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人間七七四年
織田信長は過大評価されすぎ Part 2

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織田信長は過大評価されすぎ Part 2
799 :人間七七四年[]:2019/05/16(木) 13:12:44.44 ID:1cVMsE2E
フロイス『日本史』
・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら
鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。というのは、
薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、
鉄砲など目にもくれなかったからである。


例えばこの戸次川の戦いなんかは長宗我勢が渡河したところを待ち伏せていた島津の軍勢が抜刀して襲撃して
壊乱させている

伏兵や強襲の類のときに刀が使われるなんてのは珍しくもないんだよ
織田信長は過大評価されすぎ Part 2
800 :人間七七四年[]:2019/05/16(木) 13:19:28.17 ID:1cVMsE2E
奇襲や伏兵、強襲のときに刀が使われるってのは唐入りのときの記録にもよく見られるな
例えば碧蹄館の戦いも騎兵軍が機動力を使えない地形に入らせてその場にいた日本側のふるう
長刀(=大陸側の日本刀呼称)で壊滅させられたとある

柳成竜(朝鮮の領義政=総理)・著 『懲録』
・日が暮れ、賊(日本軍)は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。

・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。

・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
 (金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。

・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。

・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。

・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
織田信長は過大評価されすぎ Part 2
801 :人間七七四年[]:2019/05/16(木) 13:25:00.51 ID:1cVMsE2E
あとは家康が描かせた最古の関ヶ原合戦図屏風でその場の東軍側の戦闘要員ほぼ全員が
抜刀して西軍陣地に駆け込んでいくなんて場面もあるな

東軍側は武装解除でもされてたのか?


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