 こういう風に思いきり叫べたらよかったのに,そうにも出来ず心の中に不満ばかり増えてた。 私も意地は強く負けず嫌いなので,練習が上手く行かなかったら,私も知らないうちにふて腐れて,怒って,それがエスカレートすると泣いてしまうこともあった。 ストレスを解消できるところもないから,一緒にいるお母さんがいつも八つ当たりの対象になった。泣いたり怒ったり毎日そういう風に練習をした。
|
- 【汚ポジゼル】キム・ヨナアンチスレ328【足アガラン】
79 :氷上の名無しさん@実況厳禁[]:2011/03/10(木) 01:18:34.68 ID:tlMOYlVG0 - >世の中の全てが不満だった時だったので毎日同じ日常にもうんざりになっていた。
朝目覚めてすぐ練習の支度,休んで練習,また練習,休んでまた練習。 夜遅く練習が終わったら一日が終わってしまう。 思春期の時にもっと大切になる友達とは会話もろくに出来る暇もなく,私のための時間すら持てなかったし,明日のコンディションの維持のため練習が終わったら寝なければいけなかった。 もちろん疲れていつも知らないうちに眠ってしまった。 そしてまた同じスケジュールの繰り返し,こんな同じ日常があまりにつまらないし辛かったのでまるでロボットになったような気分を感じたのが多かった。 本当にこれでは狂ってしまうんじゃないかと思ったこともあった。 何より淋しかった。誰も分かってくれないし,私一人氷上に立っているようだった。 周りは暗く,いくら辛いと叫んでも誰一人聞いてくれない,私はそんなにこのリンクから逃げられない運命なのか。 その時は私にもどうしようもなかった。感情のコントロールのしかたも分からなかったし,ただ私を囲んでいる全てが嫌で窮屈だった。 私が好きで始めたスケーティングまでもお母さんに言われてやってるようで,完璧に作られた型にはまって生きている可哀相な人生のようだった。 お母さんと毎日喧嘩するのもかなり疲れるし辛かったので,時々私のことを分かってくれないお母さんが本当に嫌いで憎かった。 私が選んだ道だからやりたくないとは言えないし,練習は思う通にできないからつまらないし… 思春期の時,誰でも考える「自殺」というのも思い浮かべたがそれは本当に単語だけだった。正直,怖くて死にたくはなかった。 私は生きて行きたい〜。ククク〜。 「私が自殺すると言ったらお母さんは止めるだろうか?止めないだろう。どうせ面倒なやつがいなくなるからラッキーで良いでしょう。」 こういう馬鹿なことまで考えてた。 そうやって結局,事件が起きた。
|
- 【汚ポジゼル】キム・ヨナアンチスレ328【足アガラン】
82 :氷上の名無しさん@実況厳禁[]:2011/03/10(木) 01:20:43.04 ID:tlMOYlVG0 - >全国大会を目前に無理な練習のせいで足首を傷めてしまったのだ。初めての怪我だった。
運動選手なら色んな怪我は付き物だが,あまりにも痛かった。 歩くのも辛い位痛すぎるのにこの足でジャンプをしなきゃいけないなんて…。 ジャンプ後,着地の度に鳥肌が立って電流が走るようだった。 だから練習が上手く出来るはずがなかった。 倒れて痣ができ体中が痛かった。 「私やめる。本当に痛いから駄目なの。お母さんは知らないくせに…。」 「…」 いつもと違ってお母さんは哀しい目で私を見つめていた。 こんな私を見守ってるのに疲れていたお母さんも結局そうしようっと言ってくれた。 さらに当時はIMFの時でお父さんの会社が危なかったんでこれ以上フィギュアスケートをやるのも難しい状況だった。 「先生,ヨナはフィギュアをやめることにしました。」 お母さんはまるで罪でも犯したような人のように力なく言うと,当時指導してくれたキムセヨルコーチは猛反対だった。 とんでめない話しだから何とか説得しようとしましたが,お母さんと私は何も言えなかった。 私達はもうすでに疲れきっていたのだ。 そうやってかなりの間があったと思った時,コーチは長い沈黙を破って言った。 「お母様,では最後に全国大会だけ出てからやめることにしましょう。