トップページ > 戦国時代 > 2021年01月09日 > B/dLpIiE

書き込み順位&時間帯一覧

9 位/90 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0110000000000000000000002



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
sage
人間七七四年
【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る10

書き込みレス一覧

【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る10
78 :sage[]:2021/01/09(土) 01:36:19.38 ID:B/dLpIiE
光秀は信長ではなくて信忠に怨みを持っていたのでは?
武田征伐で甲斐の恵林寺を焼き討ちにし、快川紹喜という住職が焼死した
武田家臣を寺で匿って引き渡しを拒否したため
快川紹喜は土岐氏、美濃出身で光秀と何かしら関係があり、
家康の接待役のとき、信長にこのことで抗議して揉めたのでは?
愛宕山の西坊威徳院で光秀が「ときは今天が下しる五月哉」と詠んだとき、
愛宕山の愛宕神社で祈願する信忠がいたのも偶然ではないはず
【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る10
79 :人間七七四年[sage]:2021/01/09(土) 02:54:19.02 ID:B/dLpIiE
武田征伐後、信長は信忠に「天下の儀も御与奪なさるべき」と言っている
光秀はそれも踏まえてあの歌を詠んだのでは
光秀は信長には恩があるが、信忠が天下人になることには我慢が出来なかった


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。