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名無しさん
愛媛県の神社

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愛媛県の神社
72 :名無しさん[sage]:2020/06/16(火) 22:12:49.37 ID:B6dWwk3H
−『神社名鑑』−

阿沼美神社 旧県社
松山市北宮古町 予讃線 松山駅より一粁
祭神 大山積命 雷神 高靇神
例祭 一〇月六日〜七日
神紋 縮三
本殿 流造 六坪
境内 二三五〇坪 末社 五社
氏子 三千五百戸 崇敬者 一万七千五百人
神事と芸能 秋の大祭に神輿四角造り、八角造りの二台が出る
由緒 延喜式神名帳に温泉郷四座の内阿沼美神社名神大とある。往古勝沼の嶺に在て勝山三島大明神と称せしが、慶長七年加藤嘉明侯松山城を勝山に移すに当り現今の地に遷座す。地名を取りて味酒神社と改称し、元禄 一四年社殿を改造す。明治三年県社に列し旧称に復す。

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阿沼美神社 (松山市味酒町)

本来は松山城のある勝山(132m)に鎮座していた神社で、
「勝山三島大明神」とも呼ばれていた大社。
当時は末社が75社もあったという。

慶長7〜8年(1602〜3)、加藤嘉明による松山城築城のおり、城の西・味酒の地に遷座し、味酒大明神と改称したという。

延喜式では、もとは「阿沼美神社」と書かれていたらしいが、
写本によっては、「阿治美神社」と記載され、アジミの訓が付けられた。

このアジミが、味水と解釈され、味酒にある当社が論社となったと考えられる。
もしもそうであれば、味酒の地はこの神社が遷座以降の関係であるから、「阿治美神社/阿沼美神社」とはもともと関係がなかったと言える。
愛媛県の神社
73 :名無しさん[sage]:2020/06/16(火) 22:23:21.66 ID:B6dWwk3H
−境内石碑−

阿沼美神社の由緒
祭神 大山祇神 月讀神 高靇神 雷神
例大祭 十月四日
 阿沼美神社社伝記によると十二代景行天皇の皇子武国凝別(御村 別の祖)日本武尊の御子十城別王(別王の祖)の宮居された所と伝えられており地名を大内小字を宮内という
 別氏の子孫は阿沼美の神を奉斎して深く尊崇を尽くし四十代天武 天皇四十五代聖武天皇五十代桓武天皇五十二代嵯峨天皇七十五代崇 徳院等は幣帛を奉り勅願により宮殿を再造営した
 別氏の没落後河野氏は三島の神を合わせ祭り「阿沼美三島大明神」と号して累代崇啓を尽くし神領を三百二十一町六反を寄進した
 さらに河野道直は新たに社殿を築き厳命して「新宮」の二字を加え「阿沼美三島新宮大明神」と称え一族の潮見山城主大内伊賀守越智信泰を大宮司として祭事を掌らせた
 河野氏滅亡後「三島新宮」とのみ称するようになっていたが天明二年本殿が大破して再建した際屋根裏から文録年度の「阿沼美三島新宮大名神」と記した古棟板が発見され又天保四年九
月六日には御幸橋の地下から「阿沼美宮」と刻した延文年間の石額が出土した
 翌天保五年藩命を奉じて天朝に奏し「阿沼美神社」の旧号に復した
 延喜式神名帳に伊予国温泉郡「阿沼美名神大」又同臨時祭式に名神祭(二百八十五座)「阿沼美神社一座」(伊予国)とあるのは当社であるといわれている

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阿沼美神社 (松山市平田町)

御村別の祖・景行天皇の皇子武国凝別および別王の祖・日本武尊の御子十城別王の宮居があった場所という。

後、河野氏の崇敬により、河野氏の氏神である大山祇神を合祀し「阿沼美三島大明神」と称していた。


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