あまりにももったいないんで」 「それはそうですが…」 お母さんとコーチは切ない顔で私を見ていた。 「ヨナちゃん。国際大会までとは言わないから,辛いけど今まで頑張ってきたから,最後の集大成だと思ってこん大会だげ我慢してやってみよう。ね?」 あ〜,コーチの切実なお願いだったので断るのは出来なかった。 「…はい。」 私達は2003年2月に行われる全然大会を最後にフィギュアをやめることにした。 最後だと思うと頭がすっきりした。なんだか体も軽く感じた。そのお陰なのかな?最後だと思った全国大会で一位をとってしまったのだ。怪我をしていたとは,私も思えない位トリプルジャンプ5種類を完璧に跳んだのだ
|
- 【汚ポジゼル】キム・ヨナアンチスレ328【足アガラン】
84 :氷上の名無しさん@実況厳禁[]:2011/03/10(木) 01:22:53.63 ID:tlMOYlVG0 - >足首は相変わらず痛かったが心は晴れやかだった。
「最後の大会なのに,頑張った!」 これが最後かな。大会は終わったのになんか宿題が残ってるようなすっきりしない気分だった。 スケートはやらなくても大丈夫だからいい気分になると思ったのに。 こんな私の心を分かったかのようにお母さんとコーチはさりげなく「続けてみよう。」と私を説得してきた。 「あ〜,こうなると思った。」 そうすると心が落ち着いてきていい気分になった。 変だな〜。あんなに痛くて嫌だと泣き出してたのに,逆に本当にやめることになるのではと心配するとは…。 私はリハビリをしながらもう一度スケートシューズの紐を結び直した。 誰にもスランプはある。その時期をどうやって上手く過ごすのかがこれからの人生を決めるそうだ。 幼い頃誰もが経験する「思春期」という壁だったが,この時私が本当にフィギュアを止めていたら今はどうなっているのだろうか想像すらできない。 私が辛いからやめたいと言った時,お母さんとコーチが「我慢しないと!怪我のないアスリートはいない!皆こうやって耐えながらやってるんだ!」 と練習を押し付けてきていたら今のキムヨナはいなかったかもしれない。 私が自ら心を持ち直せるように目標を調整して時間の余裕を与えてくれたお母さんとコーチに感謝する。 誰も強要されるのは楽しく出来ない。自ら動ける「夢の理由」がないとすぐ諦めるようになるためだ。 思春期の時ローラーコスターのように激しく移り変わっていた私の心の中にフィギュアはまた「やるしかないこと」ではなく「やりたいこと」として位置付けられた。 私はこういう風に大騒ぎの成長期を過ごしながら大切なことを一つずつ学んでいたのだ。
|
- 【汚ポジゼル】キム・ヨナアンチスレ328【足アガラン】
85 :氷上の名無しさん@実況厳禁[]:2011/03/10(木) 01:24:30.28 ID:tlMOYlVG0 - >私は初めて会う人とすぐ親しくなるのが出来ない性格だ。
今はかなりよくなったけど幼い頃は人見知りが激しくて親しくならないと殆ど会話をしなかった。 だからか初めてのインタビューの時は言葉が出なくて苦労した。 答えてもあまりに短く簡単にすませたから記者の方々は物足りない感じだったかも知れない。 初めて会う人に私の気持ちと考え方を述べて,それをまたもっと多くの人々が見守っていると思うとカメラの前で喋るのが本当に慣れなくて難しかった。 さらに会う人は皆硬い表情の大人ばかりで緊張してなかなか言葉が出なかった。 初めてテレビのニュースで私の記事が流れて,ネットに私の名前と写真がアップされた時は本当に不思議な感覚だった。 「私がそんなに凄いことをしたのかな?」と思うこともあるし,「こんな質問にはこういう風に答えれば良かった。」 と思うこともあった。 しかし,インタビューの経験が多くなるにつれ,自然な姿で言いたいことを喋れるようになった。 今はインタビューの達人になったとも言えるかな?(^^)ククク その位カメラに対する恐怖や落ち着かない気持ちは大分少なくなった。 今はカメラの前でもよく笑って,マイクの前で黙り込むこともない。
|