- 【Gの4番でエースの】倉山満part802【安倍晋三】
698 :右や左の名無し様 (ワッチョイ 02f2-OF6d)[sage]:2019/02/12(火) 23:04:42.41 ID:S4BOQpMr0 - >>693
それはまったく異なる地盤であるはずのところで無意識レベルの共通性を見出したことによる刺激なのかもしれないよ。 意外性とは表層の意識においては想定外なのかもしれないが無意識レベルにおける何かしらの共通性があるからこそ その価値観に情動の針が揺れ動くのであって、まったくの埒外のものとの対峙は宇宙的恐怖とも言うべき感覚を引き起こすのではないかと思う。
|
- 【Gの4番でエースの】倉山満part802【安倍晋三】
701 :右や左の名無し様 (ワッチョイ 02f2-OF6d)[sage]:2019/02/12(火) 23:16:09.36 ID:S4BOQpMr0 - “真の”コミュニケーションが取れているという確信は人間性に触れたというもの以外のなにものでもない。
地盤が異なろうがなんだろうがコミュニケーションが取れたなら、 その根底には本来的に合理的に扱い得ないものへの積極的価値の付与(それが人間性というものである)があるわけで、 持続的信念の継続を促す程の“他者”からの影響というものはその広い意味での宗教性 (合理的に扱い得ない云々というのは宗教の一般的定義に他ならない)を帯びた、 その意味における無意識レベルのコミュニケーションと言えるだろう (注意が必要なのは、たとえば一方的に感動的景色を見て涙を流したという話はコミュニケーションとは言わないということ)。 むしろ表層的には「人間」であるはずの何かの「交流会」が鼻につくのは、 その中身が人間性に悖るものであるという無意識レベルから立ち上ってくる嫌悪によるものかのかもしれない。
|
- 【Gの4番でエースの】倉山満part802【安倍晋三】
707 :右や左の名無し様 (ワッチョイ 02f2-OF6d)[sage]:2019/02/12(火) 23:40:12.86 ID:S4BOQpMr0 - >>703
教育の現場での友達との思い出や良い/悪い先生の思い出というのは、つまるところ人間性についての強い想いなんだと思う。 何かしら酷く単純化された「合理性」とやらを背景に画一的な数値化を図るということについて、 その点で、そういった経験について本来的にいたく感激するなんてことがあるのだろうか。 もしそういう経験を持っている人がいるならおそらく俺はその人とほとんどまったくコミュニケーションをとることができないだろう。 表層的に個別には違うのに何かしら無意識レベルでの共通性があるからこそ、意外な友人関係なり、 思わぬ良い先生との出会いというものがあるわけで、そういった情動を揺さぶる体験は人間性を土台とした、 人間性の本性に触れたという確信によるものではないかと思う(しかしそのようなものに果たして本当に触れられたのかどうか、 合理的に突き詰めて説明がつくものではない)。 それらを強烈に希薄にする方向で公教育を成すとするなら、それは先にいった宇宙的恐怖ともいうべき、 何かしらおぞましい現象が立ち現れていると言ってもいいのではないか。 そのようなものに根を張って(あるいはどこに根を張ると言うのか)“育つ”ナニモノかが集団となって社会の多数を形成する様に 名状しがたい恐怖を感じないようなモノドモといったい如何なるコミュニケーションが取れるのだろう。
|
- 【Gの4番でエースの】倉山満part802【安倍晋三】
708 :右や左の名無し様 (ワッチョイ 02f2-OF6d)[sage]:2019/02/12(火) 23:54:10.29 ID:S4BOQpMr0 - これどういうことですか!!
あの頃の倉山先生は飛びぬけていたと思う。ものっそいぶっ飛んでたし。
|