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人間七七四年
戦国ちょっといい話49

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戦国ちょっといい話49
105 :人間七七四年[]:2021/04/10(土) 10:39:08.46 ID:FU7BM7+c
斯波氏の名門大崎家は伊達家の影響下にあったが
政宗(成実かもしれない)が畠山(二本松)義嗣ともども輝宗を撃ち殺してしまったあたりから
大崎義隆は独立を企むようになった。
大崎義隆の妹は最上義光の正室であり、叔母は黒川晴氏の正室でもある。
この2人の娘は政宗の叔父である留守政景の正室でもあった。

最上と黒川と留守が組めば政宗など怖くないし、最上は政宗の実家でもある。
政宗は蘆名や佐竹、相馬、二階堂、石川、田村、岩城、結城らとも親戚だが
北方の大名勢力とも親戚であった。

大崎義隆はこの様な血縁関係と輝宗の暗殺から政宗を脅威とは感じていなかった。

ところがである・・・

黒川晴氏の叔父式部(とはいっても年齢が近いので兄弟みたいな存在)の婚約者に
飯坂宗康の娘がいた。娘は凄い美人で頭も良くまだ9歳であったが
黒川家と飯坂家は親戚関係でもあったので婚約が決まっていた。
ところが宗康は式部の行いが良くない事を憂い、娘を政宗の側室に送り出す事になる。
黒川氏は小大名だが、式部は伊達家に仕えていた国人領主だった。
晴氏のところに行くと迷惑になるので越後に逐電してしまった。
戦国ちょっといい話49
106 :人間七七四年[]:2021/04/10(土) 10:51:12.83 ID:FU7BM7+c
大崎義隆は晴氏と式部とのやり取りを知っており、晴氏は政宗に宗康に不信感を持っていたので
自陣に加える事が出来ると読んだ。
また留守政景も政宗の与力大名として厚遇をされているものの
政宗の与力大名には正室の父、田村清顕や側室の飯坂宗康や亘理一族、白石一族、伊達成実なども
いて不信感があると思っており、政景の正室は大崎と黒川の血筋であることから
引き入れる事を容易だと考えていた。

奢った義隆は、中奥羽の覇王として、政宗など佐竹とぶつかって消耗すればいいと考えていた。

その頃、政宗は父輝宗の仇(いや主犯お前と成実じゃね?)として畠山義嗣の残党狩りをしていた。
旧畠山残党は蘆名や佐竹に救援を求めて、政宗は田村清顕や飯坂宗康、伊達成実らと共に
打ち破ってきた。田村と代々仲が悪かった二階堂の女城主阿南姫が立ち上がった。
阿南姫の妹は佐竹義重・蘆名盛隆の正室の姉であり、石川昭光の姉でもある。岩城親隆は兄である。
更に蘆名盛隆の実母でもある(わけわからないですね)ぶっちゃけ輝宗の姉だったのである。
阿南姫「政宗!成実!お前ら輝宗を殺した張本人だろ!?」と言うと
南奥羽の諸将がみんな阿南姫側(畠山残党)に付きます。

政宗はピンチとなります。


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