- 織田信長は過大評価されすぎ 15
478 :人間七七四年[sage]:2021/01/14(木) 10:58:48.66 ID:YnAbzvRS - 上のほうで水野文書の話が出てるので詳しく説明。
家康の意志か水野の意志かは判らないが、高天神城の武田軍から滝坂城、小山城、高天神城の3城を渡す条件で助命を願い出たから、それを受けていいか信長にお伺いをしたんだろう。 それに対して信長は(水野文書で)水野にこう返した。 勝頼の分際では後巻できないだろうから滝坂城、小山城も貰っても意味がない。どうせ取れるから。 それより、信長は一両年に甲信征伐するけど山奥の上に長々敵地にいるのはあまり乗り気しない。 行き着く所は、勝頼が後巻と称して国境に出てくれれば、手間要らずで片を付けられる。そうなれば、甲信は手間要らずで取れる。 それか万が一にも勝頼が後巻をせず、高天神城と同様に小山城と滝坂城を見捨てるならば、その評判は駿河の端々の小城に至るまで響き渡り維持はできなくなるだろう。 この通りに家康に説明して家康の宿老たちにも聞かせて欲しい。 家康か、若しくは家康の宿将らが目先の餌で3城の明け渡しで合意したがってたのと違い、信長は武田崩壊させるための先の戦略を見ていたのが良く判る。 信長の読み通り、武田はこれで完全崩壊した。 信長の戦略によって武田は既に詰んでいたのだ。 信長が計算してないと戯言を言ってるのはこういう文書見てないんだろうね。
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