- 戦国ちょっと悪い話48
80 :人間七七四年[sage]:2020/05/23(土) 06:05:32.82 ID:QRLkc+Fv - (稲生の戦い後)
それより後、敵は末森・那古野に籠城したのを節々御働きなされて町口を皆々放火し給う。しかる に信長公の御母堂(土田御前)と武蔵守殿(織田信勝)は御一緒に末森城にいらっしゃたが、清州 より島田所之助、村井民部を御使に遣わされた。 武蔵守殿謀叛の罪科を今後御赦免なさって和睦させなさるようにとの由で信長公へ様々の御詫言が あり、信長もさすがに御舎弟といい御母堂の御詫言といい、いずれにしても捨て置き難くすなわち 御同心なされた。 以来、武蔵守殿より信長公へ疎意あるまじき由の起請文を書き遣わされ、御母堂の御同道で武蔵守 殿、ならびに柴田権六(勝家)、津々木十蔵(蔵人)が黒染の衣を着て清州城へ参上申し、御目見 と御礼を申し上げた。 林佐渡守(秀貞)はひとしお罪科の者で御赦免なりがたき輩であったが、諸々の御詫言を申し上げ、 先年に安房守殿(織田信時)御同道で彼の館へ御入りになった時、舎弟の美作(林通具)は信長公 を殺害しようと申したが、佐渡守は差し止めたということをよくよく聞こし召し届けられて、まず 今回は御赦免なさった。 これも首を延べて清州へ参り御許しの御礼を申し上げれば、信長公よりあまつさえ元の如く那古野 城を守るようにとの旨で安堵の御書を賜った。 ――『織田軍記(総見記)』
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