- 【Gの4番でエースの】倉山満part802【安倍晋三】
672 :右や左の名無し様 (ワッチョイ ae73-HdPi)[]:2019/02/12(火) 22:08:11.02 ID:hw5/wG6I0 - >>666
イトカンがなぜエリオットが好きなのか分かるよ 本当に強く影響を受けてると本を少しでも読めば分かる。 西部ゼミでも教育が出世の唯一の手段になりエリートはそこの試験で高得点を出せる人たちだけになる そして、そういう人が教育法を作り、文化が政治に従属する形になる。 政治による教育・文化の方向付けの恐ろしさは、無意識レベルの意識を重視しない態度 また、信仰についても逆説的に指摘しており無意識の信仰こそが重要だと。 その意味で日本人はエリオットにそうならば、もしかしたら物凄い信仰のある(無意識レベル)民族なんだろう 後、文化の根底は何よりも方言(言葉)であり、これが最終的な安全装置だと。 階級から逃れたエリートが教育の方針を決め英語化を進める現代の日本の状況は本当にグロテスクとしか言いようがないだろう
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677 :右や左の名無し様 (ワッチョイ ae73-HdPi)[]:2019/02/12(火) 22:16:37.82 ID:hw5/wG6I0 - エリオットによれば、機会平等というドグマに囚われてる内は逃れられないと…
階級は階級に根ざす故に、固有の文化が絶対的になり、独自性が生まれる。 そして、その階級の循環・相互作用が全体を富ます。 トクヴィルなんかの中間団体のような機能を持たせてるのかな?とも思う
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682 :右や左の名無し様 (ワッチョイ ae73-HdPi)[]:2019/02/12(火) 22:21:27.61 ID:hw5/wG6I0 - >>679
英国の非国教会の啓蒙的な運動(メソジスト運動)が無意識レベルで行われた為 英国のキリスト教を救い、文化を救ったとエリオットは書いてある そこには独自の文化はあるけど、まずは社会全体という器があり、その中に文化がある その文化の上に各階層の文化、その上に家族の文化、その上に個人の教養があるというイメージだね
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687 :右や左の名無し様 (ワッチョイ ae73-HdPi)[]:2019/02/12(火) 22:32:07.42 ID:hw5/wG6I0 - >>683
エリオットはその逆説を唱えてると思う(違ったら悪い、まだ全部読んでないので) 機会平等になり才覚を伸ばそうとすれば、階級から飛び抜けるエリートが生まれ その試験の結果でしかエリート階層に行けない。そして、その階層が教育内容を決め 多様性はなくなる。時代が要求する人材しか求めなくなる教育こそ機会平等が生んだ弊害だと。 それこそが固定化・文化の硬直化を生み出すと。 上手く説明出来てないと思うのでエリオットの「覚書」を読んでもらいたいけど…
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689 :右や左の名無し様 (ワッチョイ ae73-HdPi)[]:2019/02/12(火) 22:40:15.40 ID:hw5/wG6I0 - もし教育をするなら、特殊の事例(古代ローマ・ギリシャ史)などは
地域に根差した内容なので、そういう教育が重要だって
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691 :右や左の名無し様 (ワッチョイ ae73-HdPi)[]:2019/02/12(火) 22:47:47.94 ID:hw5/wG6I0 - >>690
ん〜難しいね。 確かに画一的という結果を生み出す意味での機会平等ではあると思う。 けれど、それが政治を支配し教育を決めていくので意識しようと、しないとに関わらず そういう教育システムを置く以上、硬直化は免れないのかもしれない。 でも、仰るように文化・芸術・哲学等のエリートの交流は大事だと。 そして面白いのがエリオットは今で言う異業種交流会のようなものを批判してる。 交流は大事だが、それは哲学も芸術も哲学も無意識レベルの共通したものでないと 真のコミュニケーションは生まれないって
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699 :右や左の名無し様 (ワッチョイ ae73-HdPi)[]:2019/02/12(火) 23:08:10.43 ID:hw5/wG6I0 - >>693
書き方が良くなかったかな… >無意識レベルの共通したものでないと 真のコミュニケーション これは、全くそちらが仰るような内容で現代の「交流会」を批判してるという意味なので 全く同じだと思う。 結果の平等は難しいと思う。どこかで悪平等を嫌うエリートは絶対いるし それはそれで正しい部分もあるだろう。 一定の格差に抑えると言うのは大事だけど、そこがどう影響するかは未知数 勿論、過去の日本は今より格差が小さく経済的にも社会的にも成功したので 参考にはできそうだけど、現実の利権構造、思想、世間一般の認識が許さないだろう
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703 :右や左の名無し様 (ワッチョイ ae73-HdPi)[]:2019/02/12(火) 23:23:44.46 ID:hw5/wG6I0 - >>701
人間性。これはエリオットも重要視してるね 現在の教育は人間性をすてるようになると。 だからこそ、公共教育よりも家族などで文化を伝える方がよいと。 勿論、公教育もすべてダメってことじゃないけど、試験性によってエリートを生み出し 文化・階級を飛び抜け、政治を支配し、そのための文化を方向付ける。 そして教育も政治支配層にとって都合がよい時代に迎合する人材だけしか生まなくなる 根本には人間性や無意識レベルの共通した意識の欠如が問題
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709 :右や左の名無し様 (ワッチョイ ae73-HdPi)[]:2019/02/12(火) 23:58:10.40 ID:hw5/wG6I0 - >>707
だからエリート社会はコミュニケーションが取れない。 エリオットは直接的には言ってないけど、階級の存在意義を無意識レベルの相互作用・交流と言っているので エリート社会は硬直化すると。 somewhereとanywhereのような乖離が生じてしまう。 一見正しいように見える機会平等(ドグマ)を民主政治・文化の面から見れば悍ましい結果になるのかもしれない。 そもそも合理なんてものは誰かが決めるのではなく時の権力、時代の要請、支配層の都合でしかない。 教育もだけど、やはり経済学の書物を読んでいて、感じる非人間性・非文化というものが近代の特徴だと思う
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