- ねずさん(=小名木善行)ってどうよ Part.6 [無断転載禁止]©2ch.net
845 :右や左の名無し様[sage]:2018/02/14(水) 01:25:30.40 ID:JA9x0C8n - こちらも以前の記事を転載致しましょう。
引用 実は、そんな気持ちの日常を綴った文学が、彼女が書いた『蜻蛉日記』です。 「かげらふにつき」と読みますが、かげろうというと、なんとなくイメージは「ウスバカゲロウ」の消えてしまいそうな、か細いイメージかと思います。 けれど、そっちのカゲロウは、漢字で書いたら「蜉蝣」です。 彼女の日記は、「蜻蛉」です。 これは「かけらふ」とも読みますが、もともと、トンボのことです。 つまり、『蜻蛉日記』は、実は「トンボ日記」なのです。 そのトンボですが、トンボは飛行中に空中に前進だけでなく停止することができます。 けれど、後ろには下がれない。 そこからトンボは古来、勝ち虫と呼ばれ、何があっても前に進む、決して後ろに下がらないことの象徴として、特に武人に愛された生き物です。 戦国武将の前田利家の兜(かぶと)は、だから黄金のトンボです。 つまり道綱母は、 「どんなに辛かったり悲しかったり悔しかったりして、 泣いてばかりの日々であったとしても、 私は絶対に後ろに引き下がらない」 という固い決意を持っていたから、日記のタイトルを「ドンボ日記」としているのです。 引用終わり この日記が書かれた時代には とんぼは 秋津と呼ばれていましたね。 蜻蛉の日記も上古の時代にはひらがなで、かげろふ、と記述されていたようですが中世以降漢字で蜻蛉日記と表記されるようになったようです。 更に、かげろうの日記の表題の由来については本文中に作者自身が語っていますので続きに書きます。 続く
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846 :右や左の名無し様[sage]:2018/02/14(水) 01:27:51.91 ID:JA9x0C8n - 続き
小名木善行さんは蜻蛉日記の本文をお読みになっていないのです。 彼の言語能力では無理ということはわかるのですが、それではなぜ背伸びしてああいう題材を取り上げるのでしょうか。 蜻蛉日記は、本文に "なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし" と書いてあるのでそう呼ばれています。これをご存じないわけですから、読んでいないことは明白です。 意味をご説明すれば、 それでもはかないものであることを考えれば、あるか無いかわからないような気がする、かげろうの (ような女の書いた) 日記と呼ぼう。 というような意味です。 かげろふのあるかなきかにほのめきてあるはあるとも思はざらなむ、という宇津保物語の歌等を元に書かれているのかもしれませんが、その他にも かげろふのあるかなきか、という歌はいくつかあります。 GHQのWGIPで書き換えられたとでもおっしゃるのでしょうか。宇津保物語の歌まで書き換えますか??? ねずきちさんはこの文章を どんなに辛かったり悲しかったり悔しかったりして、泣いてばかりの日々であったとしても、私は絶対に後ろに引き下がらない と解釈されて居るようですが全然違います。古典の鑑賞を捻じ曲げるのはやめていただきたいものです。 ところで、ねずきちさんの調最低の翻案文を見ると、どこかで見つけてきた現代文版をそのままコピペしてバレることを防ぐために文体を変えているということがすでに見え透いていますが、見苦しいものです。 私はねずきちさんが古典を勉強することは期待していません。古典を利用することをやめていただきたいだけです。 続きます
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847 :右や左の名無し様[sage]:2018/02/14(水) 01:33:12.33 ID:JA9x0C8n - 続き
このようなFBの記事につくコメントは、 引用 東洋経済の解釈は、余りにもゴシップ的な解釈で最後まで読めませんでした。 小名木善光先生の解釈は素直に読めて、心地よかったです。 日本人の素直な心で物事を観る大切さを感じることが出来ました。 有難うございます。 引用終わり 引用 はぁ…全然違う! 小名木先生の立体的なというか、前後左右そして上下に広がる解釈は、常に「なぜそれがそのように詠まれたのか」が非常にわかりやすく説明されていて納得できます! 引用終わり のようなものです。小名木善行さんはそういうレベルの人たちを食い物にしているのです。
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850 :右や左の名無し様[sage]:2018/02/14(水) 08:38:40.32 ID:JA9x0C8n - しかし、小名木善行さんの 蜻蛉日記のタイトルの説明はあまりにひどいですね。
本文を読まずに、蜻蛉日記 と言うタイトルから想像を逞しくしてご自分が イイハナシダナ− と信者に思わせられる話を作り出しておられるのです。 小名木善行さんご本人を含め、男爵信者の方々は古典の素養をおもちではないので、目の前に全く逆の事が書いてあってもお分かりにならない。 その無知を利用して、男爵がイイハナシダナーという作り話を持ち上げると信者の方々がメカラウロコーと合いの手を入れるのです。
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