トップページ > 戦国時代 > 2020年11月22日 > c+sVk0Xh

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人間七七四年
織田信長は過大評価されすぎ 14

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織田信長は過大評価されすぎ 14
587 :人間七七四年[sage]:2020/11/22(日) 10:06:15.13 ID:c+sVk0Xh
地政学的に、尾張一国から美濃まで平定した織田信長も、甲斐から信濃、駿河を支配した武田信玄も、実は周りが敵だらけでモグラ叩きみたいにあっちを叩けばこっちが頭を出すみたいな不利な状況に10〜20年も置かれていた。
だから、武田信玄も織田信長も臆病に、互いに牽制して戦おうとしなかった。武田信玄も織田信長も互いが現実主義者であることを知っていたから、下手なことがあればつけ込まれるのがわかっていたからだ。

では、なぜ織田信長の勢力は拡大し、甲斐武田は滅びたのか? 理由は2つある。
一つは年齢的に織田信長の方が若かったことと、武田信玄が50代で亡くなったことで良くも悪くも均衡を保っていた勢力図ががらっ変わったからだ。
甲斐武田は荒くれ者の土豪衆の集まりであり、織田信長は譜代が優秀であった。武田信玄も織田信長もそのカリスマ性でもって中心がブレないことで一極に権力が集中して良くまとまっていた。
この一角の武田信玄という駒が無くなったのは大きい。
もう一つは、


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