- 【愛媛県】今治市総合スレッド☆28【コロナゼロ!】
135 :名無しさん[sage]:2020/06/01(月) 13:19:26.24 ID:Jd3/xGSi - 昔、紀伊の国から幾日も航海されて現在の「九王」のあたりにお着きになった須佐之男命は、天の磐く樟船で「品部川」を上られました。
船から降りられた須佐之男命は、更に牛に乗られて、今の「宅間」「野間」「延喜」を経て「阿方」のあたりを通られようとしました。 ところが、「阿方」の村人の中に随分意地の悪い者がいて不浄物をかけるなど色々と悪だくみをし、わざと須佐之男命の通られるのを邪魔しました。 須佐之男命はいたし方なく「矢田」の方にまわられ「神宮」の地にお着きになりました。ご自身が乗って来られた磐く樟船を置かれた「神宮」の奥の「熊野峰」というところで、牛に食物を与えてご自身も休まれました。 この磐く樟船が、長い年月の間に化石になったといわれており、今は摩滅して跡を見ることは出来ませんが、古老の話では、以前は須佐之男命のご足跡と牛のえさおけの跡が残っていたそうです。 −「予陽俚諺集」には駒(馬)の足跡とありますが、この地の人は牛のように語り伝えています。 この化石になったと言われる 巨石は、「石神さん」と呼ばれ、現在も、この野間神社の奥の山にあります。 野間神社は、この巨石信仰からもしかしたら始ま6った神社ではないかとも言われていますが、問題は、この神社の氏子のことです。 旧乃万郡は、全て、この野間神社の氏子と言われているのですが、この伝説の中で、「阿方」と「山路」だけは氏子に入っていないのです。 その理由は、このスサノオの伝説からきています。「阿方」と「山路」という場所だけは、須佐之男命が通らなかったということから現在も、氏子ではありません。
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