- アイドル眞智宇くんが好きな独身女性★part18
2 :枡田 真知宇(ますだ まちう)〜伝記的考察〜[↑ ↑]:2011/02/18(金) 01:31:16 ID:VfNF++tc - (1)誕生篇
昭和51年8月、京都府の母子家庭に生まれる。 兄弟は無く、母親も仕事で留守勝ちな為孤独な幼年時代を過ごす。 母親と法的な婚姻関係に無かった父親はこの息子を認知せず、 また幼年時代の麻厨と直接会うことは極めて稀であったようで、 その為か今日も麻厨本人から父親の事が語られる事は滅多に無い。 ちなみに母方の苗字と思われる「枡田」一族の出自は不祥であり 本人が語るような桓武平氏との繋がりは皆無であるばかりか 後述の通り北海道出身である事を考えると、 枡田一族が被差別部落出身である可能性は極めて高いと言えよう。 その後小学生までの間に一度母親の出身地である函館に転居するが 程なくしてまた京都に戻る。 この事からも母親の血筋の賤しさと職業の不安定さ、 一家の生活の貧しさが伺え、その事が幼い麻厨本人に歪んだ虚栄心と 屈折した上昇志向を植えつけたであろう事は想像に難くない。 結果私立中入学を志し進学塾である成基学園に入塾するが、 結局受かった私立中は偏差値49の大谷中バタビアコースのみ。 偏差値50即ち平均点を下回る私立中等、 公立中に比べれば学費が高いだけでバカを純粋培養する様な物であり、 わざわざ通う意味も無いと思うが、そこは枡田家なりの虚栄心と、 恐らくはそのまま小学校の同級生と同じ中学に進学する事− 即ちイジメへの不安の産物であろう。 だがその直後受験した塾の部内模試で社会科のみ偶然偏差値94を記録。 冷静に考えればマグレ以外の何物でもないのだが、 私立中受験が惨憺たる結果に終わった麻厨にとって、 この偶然は絶好の気休めとなったのみならず、 その後幾度も繰り返される現実逃避の拠り所となり、 そのことが非現実的な万能妄想と それに基づく怠惰の正当化へとつながるのであった。(続)
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3 :枡田 真知宇(ますだ まちう)〜伝記的考察〜[sage]:2011/02/18(金) 01:31:59 ID:VfNF++tc - (2)蠢動篇
平成元年4月 麻厨は大谷中学バタビアコースに入学する。 中学時代の行状や生活について麻厨は多くを語っておらず その全貌は解らない。 ただし中高一貫校である同校で、 順当に行けば大谷高に進学するはずの麻厨が 何故か同志社高に進学した事実を考える時、恐らくは大谷中への進学。 より正確に言えば「進学せざるを得なかったこと」と 同様の事情があったであろう事は想像に難くない。(続)
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4 :枡田 真知宇(ますだ まちう)〜伝記的考察〜[sage]:2011/02/18(金) 01:32:42 ID:VfNF++tc - (3)青雲篇
その同志社高進学についても多くの謎が存在する。 上に述べたとおり、麻厨が進学できた大谷中の偏差値は49。 後に彼が2度の浪人を経てようやく入れた最終学歴である、 近畿大学の偏差値は50台前半である。 このことから、生涯を通じた彼の全教科平均の実力は 偏差値に換算し50前後と思われるが 同志社高の偏差値は言うまでも無くそれらを遥かに上回る。 つまり麻厨本人の実力とは著しく解離しているのだ。 その事は上述の通り彼が同志社大内部進学はおろか 他大への現役進学すらできなかったことからも明らかである。 この事から、彼の同志社高進学に当たって、学力以外の何らかの力 恐らくは父親の関係者による何らかの力が介在した事が推察される。 しかしながら、実力と解離した同志社高への進学は 結果として麻厨にとって不幸でしかなかった。 85%が同志社大に内部進学し、14.5%が他大に現役進学する同志社高で、 400名弱の彼の同級生のほぼ全員の進路が確定した時、 学年ビリの麻厨に与えられたのは浪人の屈辱であった。 この事からも、所詮偏差値50程度の実力しかない麻厨が 同志社高の授業に付いて行けなかった事は明白である。 とはいえ麻厨はここでも歪んだ虚栄心を発揮した。 後に学歴に関し語る多くの機会において 彼は真の最終学歴である近畿大学の校名を隠し 「同志社高卒→1部法学部法律学科卒」と紛らわしい標記を用い 恰も同志社大卒であるかのように装ったのである。(続)
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