- 【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る10
78 :sage[]:2021/01/09(土) 01:36:19.38 ID:B/dLpIiE - 光秀は信長ではなくて信忠に怨みを持っていたのでは?
武田征伐で甲斐の恵林寺を焼き討ちにし、快川紹喜という住職が焼死した 武田家臣を寺で匿って引き渡しを拒否したため 快川紹喜は土岐氏、美濃出身で光秀と何かしら関係があり、 家康の接待役のとき、信長にこのことで抗議して揉めたのでは? 愛宕山の西坊威徳院で光秀が「ときは今天が下しる五月哉」と詠んだとき、 愛宕山の愛宕神社で祈願する信忠がいたのも偶然ではないはず
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79 :人間七七四年[sage]:2021/01/09(土) 02:54:19.02 ID:B/dLpIiE - 武田征伐後、信長は信忠に「天下の儀も御与奪なさるべき」と言っている
光秀はそれも踏まえてあの歌を詠んだのでは 光秀は信長には恩があるが、信忠が天下人になることには我慢が出来なかった
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